竹地盛治君 追悼
ボクシングは、6・7年前に1年か1年半くらいの間、当時大検生だった次男と一緒に丸亀ボクシングジムに通っていた。僕の場合は、柔軟体操とかサンドバッグ打ちとかくらいで、試合やスパーリングの経験はゼロ。せいぜい息子のミット打ちの相手をしたり、同年代のタクシードライバー(少林寺拳法2段)とスパーリングまがいの打ち合いをやっていたくらい。
その時、当時多度津工高の生徒だった竹地盛治君と知り合った。多度津工高でイジメにあい、一年休学しているときボクシングを始めたそうだが、礼儀正しい好青年だった。練習時間が僕たち親子と同じで、その時間帯はほとんど他の練習生が居なかったので、息子がいつもスパーリング相手をしていたこともあり、結構親しくしていた。「俺は世界チャンピオンを目指すけど、小阪、おまえ日本チャンピオン狙えよ」みたいなことを息子に言っていた。
丸亀ボクシングジムは、オヤジさん(会長)の性格からきているのだろうけれど、とても自由な雰囲気があり、練習はいつも音楽を聴きながらやっていた。僕たち親子はビートルズ、竹地君はいつも尾崎豊だった。尾崎を僕は初めて彼から紹介されて聴いた。
久しぶりにあったとき、彼は東洋太平洋チャンピオンを狙えるくらいまで強くなっていた。彼の試合は確か3回観たと思う。一回目は、相手を1ラウンドでノックアウトしたが、2回目、3回目はあまりすっきりしない試合だった。今年(2001)5月に東洋・太平洋チャンピオン(スーパーウエルター級)になったときの試合は残念ながら観ることができなかった。戦歴。
その竹地君が、今年8月10日早朝、琴平――彼は足腰を鍛えるため金比羅さんの石段で駕籠担きのバイトをやっていた――の表参道路地の用水路付近で首を吊った状態で発見された。原因は、不倫説、ジム(丸亀ではない)とのトラブル説など色々の噂が流れているが、はっきりしない。
尾崎が27歳、竹地君はそれよりも早い24歳。先日、自殺現場に詣でてきた。なんともやりきれない。しかし、爽やかな風を彼は残してくれた。