福岡収容所
 
 大正3年11月開設。将校は洲崎の日赤支部に、下士官・兵卒は柳町の遊郭跡に収容した。将校収容所には、ワルデック総督以下の幕僚が収容された。
 大正4年に将校の脱走事件、また大正6年にはフォン・ザルデルン事件(福岡市内で借家住まいをしていたフォン・ザルデルン大尉の妻が、侵入した強盗に刺殺され、これを知った大尉も収容所内で後追い自殺した)が発生する。それもあって、福岡収容所は段階的に移転・解消される。将校収容所は大正7年3月、習志野に移転。

所長:中佐 久 山 又三郎 大正3.11.11〜大正5. 1.14
   中佐 白 石 通 則 大正5. 1.14〜大正5.11.15
   中佐 江 口 鎮 白 大正5.11.15〜大正7. 3.13
   ?          大正7. 3.13〜大正7. 4.12