日独戦争におけるドイツ側階級名・部隊名について

                                 星   昌 幸

(習志野市教育委員会)

 

1.はじめに

 田村館長より第3号への原稿として、ドイツ俘虜史の随所に顔を出す当時のドイツ側の階級名・部隊名についてレポートせよ、との指示をいただいた。10月の全国フォーラムでは、階級名・部隊名について研究者の間でかなりの食い違いがある問題が取り上げられようとしており、その検討の叩き台が求められていることと思われる。

 筆者はもとより浅学でありその任に堪えられないが、全国フォーラムで検討・是正されることを前提に、以下、筆者なりの試論を述べてみることとしたい。

 

2.日本側の公定訳について

 ところで、ドイツ俘虜を収容するに当っては、俘虜情報局はドイツ側の階級名を把握し、公定訳を設けている。資料1は、防衛庁防衛研究所所蔵の陸軍省文書「大正三年乃至九年戦役俘虜ニ関スル書類」(陸軍省・日独戦役/T3〜5/38)に所収の「通報要領」に付録として付けられた官階表である。ドイツ陸軍・海軍、オーストリア海軍の3つを、ここに転載した。

 「掌砲」「掌水雷」など、当時としても海軍部内の人間でないと聞き慣れない表現も見受けられるが、日本側の文書類は俘虜の階級としてこの表に準拠して書かれており、その意味では今後もこの公定訳に従うのが便利であろう。

 一つの問題として、ドイツ側の昇進がある。青島戦のさなか、あるいは俘虜として収容されている間に昇進している者があり、この場合、戦時国際法上収容国は、収容時の階級で処遇すればよいことになっている。ドイツ側の記録に「少佐」とあり日本側の記録は「大尉」としていたりするのは、こういう事例であろうと思われる。

 

3.俘虜名簿上の階級について

 本誌の読者ならば既にご存知のことと思うが、ドイツ・ザールラント州クッツホーフ在住の歴史家ハンス=ヨアヒム・シュミット氏は、移り住んだ自宅がたまたま、往時習志野に収容された元俘虜アンドレアス・マイレンダーの遺宅であったことから研究に取り組み、ドイツ側史料の収集に目覚しい成果を挙げられている。特にその成果をインターネット上に公開し、日本からもいつでも簡単に利用できるように配慮してくれている。本誌の“公認私設”ホームページとも言うべき「チンタオ・ドイツ兵俘虜研究会」とはパートナー・サイトの関係を結び、インターネット上での日独共同研究の場となっているのであるhttp://www.tsingtau.info/

 そのシュミット氏は、約5000名に上る俘虜名簿をパソコンに打ち込み、データベースとして公開してくれている。このお蔭で、例えばデュッセルドルフ出身で習志野に収容されていた者は何人いたか、砲艦「ヤーグアル」所属の俘虜でObermatroseは何人いるか、といった、紙の俘虜名簿では膨大な時間を要する作業に、瞬時に答えが出るようになった。文字がつぶれてファースト・ネームと収容所しか読み取れない者の捜索、などということも、「Vorname:Fritz」「Familienname:Ru*」「Lager:*NAR」(ファーストネームがフリッツで姓がRu…、収容所は、当初のどこかから最終的に習志野)と検索してやれば、何人かの候補者に絞り込むことができる。出来上がってしまえば至って便利なものだが、5000名のデータを打ち込んだ手間を思えば、シュミット氏にはただただ感謝するばかりである。

 そのシュミット氏のデータベースから、階級名を抽出、ABC順に並べ、資料1から公定訳を入れてみたものが、資料2である(なお、左欄外の番号は、以下の叙述のために筆者が振った整理番号。また、イタリックはオーストリア兵)。「陸」は独国陸軍官階表に、「海」は同海軍官階表に該当があるものであり、オーストリア海軍は「墺海」と、また、ここには掲げなかった墺洪国陸軍官階表に該当があるものには「墺陸」と付記してある(但し、青島のオーストリア軍は「カイゼリン・エリーザベト」号の海軍だけだったはずであり、この点には疑問が残る。後述)。

 ご覧のように、資料1に該当がなく公定訳が入れられないものが157件。その大半は予備役、後備役といった付加語を加えることで解決がつくのだが、なお解決できないものが50件ほど残る。この理由は不明であるが、俘虜情報局の官階表にはいつ時点のものか記載がなく、日本側がこれを入手、公定訳を付した後に、ドイツ側で官制の変更があったというケース。また逆に、後備役の古兵が自分が現役の時の官名を名乗った場合、最新の官階表には改正されていて該当がない、というケースもあるのかも知れない。あるいは、日本側が入手した表が不完全であったといったことも考えられよう。なお、オーストリア海軍の下士卒については、階級の上下を掲げるだけで、それぞれの公定訳は付されていない。「機関科二等卒」「按針科四等下士」のように表現するのであろう。

 さてそこで、公定訳が埋まらなかったものについては、何らかの訳語を入れてやらなければならない。これが本稿の以下の主題であり、筆者の試訳を資料2の右欄に掲げてみた。

 

4.ラントヴェーア、ゼーヴェーア、ラントシュトゥルムについて

 まず目につくのが、「d. Landw.」「d. Seew.」「d. Lst.」といった付加語である。それぞれ、ラントヴェーア(Landwehr)、ゼーヴェーア(Seewehr)、ラントシュトゥルム(Landstrum)であるが、これをどう訳すべきであろうか。

 幸い筆者は、「1867年兵役法」(Gesetz, betreffend die Verpflichtung zum Kriegs-dienste. Vom 9. November 1867)というものを目にすることが出来た。たまたまインターネット上で拾えただけ(http://www.documentarchiv.de/)のことで、半世紀後の第一次大戦当時にもこのとおりであったのかどうかはわからないが(註1)、参考として要点を書き出してみることにしたい。

 

    軍事力は、陸軍・海軍とラントシュトゥルムで構成される(2条)。陸軍を、常

   備軍とラントヴェーアに分かつ。海軍を艦隊(Flotte)とゼーヴェーアに分かつ(3

   条)。

    陸軍の場合、現役3年・予備役4年で(6条)、その後、後備役5年はラントヴ

   ェーアの要員となる(7条)。

    海軍の場合は種々の特例があるが、ゼーヴェーアは、予備役を終えた者とその他

   海軍に兵役義務を負う満31歳までの現役でない者によって構成される(13条)。

    ラントシュトゥルムは、満17歳から満42歳までの、いずれの陸海軍部隊にも

   属さない兵役義務者によって構成される(3条)。

 

 ここで日本の戦前の兵役を例に取れば、現役・予備役・後備役・国民兵役を経て退役することになっていた(時期や陸海軍の別によって違いがあるが、現役2年・予備役5年4月・後備役10年・国民兵役40歳まで、というのが昭和9年の陸軍の例)。予・後備がいわゆる在郷軍人であり、平時には時々教育召集を受けて演習を行う以外には、普通に市民生活を営んでいた。また戦時には、いわゆる赤紙によって臨時召集され、急遽戦地に赴くことになっていた。

 以上のことから、まずラントシュトゥルムは、いわゆる国民兵役に服する者を有事に際し緊急召集した部隊であることがわかる。「国民軍」という訳語が考えられよう(第二次大戦の戦記物では、「国民突撃隊」などという訳例も見受けられる)。これに対して、ラントヴェーア、ゼーヴェーアは、後備役の者を召集したものである。「陸軍後備軍」「海軍後備軍」と考えてはどうであろうか(註2)。

 

 各国のお国ぶりが強い陸軍に対して、海軍は各国とも多かれ少なかれイギリスを模範とする点では共通している。そこからの類推なのだが、あるいはゼーヴェーアは、いわゆる「海軍予備員」を基幹にしているのではないか、とも想像される。

