一味違う三木紹介
 
 
 『テクノ時代の創造者』より引用 (p.358〜p.361)
 書き下ろし人物評伝シリーズ「二十世紀の千人」の第5巻(全10巻)
 朝日新聞社編  1995年  朝日新聞社刊
 
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三木成夫  
 解剖学者・ライフサイエンティスト
 日本
 
 一九二九年(大正十四年)十二月二十四日〜一九八七年(昭和六十二年)八月十三日
 
 
独自の生命観を語る多彩なメタファー
 
 
 一九八〇年代の中頃、ぼくは月刊誌『ライフサイエンス』の編集者をしていた。分子生物学という「セントラル・ドグマ」の強い枠組みの内側に閉じ込められてきた「生命科学(ライフサイエンス)」を解放し、哲学的人間学・医療人類学・地球生態学・生活環境学といった人間科学(ヒューマニティーズ)の学際領域にまで押し広げる意図をもった総合雑誌である。編集顧問は、独自の環境医学思想で知られ、哲学と医学、科学と常識、専門家と素人(レイマン)との間をインターフェイスしてきた中川米造(一九二六年〜)。ほぼ同じ文脈で「生命科学者(ライフサイエンティスト)」を自称するイギリスの博物学的エッセイスト、L・ワトソンを日本に呼び、国際シンポジウムを開いたのが八九年。残念だったのは、和製「生命科学者」三木成夫や、古代ユダヤ思想と現代の環境思想を架橋した箱崎総一らを、その饗宴に招待できなかったこと。二人とも、広く知られる前に、駆け足で世を去ってしまった。
 三木が生前に著した書は少なく、論文集も多くは死後に編集刊行されているため、生前の彼は、一部文化人や勤務先の東京芸大生にとっての「知る人とぞ知る」隠れアイドルにとどまっていた。しかし、三木が織り成す生命のファンタジーは、おそらく英語版に翻訳されていたなら、「生命潮流」という世界的流行語を生み出したL・ワトソン、地球=「ガイア」(地母神的な全体的生命概念)説によってエコロジストたちを鼓舞したJ・ラヴロック、古生物学者にして進化論エッセーの卓抜な語り部S・J・グールドらの著作と並んで、国際的ミリオンセラーになっただろうことは疑いない。
 彼が世を去る四年前に新書の形で出版され、唯一、広い読者層に受け入れられた『胎児の世界』(八三年)という奇書がある。この本で名高いのは、胎児の初期発生プロセスにおいて、十九世紀ドイツの生物学者の名を冠した「ヘッケルの法則」=「個体発生は系統発生の短い反復である」という古ぼけた仮説を実証したことである。一九三〇年にJ・ニーダム(生物学者のちに中国文明史家)が化学的に仮説の妥当性を指摘して以来、三十年ぶりのマッド・サイエンティスト的貢献であった。ニワトリの受精卵から胚が発生し、ヒヨコとして孵化するまでの成長を一時間おきに墨を注入した標本によって追跡し、受精卵がほんの数日の間に魚類→両生類→爬虫類→鳥類という系統発生史の大河を渡るプロセスを、スライドにおさめた。とくに、発生四〜五日目の原始魚類から陸生の原始爬虫類への移行を、顔の原形(アーキタイプ)すなわち「おもかげ」から、劇的な変容(メタモルフォーゼ)の決定的瞬間として実証した。ニワトリは、ヒヨコになるまで祖先の労苦をたどり、五日目に陸をめざす。しかも、その前日・4日目には息絶え絶えの病気に陥り、来るべき跳躍にそなえ、蝶のさなぎのように満を持し、生命を賭して上陸を敢行する。同じくヒトの胎児も、受胎三十〜三十六日目ごろに(子宮の中で)上陸する。この時期は母胎も、ツワリや食物嗜好の激変など、妊婦特有の病的危機に襲われる。
