ヘルマン・ハンゼンの略歴
 
 
 フレンスブルク市在住のプスト氏の調査によりますと、市や教会の文書などから明らかになった略歴は次のとおりです。
 
 
 1886.11.26.  フレンスブルク市近くの、グリュックスブルクで
              生まれる。フレンスブルクで育ち、シュテッテ
              ィーン(現在ポーランド領)で音楽を学ぶ。
 
 1904. 5(17才) 海軍に入隊
 
 1909.10(22才) 負傷して一時帰宅。12月に原隊復帰
 
 1914.11(28才) 青島で、「膠州海軍砲兵大隊(MAK)第3
              中隊」の一等軍樂兵曹として活躍。徳島、
              板東で俘虜生活を送るが、「徳島オーケス
              トラ(後に「MAKオーケストラ」と改称)の指
              揮を取る。
 
 1918. 6(31才) 板東収容所で「第九」を演奏
 
 1919. 8(32才) シュレースヴィッヒの帰属を決める住民投票
              のため帰国
 
 1920   (34才) 傷病のため公務員を希望。市の広報係、
              秘書官、参事などを務める。結婚
 
 1925   (39才) オーケストラがなかったため、声楽クラブ「フェ
              ニックス」に参加していたが、この年に指揮者に
 
 1927.3.13(40才) 病気のため死亡。墓には楽器が刻まれ
              ていたそうだが、子どもがいなかったため現存
              しない。