   日本の海軍にもあった海軍予備員の制度は、商船学校を出て商船員になると同時に、

  海軍の予備役にも服し、有事の際には現役の海軍軍人になるものである。呼称としては、

  海軍予備少尉等と呼ばれたようである(余談にわたるが、作家・阿川弘之氏の作品など

  で知られる海軍予備学生は、これとはまったく別の制度である。阿川氏ら学徒出陣組の

  ケースを「海軍予備少尉」と誤記している場合があるが、正確には「予備学生出身の海

  軍少尉」なのであって、ここに言う予備員とは区別されなければならない。もちろん海

  軍兵学校出身の、“本物”の海軍少尉よりは格下に見られ“消耗品”扱いされたことは、

  阿川作品に見られるとおりである)。

 独和辞典を引くとMarineには「商船隊」と「海軍」の二義があり、特に海軍を商船隊と区別する必要があるときはKriegsmarineと言う、とある。海軍の歴史をひもとけば、商船と海軍、そして海賊は、本来同じものだった。その名残がこうした点に表れているのであろう。

 

 次に、義勇兵(Kriegsfreiwillige)は国民軍と違い、兵役免除・退役など、そもそも兵役義務がない者の志願による不正規軍である。また、民兵(Miliz)が、あらかじめ登録した者を召集する不正規軍であるのに対し、義勇兵は志願による点が異なる。

 なお、一年志願兵(Einjährigfreiwillige)は、義勇兵とは区別しなければならない。兵役義務者が志願により、軍服・装備、食費などを自弁することによって、現役を1年に短縮する恩典を受ける一方、除隊時には将校候補の資格を得られる制度である。よほどの金持ちの子弟でないと利用できない制度であった、と言われている。

 有事の際の将校・下士官の補充は、各国にとって重要問題であった。召集によって簡単に補充できる兵卒に比べ、あらかじめ多少の軍事教育が必要だからである。上に述べた海軍予備員の制度や、短期現役主計将校制度などもその一例であり、日本陸軍には特別幹部候補生(甲種は将校要員、乙種は下士官要員)の制度があった。最初は二等兵として入営するものの、その後の進路が一般兵とは違っていた。そういった制度の一つとして、この時期のドイツでは一年志願兵というものがあったのである。

 最後に、その他の階級に付加される語を見ておこう。d. R.der Reserve「予備役」、z. D.zur Disposition「待命」、a. D.außer Dienst「退役」という訳語でいかがであろうか。

      註1: この後、1888年兵役法も制定されている。『ディ・バラッケ』第1巻の解説

         (大和啓祐教授)を参照のこと。

      註2: 但し、明らかに海軍の階級なのに「d. Landw.」が付されているものが散見され

         る。整理番号7Artilleristenmaat d. Landw.9番にArtilleristenmaat d. Seew.

         がある)、124Maschinistenmaat d. Landw.(同じく、126番にMaschinistenmaat

         d. Seew.)、190 番Obermatrose d. Landw.192番にObermatrose d. Seew.)、194

         番Obermatrosenartillerist d. Landw.196番にObermatrosenartillerist d.

         Seew.)、237238Seesoldat d. Landw.240番にSeesoldat. d. Seew.)、275

         番Torpedomatrose d. Landw.283284285Unteroffizier d. Landw.287

         288番にUnteroffizier d. Seew.)などである。

          海軍でも、ArtilleristenmaatSeesoldatといった陸戦要員がLandwehrにな

         るのはわかるが、TorpedomatroseLandwehrになることがあった訳である。こ

         うなると、陸軍の後備部隊はLandwehr、海軍の後備部隊はSeewehrと単純に割

         り切る訳にはいかないのであろうか。これらの点は、次項「試訳の検討」で再論し

         たい。

 

5.試訳の検討

 前々項に記したように、資料2の右欄に筆者の試訳を掲げてみた。ここでは、それぞれについて多少のコメントを付して、後日の検討に備えることとしたい。該当者名の括弧内の数字は俘虜番号、また氏名の後に所属部隊を記し、末尾の漢字は最終の収容所(習志野、名古屋、青野ヶ原、板東、似ノ島、久留米)の略記である。なお、MatroseSeesoldatなど該当者が多数に上るものは人数にとどめた。

 

整理番号2 Artilleriemechanikeranwärter

 二等見習砲工技手」としてみた。海軍・工機団の項にArtilleriemechaniker二等砲

 工技手があり、そのAnwärterと考えた。二等砲工技手と一等砲工の間に一つ空欄があ

 り、ここに相当するのではないだろうか。 (2292)Walter Loeschmann, Artillerie-Depot ()

整理番号4 Artillerievorarbeiter 3. Kl.

 「砲兵四等下士」としてみた。オーストリア兵である。オーストリア海軍・工作科の項

 にVorarbeiter 3. Kl.四等下士があることから類推した。 (2452)Ludwig Wohlfarth,

 Kaiserin Elisabeth ()

整理番号5 Artilleriewart

 「砲兵見習」としてみた。海軍砲兵隊の項に該当はない。 (2339)Lorenz Nilsson,

Artillerie-Depot ()(2392)Wilhelm Schoenau, Artillerie-Depot ()(3140)Hermann,Steudner,

 Inspek-Depot ()

整理番号7 Artilleristenmaat d. Landw.

 「後備役砲兵伍長」としてみた。海軍砲兵隊の項に、Artilleristenmaatがある。但し、

 Landw.を前掲のように陸軍後備軍と考えれば、海軍砲兵伍長がなぜLandw.なのか、検

 討を要する。(882)Hermann Bodenstedt, MAK5 ()

整理番号8 Artilleristenmaat d. Res.

 「予備役砲兵伍長」としてみた。 (869)Max Burberg, MAK2 () 他15名

整理番号9 Artilleristenmaat d. Seew.

 「海軍後備役砲兵伍長」としてみた。整理番号7と違って、Seew.ならば理屈が通る話で

 ある。(1202)Erich Knüpfel, MAK5 ()(1203)Wilhelm Krüger, MAK5 ()(1282)Hugo K. A.

 Lehmann, MAK5 ()(1473)Eduard Sperling, MAK2 ()(1491)Gerhard Scharlemann, MAK5 ()

整理番号13 Bootsmannsmaat d. Res.

 「予備役二等兵曹」としてみた。 (1490)Hugo August Robert Schröder, MAK5 ()

 (3586)Werner Pieck, MK ()(4184)Otto J.Heinzel, MAK3 ()

整理番号 14 Bootsmannsmaat d. Seew.

 「海軍後備役二等兵曹」としてみた。全般にLandw.は単に「後備役」、Seew.は「海軍

 後備役」としてみたのだが、明らかに海軍のものは、単に「後備役」でもよいかも知れ

 ない。(150)Richard Liessen, MK ()(247)Franz Suran, MK () (1744)Hermann Kerkhof, MK

 ()(4314)Wilhelm Vogeler, MAK4 ()(4336)Richard Bock, MK ()

整理番号16 Botteliersmaat d. Seew.

 「海軍後備役二等厨宰」としてみた。海軍・工機団の項には、単にOberbottelier

Bottelierと並んでいるが、これは本来、OberbotteliersmaatBotteliersmaatなので

はないだろうか(その下段のOberzimmermannsmaatZimmermannsmaat等から類推)。

(3470)August Kratteit, MAK5 ()

整理番号 17 Deckmatrose

 「甲板水兵」としてみた。オーストリア兵である。意味には異論ないであろうが、どう

 いう位置付けなのか、官階表になく不明である。 (1727)Nikolaus Gedsch, Kaiserin

 Elisabeth ()(3599) Johann Petrik, Kaiserin Elisabeth ()

整理番号 18 Dolmetscher

 「通訳」とした。陸軍の表の備考、「この他、陸軍高等文官として」と掲げられた中に

 入るのであろうか。 (276) Prof. Dr. Johannes Überschaar, Stab/Nachrichtenabteilung ()

 (4575)Walther Rollhausen, SB ()

整理番号 19 Einjährigfreiwilliger

 「一年志願兵」とした。但し、一年志願兵は兵役の種別であって、何の職務に任じられ

 たのかは、ここには表れていない。 (786)Christof Tucher, Freiherr von Simmelsdorf, SB5

()(930)Erich Bornemann, MAK ()(1733)Karl Hafner, SB6 ()(1797)Hermann Voigt, SB6

()(4590)Helmut Schulze, SB6 ()

整理番号 20 Fähnrich d. Res.

 「予備役見習士官」とした。少尉任官せず見習士官のまま予備役というのも変な感じは

 するが、兵役法の規定次第では、あり得ないことではないのであろう。 (2825)Hans

 Wilhelm Dahm, SB6 ()

整理番号 22 Feldwebel d. Landst.