 この発生論的研究は、医学者・生物学者が崇める即物的データ主義ではなく、むしろゲーテやトムソンらの形態学(モルフォロギー)の系譜に連なる。三木にとっては、青春の日々に修得した解剖テクニックの到達点であると同時に、解剖学から離別する転機にもなった。ホヤやフジツボの類は、幼生のとき水中を泳げるのに、成長すると一歩も動かなくなる。カエルは、幼生(オタマジャクシ)のときエラ呼吸で水中を泳ぐが、成長し、上陸すると肺呼吸をする。不思議な両生類ウーパルーパは、一生カエル型のオトナにならず、幼生のまま性的に成熟してしまう。このように、系統発生的に先祖がえりした幼い形態のまま成熟することを、「幼形成熟(ネオテニー)」といい、これを単なる「奇形的退化」と見る者もあれば、「創造的進化」をもたらす文明論的原理と見る者もある。たとえば後者には、専門家も尻ごみする大著、グールド『個体発生と系統発生』(工作社)を翻訳した仁木帝都(てつ)や、ヘッケル仮説の研究者・田隅本生(もとお)などがいる。
 三木の軌跡は、まさに「幼形成熟(ネオテニー)」を地でいく人生であった。香川県丸亀に生まれ、岡山の旧姓六高を経て、九州大学工学部航空工学科に入学、まもなく終戦。戦後、二十一歳で東京帝国大学医学部に再入学するや解剖学者として出発し、三十歳で東大助手、三十二歳で東京医科歯科大学助教授。三十六歳で結婚した後、発生学に興味を移し、とうに不惑を過ぎて四十八歳、ついに実証科学の狭い枠組みに飽き足らなくなって東京芸大に移り、のびのびしたアーティストのタマゴやヒヨコに囲まれ、水を得た魚のように、独創の境地に達した。論文よりもエッセーを好み、医学専門誌より新聞や一般誌、さらにナース向け看護雑誌や哲学・思想・宗教雑誌といったメディアを執筆の舞台に選んだ。お茶の水から上野へ、象牙の塔から芸大という名のアルカディア(美術学部助教授と保健センター医を兼任、のちに学生相談医をも兼任して五十四歳で教授)へ、三木はみずから転身し、魂のルビコン川を渡りきった。はたして、彼のメタモルフォーゼは、「上陸」であったのか、「降海」であったのか……。
 三木の小宇宙には、ワトソン、ラヴロック、グールドらに共通する一九七〇〜八〇年代生命思想の惑星群が、独特のロマンチックな文体でちりばめられている。そのエッセンスは「生命記憶」「生命リズム」「幼形成熟(ネオテニー)」「母性進化」「螺旋宇宙」など。これら生命概念の島々は、ワトソンらと三木が遠く海をへだてた平行進化によって、同時に到達した「思想のガラパゴス諸島」である。
 さらに、世界に名だたる論客を向こうに回して引けを取らない、三木独自の生命概念として、ときには「おもかげ」「ふるさと」「たまり」といった繊細で、ときには「内臓波動」「食と性の位相交代」「原響」「永遠周行」といった剛直な、硬軟とりまぜて語られる魅力的なメタファー群がある。
 特筆すべきは、「内臓波動」。この三木独自の文明論と、著名な『文明の生態史観』『情報の文明学』で知られる梅棹忠夫(一九二〇年〜)の文明論は、奇しくも発生論的には対照的である。梅棹が「情報化社会」を神経・皮膚・感覚系の「外胚葉文明」の帰結と見て、ソトでの現地調査(フィールドワーク)を重視したのに対して、三木は体壁系(感覚・運動器官)よりも内臓系の中に深い叡知の源泉を見て、ウチなる「内臓王国」と呼び、ついに一歩も日本を出なかった。共通点は一つ。二人とも、欧米からの学説輸入だけに汲々とする学者など、歯牙にもかけないことだ。未来は、砂漠のキャラバンの中、市場の人混みの中、何よりもカラダの中にある。あなたの「内臓王国」にも、太古の海からのメッセージが届いている。 藤本憲一
 
 
筆者:藤本憲一氏。
 1958年、兵庫県生まれ。武庫川女子大学教授。現在、生活情報学科助教授と生活美学研究所員を兼任。情報美学・メディア環境論専攻。編集者、コピーライター、シンクタンク研究員などの経歴をもつ「モバイル」研究者。「ケータイ」文化を追って、日本からアジア、ヨーロッパへと調査領域をひろげている。著書に『ポケベル少女革命−メディア・フォークロア序説』(エトレ)、『ポケベル・ケータイ主義!』(共著、ジャストシステム)、『戦後日本の大衆文化』(共著、昭和堂)など。