 「国民軍曹長」とした。Feldwebelは陸軍にも海軍(水兵団、海軍砲兵隊、海軍歩兵隊)

 にも見られる。Landst.は前掲により、「国民軍」としてみた。  (2984)Gustav Klimant,

 Landsturm ()

整理番号 23 Feldwebel d. Landw.

 「後備役曹長」とした。  (1842)Max Bunge, SB7 ()(4657)Adolf Weber, SB ()

整理番号 24 Feldwebel d. Lst.

 「国民軍曹長」、Lst.Landst.で、整理番号22と同じである。  (4712)Ernst Keining,

 Landsturm ()

整理番号 25 Feldwebel d. Seew.

 「海軍後備役曹長」とした。 (4432)Karl Rudolph, Garnisonverwaltung  () (4493)Heinrich

 Engel, SB3 ()

整理番号26 Festungsbau-Feldwebel

 「築城曹長」としてみた。陸軍の表にWallmeister(築城下士)の項があるが、

 Festungsbauの用語が見当たらない。 (2215)Johann (Hans) Hoffend ()(2986)Friedrich

 Karius ()(3563)Theodor Ortlepp ()。所属は3名ともFortifikation

整理番号 27 Festungsbau-Hauptmann

 同じく「築城大尉」としてみた。  (614)Friedrich Moslener, Fortifikation ()

整理番号 28 Festungsbau-Leutnant

 同じく「築城少尉」としてみた。 (457)Johann Griesser ()(2833)Adolf Deutschmann ()

 所属は2名ともFortifikation

整理番号 31 Feuerwerks-Leutnant d. Res.

 「予備役掌砲少尉」とした。   (1316)Friedrich Modde, MAK/Batt.11/11a ()

整理番号 32 Feuerwerksmaat

 「二等掌砲兵曹」、海軍・水兵団の項にあるのはFeuerwerkersmaatであるが、同じで

 あろう。(100)Ernst Harm, Jaguar ()(2237)Fritz Irmer, Artillerie-Depot ()(2349)Wilhelm

 Prange, Artillerie-Depot ()(2427)Wilhelm Tegge, Artillerie-Depot ()(4710)Walter

Strempel, 1.Matrosen-Division ()

整理番号 34 Flugzeugführer

 「飛行士」とした。意味には異論ないであろうが、どういう位置付けなのか、官階表に

 ないので不明である。  (4421)Franz Oster, Flieger-Abt. ()

整理番号 37 Funkentelegraphiegast

 「二等無線電信兵」とした。陸軍の表にはTelegraphist(電信兵)、Funkensprech-

 abteilung(無線電信隊)があり、これは海軍であろうか。 (144)Richard Kaie, Jaguar ()

 他7名

整理番号 40 Gefreiter (Einjährigfreiwilliger)

 「上等兵(一年志願兵)」としてみた。(478)Ernst Hafels, SB2 ()(533)Ernst Kluge, SB1 ()

整理番号 41 Gefreiter (Kriegsfrw.)

 「上等兵(義勇兵)」としてみた。  (2008)Hans Nielsen, SB7 ()

整理番号42 Gefreiter d. Landst.

 「国民軍上等兵」としてみた。 (2145)Hans Bahlke, Landsturm () 他6名

整理番号 43 Gefreiter d. Landw.

 「後備役上等兵」としてみた。  (236)Johann Schultz, OMD3 () 他59名

整理番号 44 Gefreiter d. Landw. (Kriegsfrw.)

 「後備役上等兵(義勇兵)」としてみた。但し、前掲の筆者の説明からすれば、後備役

 であり義勇兵でもあるということは、おかしなことになる。(2122)Martin Wannags, SB7 ()

整理番号 45 Gefreiter d. Landw. / Polizei?

 「後備役上等兵(警官?)」とした。?はシュミット氏が付したものか。 (4643)Bartholomaeus

Müller, MPK ()

整理番号 46 Gefreiter d. Landw. I

 「第一後備役上等兵」としてみた。Landw.IIISeew.IIIという表記が出てくるが、

 今のところ不明である。日本の兵役では、第一補充兵、第二補充兵の区分があったので、

 とりあえず「第一後備役」としてみた。   (1818)August Adler, SB7 ()

整理番号 47 Gefreiter d. Landw. II

 同じく「第二後備役上等兵」としてみた。  (1844)Fritz Braun, SB7 () 他13名

整理番号 48 Gefreiter d. Res.

 「予備役上等兵」とした。  (92)Heinrich Holch, OMD3 () 他67名

整理番号 49 Gefreiter d. Seew.

 「海軍後備役上等兵」とした。但し、海軍の表ではGemeine(卒)階層の一等をGefreiter

 二等をGemeinerとしているものの、具体的な官名はObermatroseMatroseなどとなっ

ており、陸軍のGefreiterが直ちに官名なのとは異なっているようである。(739)Fred

Steitz, SB2 () (795)Alfred Uhlig, SB2 ()(2045)Otto Richter, SB7 ()(2120)Peter

 Valder , SB7 ()(4635)Franz Kopietz, SB ()

整理番号 50 Gefreiter d. Seew. I

 同じく「海軍第一後備役上等兵」とした。  (2118)Otto Wuschhof, SB7 ()

整理番号 51 Gefreiter d. Seew. II

 同じく「海軍第二後備役上等兵」とした。 (1815)Heinrich Ahrens () (2085)Carl 

 Schwengenbecher ()(2119)Arthur Wess ()。所属は3名ともSB7

整理番号 53 Gemeiner d. Landst.

 「国民軍卒」としてみた。国民兵役の卒である。なお、「卒」とは耳慣れないかも知れ

 ないが、日本陸軍で一等卒・二等卒が一等兵・二等兵と改称されたのは、昭和7年であ

 った。大正のこの時期の用語としては、卒でよいのだろう。(4713)Valentin D.Ivanoff,

 Landsturm(阪)

整理番号 55 Geschützmeister

 「砲兵兵曹」としてみた。オーストリア兵である。オーストリア海軍・工作科の項に

 Obermeister(兵曹長)、Meister(上等兵曹)、Untermeister(一等下士)の3階級が

 あること、また、ここでは取り上げなかったオーストリア陸軍の表にGeschützführer

 (砲兵伍長)があることの類推からこのように訳したが、よくわからないと言わざるを

 得ない。 (2316)Dimitar Milovanovich, Kaiserin Elisabeth ()

整理番号 57 Hauptmann a. D.

 「退役大尉」としてみた。  (1584)Hans Schellhoss, Fortifikation/Ing.-Offz. d.Seefront ()

整理番号 58 Hauptmann d. Artillerie

 「砲兵大尉」としてみた。但し、陸軍の表の註が、砲兵大尉は特にRittermeisterと称

 する、としていることが、気にかかる点である。  (4711)Rudolph Morawek, Edler von,

 Feldkanonen-Regiment 17. ()

整理番号 59 Hauptmann d. Ing.

 「技術大尉」としてみた。   (956)Emil Berndt, SB/Ingenieuroffizier ()

整理番号 60 Hauptmann d. Landw. a. D.

 「退役後備軍大尉」とした。但し、整理番号 44と同じく、前述の説明からすれば、退役

 であり後備役でもあるということは、おかしなことになる。  (2457)Leonhard Ahlers,

 SB/General-stabsoffizier ()

整理番号 61 Hauptmann d. Mar.-Inf.

 「海軍歩兵大尉」とした。海軍歩兵将校の項には、Hauptleuteと複数形になっている。

(803)Georg Weckmann, SB1/Kdt. I-W. 1 () 他7名

整理番号 62 Hauptmann d. Res.

 「予備役大尉」とした。 (4452)Albrecht Welzel, SB/Polizeichef ()

整理番号 66 Heizer d. Landst.

 「国民軍焚火兵」としてみた。 (139)Simon Kraus, MK () (4628)Wilhelm Bauer, 2.

Werftdivision ()

整理番号 67 Heizer d. Res.

 「予備役焚火兵」とした。  (153)Paul Lersy , MK ()

整理番号 68 Heizer d. Seew.

 「後備役焚火兵」とした。  (4510)Julius Gerlach, MAK1 ()

整理番号 69 Heizerquartiermeister

 「焚火兵三等下士」としてみた。オーストリア兵である。機関科の三等下士はMaschinen-

 Quartiermeisterとなっているが、一等卒の所に「Heizer 1. Klasse」と「Maschinen-

 matorose」が併記されており、Heizerの三等下士としてHeizerquartiermeisterもあ

 ったのだろうと推測する。  (2198)Anton Granic, Kaiserin Elisabeth ()

整理番号 70 Hilfsdeckoffizier

 「見習准士官」としてみた。海軍の表「剣緒ある下士官」の下にDeckoffiziere(准士

 官)の階層があることから類推した。  (2447)Johann Winter, Fortifikation ()

整理番号 71 Hilfs-Oberleutnant

 Hilfs-がわからず、「中尉補」としてみたが、よくわからないと言わざるを得ない。

(4554)Ewald Lehmann, Landsturm II. Zug ()

整理番号72 Hoboist / SeeS.

 SeeS.Seesoldatであろう。「二等軍楽手/海軍歩兵隊卒」としてみたが、海軍歩兵隊

 卒については、Seesoldatの項(整理番号230以下を参照していただきたい。 (571)Otto

 Lehmann, SB1 ()

整理番号 73 Hoboistenmaat d. Seew.

 「海軍後備役軍楽兵曹」としてみた。海軍・水兵団の項は、二等軍楽手も軍楽生もHoboist

 としているが、その下の二等機関兵曹などは-maatを付しており、Hoboistenmaat

 二等軍楽兵曹なのではないかとも思われる。  (1335)Hans Millies, MAK ()

整理番号 74 Hoboisten-Unteroffizier

 「軍楽下士」としてみた。海軍・水兵団の項の軍楽兵は、Obermusikmeister以下、下

 士卒である。陸軍の表では、階層としてのUnterofizierの他に、特に伍長をUnter-

offizierとしている。あるいは、陸軍軍楽伍長の意味かも知れない。  (618)Richard

Nitschke, SB1 ()

整理番号 76 Kanonier d. Landw.

 「後備役砲兵卒」としてみた。ここでは掲げなかったオーストリア陸軍の表に、Kanonier

 (砲兵卒)がある。 (1582)Heinz Schaffrath, SHB ()(1778)Otto Rausche, SB. Res. ()

整理番号 77 Kanonier d. Res.

 同じく、「予備役砲兵卒」としてみた。 (2498)Carl Bettaque, SB/Res.-Feldbatterie ()

(2652)Julius Paustag, SB. Res. ()

整理番号 79 Kapitän zur See z. D.

 「海軍大佐(待命)」としてみた。日本の制度では、待命とは予備役編入の前提として

 補職をはずした状態であって、待命大佐といった官名はない。そこで末尾にかっこ書き

 してみたのだが、どんなものだろうか。  (1590)Wilhelm Timme, Gouv. ()

整理番号 82 Kriegsfreiwilliger

 「義勇兵」、意味には異論はないであろう。そもそも緊急時の不正規兵なので、官階表

 としては出てこない。  (507)Erich Hirsch, SB6 () 他6名

整理番号 83 Kriegsgerichtsrat, Geh. Regierungsrat

 「陸軍法務官・枢密顧問官」としてみた。  (4028)Heinrich Rosenberger, Gouv. ()

整理番号 85 Landwehrmann

 「後備兵」とした。ただ、Landwehrmannでは後備軍所属という意味しかなく、整理番号

19と同様の問題が残る。  (4415)Wilhelm Nies, SB7 ()

整理番号 86 Leutnant a. D.

 「退役少尉」とした。  (1784)Oscar A. A.Seckendorff, Freiherr von, SB7 ()

整理番号 87 Leutnant d. Landw.

 「後備役少尉」とした。  (356)Ernst Boesler, SB2 ()(2937)Julius Jaspersen, SB6 ()

 (3224)Wilhelm Biester, OMD ()(3628)Curt Rothkegel, MPK ()

整理番号 88 Leutnant d. Landw. a. D.

 「退役後備軍少尉」としてみた。整理番号 60と同じ形で、やはりLandw.a.D.の関係

 が、よくわからない。  (1460)Karl Strasser, Gouv. ()

整理番号 89 Leutnant d. Mar.-Inf.

 「海軍歩兵少尉」とした。   (326)Eduard Bier, SB3 () 他6名

整理番号 90 Leutnant d. Pion. d. Res.

 「予備役工兵少尉」とした。陸軍の表には工兵将校がなく、兵種細別表にPionierが出

 てくるのだが、これは日本側が官階表を手に入れた後で改正されているのではないだろ

 うか。  (3561)Albert Odermann, MPK ()

整理番号 91 Leutnant d. Res.

 「予備役少尉」とした。  (10)Hans Below, OMD () 他47名

整理番号 92 Leutnant d. Res. d. Mar.-Inf.

 「予備役海軍歩兵少尉」とした。 (564)Stephan Leist, SB1 ()(769)Otto Tabbert, SB1 ()

(3508)Dr. Friedrich Wilhelm Mohr, SB ()(3757)Walther Trittel, Stab/Chiffrieroffizier ()

 (4621)Fritz Zimmermann, SB7 ()

整理番号 93 Leutnant d. Res. d. Matr.-Art.

 「予備役海軍砲兵少尉」とした。  (1463)Wilhelm Simon, MAK/Zwstr. 1 ()、 (3841)Joseph

 Brilmayer, MAK5/Landfrontenartillerie, Batt.13 ()

整理番号 94 Leutnant d. Seew. a. D.

 「退役海軍砲兵少尉」とした。やはり、Seew.a.D.の関係が、よくわからない。退役

 海軍後備軍砲兵少尉、であろうか。  (1155)Hans Hartmann, Tsingtau-Werft ()

整理番号 96 Leutnant zur See d. Res.

 「予備役海軍少尉」とした。  (3472)Friedrich Klemann, Gouv./Schiffbau ()(3840)Bernhard

 Baehring, MAK3 ()

整理番号 99 Maat

 「海軍二等兵曹」としてみた。しかし、官階表に表れる-maatはみな付加語に使われて

 おり、単にMaatと言ったときはどういう意味なのか、なお検討する必要があろう。

 (2246)Franz Jodl, Kaiserin Elisabeth ()(2554)Karl Hoff, MPK ()

整理番号100 Maat d. Res.

 「予備役海軍二等兵曹」としてみた。  (3240) Dr. Otto Becker, MAK5 ()、 (4673)Franz

 Schortz, Insel-Verteidigung(?)

整理番号101 Maat d. Seew.

 「後備役海軍二等兵曹」としてみた。   (4337)Willy Bremser, MK ()

整理番号102 Major d. Ing.

 「技術少佐」としてみた。陸軍の表の備考は、陸軍高等文官としてIngenieurあり、

 として、技術将校というものを掲げていない。やはり、過渡期だった故なのだろうか。

 (1458)Carl Siebel, Stab/Ingenieuroffizier vom Platz ()

整理番号103 Major d. Mar.-Inf.

 「海軍歩兵少佐」とした。  (316)Ernst Anders, SB/Abt.-Kdt. ()(1181)Georg von Kayser,

 Stab/Adjudant des Gouv. Dolmetscher-Offiz., Platzmajor ()(2949)Eduard Kleemann, SB5

 Kdr./Abt.-Kdr. ()(4451)Hasso von Wedel, SB3/Kdt.-I.-W.5 ()

整理番号104 Marinefeldartillerist

 「海軍野砲兵」としてみた。海軍砲兵隊の項はMatorosenartilleristを最下位にしてい

 るが海軍歩兵将校の項にはFeldartillerieoffizierがある野砲を担当するMatorosen-

 artilleristを特にMarinefeldartilleristと呼んだのだろうか(3)Eugen Adler, OMD ()

 他63名

整理番号119 Maschinenwärter

 「機関科兵曹」とした。オーストリア兵である。オーストリア海軍の表には、Oberstabs-

 Stabs-Unter-の3等級のMaschinenwärterがあるので、そのどれかであったのだろ

 う。 (2266)Maximilian Koegl ()(2311)Robert Malle ()。所属は2名ともKaiserin Elisabeth

整理番号121 Maschinist d. Seew. II

 「海軍第二後備役上等機関兵曹」としてみた。  (3137)Hermann Schlichtiger, Gouv. ()

整理番号124 Maschinistenmaat d. Landw.

 「後備役二等機関兵曹」とした。やはり、-maatと海軍なのにLandw.だという問題が

 残る。  (4647)Otto Pape, 所属不明 ()

整理番号125 Maschinistenmaat d. Res.

 「予備役二等機関兵曹」とした。  (1179)Leo Jankowski, Gouv. ()(3393)Hajo Habben Iben,

 MK ()(3550)Wilhelm Neese, MK ()(4376)Hermann Hoffmann, MK ()

整理番号126 Maschinistenmaat d. Seew.

 「海軍後備役二等機関兵曹」とした。  (245)Johann Schröder, MK () 他6名

整理番号128 Matrose (Einjährigfreiwilliger) 

 「二等水兵(一年志願兵)」とした。  (3719)Walter Sonne, MK ()

整理番号133 Matrose d. Res.

 「予備役二等水兵」とした。  (31)Georg Berkmann, MK () 他5名

整理番号134 Matrose d. Seew.

 「後備役二等水兵」とした。  (1598)Louis Torbohm, MAK5 ()(3388)Max Hirsch, MAK5 ()

 (3637)Otto Reisener, MAK1 ()

整理番号136 Matrosenartillerist (Kriegsfrw.)

 「二等砲兵(義勇兵)」とした。  (4207)Karl Kandulski, MAK4 () 他5名

整理番号137 Matrosenartillerist d. Res.

 「予備役二等砲兵」とした。  (879)Wilhelm Bergmann, MAK4 () 他10名

整理番号138 Matrosenartillerist d. Seew.

 「海軍後備役二等砲兵」とした。 (870)Karl Bang, MAK2 ()(1443)Max Radau, MAK ()

整理番号139 Matrosenartillerist d. Seew. II

 「海軍第二後備役二等砲兵」とした。  (4307)Peter Schimmel, MAK5 ()

整理番号140 Meistermaat d. R.

 「予備役二等船匠兵曹」としてみた。海軍・工機団の項、Meister(船匠師)の下は

 Zimmermannsmaatとなっているが、Meistermaatもこれと同義と考えた次第である。

 あるいはMeisterOberzimmermannsmaatの間の空欄に来るのかもしれない。 (1205)

 Heinrich  A. W. Knust, MAK5 ()

整理番号141 Meistermaat d. Seew.

 同じく「海軍後備役二等船匠兵曹」としてみた。  (3966)Heinrich Kostka, MAK5 ()

整理番号142 Militär-Bäcker

 「軍用麺麭夫」とした。海軍には工機団にBäckermeisterからBäckergastの3等級が

 あり、Militär-Bäckerは陸軍のパン焼きかも知れないと想像される。 (2654)Otto Pfluger,

 SB4 ()

整理番号143 Minenmann 2. Kl.

 「水雷科二等卒」とした。オーストリア兵である。オーストリア海軍の表は「甲板、砲

 熕、魚雷、敷設水雷、電信科」とまとめられているが、この中にまた、各科独特の官名

 があるに違いなく、煩瑣なので省略されているのだろうと考えられる。  (2208)Anton

 Gregor, Kaiserin Elisabeth ()

整理番号144 Minenvormann 1. Kl.

 同じく「水雷科二等下士」とした。工作科の項にVorarbeiter 1.-3.KlasseArbeiter

1.-2.Klasseの等級があり、これと並行に考えるならば、Minenvormann 1. Kl.は二等

下士、前項Minenmann 2. Kl.は二等卒だろうと思われるのである。  (2290)Wenzel Kneifl,

Kaiserin Elisabeth ()

整理番号147 Oberartilleriemechaniker-Anwärter

 「一等砲工技手見習」としてみた。海軍・工機団の項、Oberartilleriemechaniker

 下は、-maat-gastと続き、Anwärterは見当たらない。あるいは、Artilleriemechaniker

 とOberartilleriemechanikersmaatの間の空欄がこれであろうか。  (263)Georg Söyka,

 Jaguar ()(4123)Alwin Bahr, 1.Werft-Div./MAK4 ()

整理番号150 Oberartilleristenmaat d. Seew.

 「海軍後備役砲兵軍曹長」とした。なお、海軍砲兵隊の項には、“曹長、砲兵軍曹長、

 砲兵伍長”とあるのだが、「軍曹長」は誤植で、砲兵軍曹でよかったのではないかとも

 思われる。 (904)Christian Buroh, MAK ()(3950)Eugen Klingner, MAK2 ()(4165)Adolf

 Glöckner, MAK1 ()

整理番号155 Oberfeuerwerker d. Landst.

 「国民軍火工曹長」とした。Oberfeuerwerkerは、陸軍の表では火工曹長、海軍の表

 では掌砲兵曹長。Landst.との関係で陸軍の方を採ってみた。 (3243)Adolf Berker, MAK ()

整理番号157 Oberfeuerwerksmaat d. Seew.

 「海軍後備役一等掌砲兵曹」。こちらはSeew.との関係で「掌砲」を使ってみた。 

 (3725)Gustav Schneider, MAK2 ()

整理番号158 Oberfunkentelegraphiegast

 「一等無電員」としたが、いずれの表にも出てこない。Oberartilleriemechanikersgast

 等の形から、海軍の一等水兵相当だろうと考えた。  (2241)Artur Jörnsch ()(2338)Willi

 Nickchen ()(2369)Friedrich Rosenfelder ()。所属は3名ともGouv.

整理番号159 Oberfunkentelegraphist d. Res.

 同じく「予備役一等無電手」としたが、いずれの表にも出てこない。陸軍の兵種明細表

 にはTelegraphist(電信兵)がある。  (1211)Ernst Kammerer, MAK5 ()

整理番号161 Obergefreiter d. Res.

 「予備役一等上等兵」とした。  (961)Carl Born, MFB ()

整理番号163 Oberheizer / Hilfskrankenträger

 「一等焚火兵兼看護助手」としてみた。  (4582)Heinrich Radtke ()(4603)Karl Schulz ()

 2名とも所属不明。

整理番号164 Oberheizer d. Res.

 「予備役一等焚火兵」としてみた。  (136)Alois Kollewe, MK ()(3468)Adolf Kühne, MAK1

 ()(4624)Waldemar Apel, II.Werftdivision ()

整理番号165 Oberheizer d. Seew.

 「海軍後備役一等焚火兵」としてみた。「海軍」は不要かも知れない。 (211)Waldemar

 Rieger  ()(280)Franz Vetter ()(314)Alfred Zergiebel ()。所属は3名ともMK

整理番号166 Oberhoboistenmaat

 「一等軍楽手」とした。整理番号 73を参照。水兵団の項に、Divisiontambourとある箇

 所に相当するのではないだろうか。 (303)Hermann Wostmann, Jaguar ()(4185)Hermann

 Richard Hansen, MAK3 ()

整理番号167 Ober-Intendantur-Sekretär

 「経理部上級秘書官」としてみた。  (852)Gustav Zoepke, Deutsch Chin. Hochschule ()

整理番号168 Oberleutnant a. D.

 「退役中尉」とした。  (3581)Cajus Praschma, Graf, MFB/Fuhrpark ()(3640)Herbert von

 Riedlstein, Kaiserin Elisabeth ()

整理番号169 Oberleutnant d. Feldart.

 「野砲兵中尉」としてみた。  (456)Hans Grabow, MFB ()

整理番号170 Oberleutnant d. Inf.

 「歩兵中尉」とした。  (3323)Karl Gaul, SB ()

整理番号171 Oberleutnant d. Landw.

 「後備役中尉」とした。 (1578)Fritz Steinmetz, Dipl.-Ing. , Stab/Pionieroffizier ()

 (1686)Eugen Weigele, SB/Verkehrsoffizier ()(2050)Wilhelm Schliecker, SB7/Kdt.I-W.2 ()

 (3370)Lothar Heintze,MFB/Batt.Taubenkuppe ()(3905)Hermann Gödecke, MK/Festungs-

 feuerwehr ()

整理番号172 Oberleutnant d. Mar.-Inf.

 「海軍歩兵中尉」とした。  (9)Wilhelm Baacke, OMD1 () 他22名

整理番号173 Oberleutnant d. Res.

 「予備役中尉」とした。  (3013)Eduard Meyer , MFB ()(3507)Bruno Meyermann, Prof. Dr.

 phil. ,SB ()(3642)Ludwig Schulz, SB/Verkehroffizier ()(3822)Manfred Zimmermann, SB4

 ()(4428)Georg O. Rettberg, SB ()

整理番号174 Oberleutnant d. Res. d. Mar.-Inf.

 「予備役海軍歩兵中尉」とした。  (2449)Leopold Wiegand, Landsturm ()

整理番号175 Oberleutnant d. Seew. I d. Matr.-Art.

 「海軍第一後備役砲兵中尉」としてみた。 (3839)Richard Bergemann, MAK3 ()

整理番号177 Obermaat

 「一等兵曹」としてみた。整理番号 99を参照。 (1110)Karl Hess, MAK4 () 他7名

整理番号178 Obermaat d. Res.

 「予備役一等兵曹」とした。  (4402)Johann Lepp, MAK5 ()

整理番号179 Obermaat d. Seew.

 「後備役一等兵曹」とした。  (3042)Gustav Maass, MAK2 ()

整理番号182 Obermaschinisten-Anwärter d. Res.

 「予備役一等見習機関兵曹」とした。 (3754)Rudolf Tofte, MK ()(4130)Alwin Boehmer,

 MAK5 ()

整理番号183 Obermaschinisten-Anwärter d. Seew.

 「後備役一等見習機関兵曹」とした。  (4190)Heinrich Jebsen, MAK5 ()

整理番号184 Obermaschinisten-Applikant d. Seew.

 「後備役一等機関兵曹補」としてみた。海軍・工機団の項、Obermaschinisten-maat

 やObermaschinisten-anwärterは見つかるが、Obermaschinisten-Applikantは出て

 こない。「補」を付けて、Obermaschinisten-maatMaschinisten-maatの間の官と

 考えてみた。  (1488)Wilhelm Spiro, MAK5 ()

整理番号186 Obermaschinistenmaat d. Res.

 「予備役一等機関兵曹」とした。  (3230)Fritz Bass, MK ()

整理番号187 Obermaschinistenmaat d. Seew.

 「後備役一等機関兵曹」とした。  (1003)Carl Ensslin ()(1489)Alfred Schlund ()。所

属は2名ともMAK5

整理番号190 Obermatrose d. Landw.

 「陸軍後備役一等水兵」。今までの例ではLandw.は単に後備役としてきたが、Matrose

 でLandw.となると、やはり説明に窮してしまう。とりあえず「陸軍水兵」と、おかし

 な訳語を付して、今後の検討を待つことにしたい。現役は海軍で水兵を務め、後備役は

 陸軍に所属する、などという制度があったのであろうか。俘虜名簿(大正6年改訂)で

 は、わざわざ「d.Lw.」と付しているものの所属部隊はMAK(=海軍)と、何か矛盾

 して見える。(4636) Ewald König, MAK ()

整理番号191 Obermatrose d. Res.

 「予備役一等水兵」とした。 (1337)Volkert Meier, MAK5 ()(4179)Fritz Hubbe, MAK5 ()

 (4270)Heinrich Ruff, MAK5 ()(4442)Fritz Schorn, MK ()

整理番号192 Obermatrose d. Seew.

 「後備役一等水兵」とした。  (250)August Sachs, MK () 他10名

整理番号194 Obermatrosenartillerist d. Landw.

  「後備役一等砲兵」とした。やはり、MatroseLandw.の組み合わせである。  (3993)Kurt

 Mau, MAK3 ()(4443)Daniel Schmidt, MAK5 ()(4652)Willy Sabinski, MAK ()

整理番号195 Obermatrosenartillerist d. Res.

 「予備役一等砲兵」とした。  (857)Alfred Arnoldt, MAK () 他32名

整理番号196 Obermatrosenartillerist d. Seew.

 「海軍後備役一等砲兵」とした。  (875)Arthur Bialucha, MAK4 () 他12名

整理番号198 Oberschreibersgast d. Seew.

 「海軍後備役一等筆生」とした。  (4301)Franz Schattschneider, MAK5 ()

整理番号200 Obersignalgast d. Res.

 「予備役一等信号兵」とした。  (787)Franz Trautmann ()(3732)Heinrich Schribeck ()

 所属は2名ともMAK5

整理番号201 Obersignalgast d. Seew.

 「海軍後備役一等信号兵」とした。  (3594)Oskar Pirschel, MAK1 ()

整理番号202 Obersignalgast d. Seew. II

 「海軍第二後備役一等信号兵」とした。  (4218)Wilhelm Lampe, MAK3 ()

整理番号207 Obervermessungsgast d. Res.

 「予備役一等測量兵」とした。  (3639)Walter Rohde, SB Res. ()

整理番号212 Oberwachtmeistersmaat d. Seew.

 「海軍後備役衛兵長補」としてみた。  (1706)Julius Bauer, MAK3 ()(3816)August

 Weishaupt, MAK5 ()

整理番号214 Oberzimmermannsgast d. Seew.

 「海軍後備役一等木工」とした。  (4641)Fritz Liedtke, Landsturm ()

整理番号217 Pionier d. Landw.

 「後備役工兵卒」とした。   (2738)August Schwandt, MPK () 他6名

整理番号218 Pionier d. Landw. I

 「第一後備役工兵卒」とした。  (3146)Karl Thron, MPK ()

整理番号219 Pionier Gefreiter

 「工兵上等兵」とした。  (3378)Hans Haertel, MPK ()

整理番号220 Polizeiwachtmann

 「警察巡査」とした。  (4074)Heinrich Struck, Gouv. ()

整理番号224 Richter, Kriegsgerichtsrat

 「判事・陸軍法務官」とした。  (1636)Georg Wegener, Gouv./Justizverwaltung ()

整理番号226 Schreiber d. Res.

 「予備役二等書記」とした。  (1432)Karl Röstermundt ()(4003)Otto Neidt ()。所属は

 2名ともMAK5

整理番号228 Schreibersmaat

 「二等筆記」としてみた。海軍・工機団の項、Oberschreiberの下はSchreiberとなっ

 ているが、前後(BüchsenmachersmaatZimmermannsmaatなど)から、ここも

 Schreibersmaatの意味と解してみた。   (4273)Karl Rudloff, MAK1 ()

整理番号230 Seesoldat

  海軍歩兵隊(Marine-Infanterie)の最下級であるが、官階表の該当項目ではGemeine

 (卒)となっている。官階表が訳出された後にSeesoldatと改称されたのであろうか。

 今回このあたりの事情を詳らかにすることができなかった。またこれは、V.See-

 bataillonをどのように訳すか(第三海兵大隊、海軍歩兵隊第三大隊、第三陸戦大隊な

 ど)というところに関わってくる問題でもある。なお、Oberseesoldatは存在せず、

 Seesoldatの上は官階表どおりGefreiterである。

  海軍歩兵(海兵)とは本来、軍艦に乗組んだ陸兵であり、敵艦に接舷した際、刀槍や

 銃を持ち敵艦に乗り移って強襲する兵種であった。また、陸軍が派遣されない場合、上

 陸戦で軽歩兵として働くようになり、荒くれ者で知られるアメリカ海兵隊(陸・海・空

 軍と共に四軍を構成)は、まさに後者のイメージを代表するが、この時期のドイツ青島

 警備部隊のイメージとは乖離してしまう。日本では、海軍陸戦隊がこれに相当しよう。

  そこでSeesoldatを「海兵卒」とすることも考えたが、これでは年輩の方に“海軍兵

 学校卒業者”と誤読されてしまう心配もあろう。今回は官階表にしたがって「海軍歩兵

 隊卒」(その上のGefreiterは「海軍歩兵隊上等兵」)と、既に公定訳があるものと考え

 ることを提案して、今後のご批判と検討に待ちたいと思う。

  なお、あるホームページには、「海兵は、シュレスヴィッヒ・ホルシュタインとニー

 ダーザクセン出身者が優遇採用された」と記されている。 (11)Heinrich Bethge, OMD1 () 

 他988名

整理番号231 Seesoldat (dienstpfl.)

 「海軍歩兵隊卒(兵役義務者)」としてみた。整理番号233Seesoldat (Kriegsfrw.)

 峻別しようとしているのだろうか。  (1924)Bernhard Huber, SB7 ()(3054)Bruno Oelsner ,

 SB6()(3057)Rudolf Ottens, SB6 ()(3078)Gustav Rudolf, SB6 ()(3110)Kurt Schäfer, SB6

 ()

整理番号232 Seesoldat (Einjährigfreiwilliger)

  「海軍歩兵隊卒(一年志願兵)」としてみた。 (491)Thaddaeus Haertle,SB3 ()(2917)Alfred

 Hummel, SB6 ()(3030)Oscar May, SB6 ()

整理番号233 Seesoldat (Kriegsfrw.)

 「海軍歩兵隊卒(義勇兵)」としてみた。  (1851)Johannes Barth, SB7 () 他43名

整理番号234 Seesoldat / Bäcker

 「海軍歩兵隊卒兼麺麭夫」としてみた。  (4567)Willy Nottbusch, SB4 ()

整理番号235 Seesoldat d. Landst.

 「国民軍海軍歩兵隊卒」としてみた。  (1720)Julius F. Chr. Ebert, SB6 () 他17名

整理番号236 Seesoldat d. Landst. / Hilfskrankenträger

 「国民軍海軍歩兵隊卒兼看護助手」としてみた。   (3120)Rudolf Schubert, SB6 ()

整理番号237 Seesoldat d. Landw.

 「後備役海軍歩兵隊卒」とした。  (28)Wilhelm Böhmer, OMD3 () 他35名

整理番号238 Seesoldat d. Landw. II

 「第二後備役海軍歩兵隊卒」とした。  (1849)Albert Baumann, SB7 () 他6名

整理番号239 Seesoldat d. Res.

 「予備役海軍歩兵隊卒」とした。  (210)Franz Riegow, OMD3 () 他130名

整理番号240 Seesoldat d. Seew.

 「海軍後備役海軍歩兵隊卒」とした。  (1881)Ludwig Euler, SB7 () 他5名

整理番号243 Sergeant (Hoboist)

 「軍曹(軍楽手)」とした。   (2642)Wilhelm Pretzsch, MFB ()

整理番号244 Sergeant d. Landst.

 「国民軍軍曹」とした(3085)Otto Radseck ()(3162)Josef Wolff ()。所属は2名ともSB6

整理番号245 Sergeant d. Landst. II

 「第二国民軍軍曹」とした。  (2948)Ferdinand Jakob, Landsturm ()

整理番号246 Sergeant d. Landw.

 「後備役軍曹」とした。 (234)Christian Spohr, OMD3 () 他5名

整理番号247 Sergeant d. Landw. II

 「第二後備役軍曹」とした。 (2988)Leonhardt Krewerth, SB2 ()

整理番号248 Sergeant d. Seew.

 「海軍後備役軍曹」とした。  (1775)Paul Röttgen, SB7 ()(1803)Albert Wössner, SB4 ()

 (2815)Friedrich Bohn, SB4 ()

整理番号249 Sergeant d. Seew. II

 「海軍第二後備役軍曹」とした。  (2074)Wilhelm Schütze, SB7 ()(2816)Albert Becher,

 属不明 ()(2929)Philipp Hachenberg, MAK4 ()

整理番号251 Signalgast d. Seew.

 「海軍後備役二等信号兵」とした。  (3471)Alfred Kretschmer, MAK5 ()

整理番号253 Signalmaat d. Seew.

 「海軍後備役二等信号兵曹」とした。  (192)Jelleus Prahm ()(312)Julius Zimmermann ()

 所属は2名ともMK。

整理番号256 Stabstorpedomeister

 「水雷科上等兵曹」とした。オーストリア兵である。官階表に記載がないが、Ober-(兵

 曹長)、Stabs-(上等兵曹)、Unter-(一等下士)という並びなので、上等兵曹であろう。

 (2402)Rudolf Skugor, Kaiserin Elisabeth ()

整理番号261 Steuermannsmaat d. Seew.

 「後備役按針科二等下士」とした。  (1200)Alfred A. J. Klemann, MAK5 ()

整理番号262 Steuermatrose 1. Kl.

 「按針科一等卒」とした。オーストリア兵である。官階表にはSteuermatroseの記載

 しかないが、上の欄Matrose 1. Klasseと並行に考えて、一等卒でよいであろう。 (1805)

 Joseph Weber ()(2361)Andreas Petko ()(2362)Rudolf Plihal ()(2376)Josef Rumancsik

 von Ruttkai ()。所属は4名ともKaiserin Elisabeth

整理番号263 Steward

 「給仕」とした。   (4530)Gustav Hilmer, Jaguar ()

整理番号264 Taucherarbeiter 1. Kl.

 「一等潜水夫」とした。オーストリア兵である。工作科の一等卒Arbeiter 1. Klasse

と同格と考えられよう。   (2236)Ferdinand Holly, Kaiserin Elisabeth ()

整理番号265 Telefonist

 「電話交換手」とした。   (4547)Hans von Koslowski, Feuerwehrgab. ()

整理番号266 Telegraphengast

 「電信科四等下士」とした。オーストリア兵である。  (2354)Franz Prikasky, Kaiserin

 Elisabeth ()

整理番号267 Telegraphenmeister

 「電信科上等兵曹」とした。オーストリア兵である。   (2353)Josef Perisan, Kaiserin

 Elisabeth ()

整理番号275 Torpedomatrose d. Landw.

 「陸軍後備役二等水兵」とした。整理番号190と同じく、MatroseLandw.の問題である。

(4513)Ernst Gottschalk, Landsturm ()

整理番号278 Torpedoobermatrose d. Seew.

 「後備役一等水兵」とした。 (3980)Richard Martwieg, MAK1 ()

整理番号279 Torpedovormann 3. Kl.

 「水雷科四等下士」とした。オーストリア兵である。工作科の二等から四等下士にある

 Vorarbeiter 1.Klasse3.Klasseからの推測として、四等下士と思われる。 (2337)Paul

 Mitterer, Kaiserin Elisabeth ()

整理番号280 Torpodomann 1. Kl.

 「水雷科一等卒」とした。オーストリア兵である。同じく工作科の卒Arbeiter 1.Klasse

 −2.Klasseからの推測として、一等卒と思われる。  (2149)Jakob Brousek, Kaiserin

 Elisabeth ()

整理番号282 Unteroffizier d. Landst.

 「国民軍伍長」とした。  (1956)Curt Krätzig, SB7 ()(2117)Richard Weise, SB7 ()

 (2775)Max Angerstein, SB6 ()(3101)Werner Franz Susemihl, SB6 ()(4618)Viktor Walzer,

 Landsturm ()

整理番号283 Unteroffizier d. Landw.

 「後備役伍長」とした。 (89)Karl Hasslacher, OMD1 () 他51名

整理番号284 Unteroffizier d. Landw. I

 「第一後備役伍長」とした。  (2024)Robert Pügner, SB7 ()(2053)Max Symalla, SB2 ()

 (2768)Wilhelm Arps, SB6 ()

整理番号285 Unteroffizier d. Landw. II

 「第二後備役伍長」とした。  (1813)Wilhelm Aly, SB7 () 他14名

整理番号286 Unteroffizier d. Res.

 「予備役伍長」とした。 (286)Max Wedemeyer, OMD1 () 他79名

整理番号287 Unteroffizier d. Seew.

 「海軍後備役伍長」とした。 (331)Emil Beykirch, SB1 ()(2617)Erich Matz, SB Res.()

 (3200) Gustav Bernick, SB4 ()(4423)Guido Plätschke, SB Res. ()(4522)Wilhelm Hinney,

SB7 ()

整理番号288 Unteroffizier d. Seew. II

 「海軍第二後備役伍長」とした。  (1869)Carl Dau, SB7 ()

整理番号290 Verwaltungsmaat

 「二等給与掛兵曹」とした。-maatから二等兵曹相当と推測するが、海軍・工機団の項、

 給与掛の二等兵曹にはVerwaltungsschreiberがあり、これの別名か否か、判断材料が

 ない。Verwaltungsschreiberには二等給与掛筆記の公定訳が入っているため、ここで

 は二等給与掛「兵曹」としてみた。  (3806)Karl Wilhelm, MK ()

整理番号293 Vizefeldwebel d. Landst.

 「国民軍副曹長」とした。Vizefeldwebelにつき、陸軍は副曹長、海軍水兵団は曹長、

 同砲兵隊では曹長補とされている。 (2812)Walter Blunck, Landsturm ()(2985) Prof. Otto

 Küntzel, Landsturm ()(3154)Otto Vahldick, Landsturm(?) ()

整理番号294 Vizefeldwebel d. Landw.

 「後備役副曹長」とした。 (1841) Dr. Siegfried Berliner, SB7 () 他9名

整理番号295 Vizefeldwebel d. Res.

 「予備役副曹長」とした。   (200)Curt Rolfs, OMD () 他41名

整理番号296 Vizefeldwebel d. Seew.

 「海軍後備役曹長補」とした。  (836)Hermann Wiesendt, SB6 ()(2843)Hermann Ewald,

 MAK ()

整理番号297 Vizefeuerwerker d. Res.

 「予備役上等掌砲兵曹補」としてみた。海軍・水兵団の項、Feuerwerker上等掌砲兵

 曹とOberfeuerwerkersmaat一等掌砲兵曹の間が空いている。Vizefeuerwerkerは、

 おそらくこの欄に相当するのであろう。 (768)Georg Sarnow, MAK () 他8名

整理番号298 Vizesteuermann

 「二等按針長補」としてみた。同じく海軍・水兵団の項、Steuermann二等按針長とOber-

 steuermannsmaat一等按針兵曹の間が空いている。Vizesteuermannは、おそらくこ

 の欄に相当するのであろう。 (3753)Hugo Taudien, MK ()

整理番号299 Vizesteuermann d. Res.

 「予備役二等按針長補」とした。  (1373)Erich Nielsen, MAK ()

整理番号301 Vizewachtmeister d. Landw.

 「後備役副曹長」とした。陸軍の表の註※1に、Vizefeldwebelを騎・砲・輜重兵では

 特に、Vizewachtmeisterと称する、とある。  (2513) Dr. Friedrich Engelhorn, SB5 ()

 (3750)Gustav Thiel, MFB ()(4322)Willy Werner, MAK/Batt.8a ()

整理番号302 Vizewachtmeister d. Res.

 「予備役副曹長」とした。  (933)Karl Büttner, OMD () 他11名

整理番号303 Vormeister 1. Kl.

 「一級砲兵上等兵」としてみた。オーストリア兵である。ここには掲げなかったオース

 トリア陸軍の官階表にVormeister砲兵上等兵がある。そこで次の、整理番号304と合せ

 て「一級上等兵・二級上等兵」と分けてみた。但し、Matrose 1.Klasse一等卒、Matrose

 2.Klasse二等卒の例にならえば、Vormeister 1. Kl.が砲兵上等兵、次の2.Kl.が砲兵一

 等卒となるのかも知れない。  (2352)Kuzma Palaskov, Kaiserin Elisabeth ()

整理番号304 Vormeister 2. Kl.

 「二級砲兵上等兵」とした。前項を参照。  (1747)Michael Kowacs, Kaiserin Elisabeth ()

整理番号306 Waffenmeister

 「兵器科兵曹」としてみた。官階表には見当たらない。オーストリア海軍の表、兵器科

 の兵曹長から一等下士に、Oberstabs-Stabs-Unter-の3等級でWaffenmeister

 あるので漠然と兵器科兵曹と記したのではないだろうか(2885)Albert Grocholl, MFB ()

(2887)Ernst Gerbig, SB ()(2889)Otto Gustmann, OMD ()(4064)Johann Schikora, MAK ()

整理番号307 Werftvorarbeiter 3. Kl.

 「造船科四等下士」としてみた。オーストリア兵である。工作科のVorarbeiter 3.Klasse

 から、四等下士と推測した。 (2405)Paul Sandru, Kaiserin Elisabeth ()

整理番号309 Zimmermannsgast d. Seew.

 「海軍後備役二等木工」とした。 (4420)Johann Onken, II. Werftdivision ()

 

     オーストリアの陸軍の階級が登場しているのは、どうしたことであろうか。青島戦

    に登場するオーストリア兵は、「カイゼリン・エリーザベト」号の海軍だけと思った

    が、そうではないらしい。日本訪問の途中、開戦の危機を迎えた「カイゼリン・エリ

    ーザベト」は青島に入港し、乗組員の大半は鉄道で天津に向う。天津にはオーストリ

    ア陸軍の駐屯部隊(義和団の乱により駐兵権を得ていた)がいた。これに合流して日

    独戦争をやり過ごそうとしたのだが、彼らの運命が変った。ドイツ皇帝の圧力で、「青

    島へ戻り、同盟国ドイツと共に戦え」というウィーンからの電報が舞い込んだのだっ

    た。その結果、日本の収容所にオーストリア兵がいることになったのだが、その中に

    オーストリア陸軍の階級が見られるとしたら、天津から青島に同行した陸軍の兵隊も

    何人かいたことになろう。

 

6.部隊名について

 資料3は、やはりシュミット氏のデータベースを使って、所属部隊名を抽出、ABC順に並べたもので177種に及ぶ。これについては公定訳を配した資料は見当たらないようであるが、故・冨田弘教授などの先行研究を参考に、訳語を入れてみた。これについても、なお議論の余地があろう。

 基本的には軍団がKorps、師団Division、旅団Brigade、連隊Regiment、大隊Bataillon、中隊Kompanie(砲兵中隊はBatterie)、小隊Zug、分隊Korporalschaft(またはAbtteilung)といった上下関係になる。

 青島防衛の主力3部隊は、IIISB.III.Seebataillonすなわち第3海兵大隊、MAKMatrosenartillerie-Abteilung Kiautschouすなわち膠州湾海軍砲兵隊、そして天津駐屯のOMDOstasiatisches Marine-Detachementすなわち東アジア海軍分遣隊である。それぞれ大隊に相当し、その下にいくつもの中隊が置かれている(あるドイツのホームページによれば、MAKは4個中隊、IIISB.は5個中隊とMFBMarine-Feld-Batterie(海軍野砲中隊)MPKMarine-Pionier-Kompanie(海軍工兵中隊)を従えていたという。シュミット氏はMGKMaschinen-Gewehr-Kompanie(機関銃中隊)もIIISB.隷下に掲げ、MK=Marine Kompanie(海兵中隊)SHB=Schwer-Feld-Haubitze-Batterie(野戦重榴弾砲中隊)も掲げている)。OMDはいわゆる「義和団の乱」によって駐兵権を得た部隊で、司令部を天津、病院は北京に置いていた。また余談として、MAKStammabteilung(補充部)はクックスハーフェンにあった。

 I.-W.Infanterie Werk、『青島戦史』(独逸海軍本部編纂、海軍省教育局(海軍少佐高瀬五郎訳)昭和10年)では「歩兵堡塁」としている。Landfrontは北から陸上を南下する敵に対する正面、Seefrontは黄海に面する南正面のことであるが、同じく『青島戦史』により「陸正面」「海正面」とした。また、Zwrstr.Zwischenraumstreiche、『青島戦史』は「中間地掃射砲台」としている。主砲台と主砲台の間に入り込んだ敵を側面から掃射する、付属砲台である。

 Kdr.Kdt.は、KommandeurKommandantの略。また、Abt.-Kdr.『青島戦史』によれば「中央指揮官」「右翼指揮官」「左翼指揮官」と、このAbt.は防衛方面のことを指している。

 Batt.-Ch.とあるのはBatteriechefの略。添えられた「1」「2」の意味がわからないが、該当する者はいずれもイルティス砲台であり、「1」がイルティス上部砲台、「2」が同下部砲台のシェフという意味だろうと推測した。

 P.E.F.は該当する者1名で、"Prinz Eitel Friedrich"号のことと、またF.T.も該当者からFunkentelegraphie-Offizierと、Feuerwehrgeb.Feuerwehrgebäudeと判明した。

 なお、シュミット氏のデータに依拠したこの所属部隊表は、日本側「俘虜名簿」の記載よりも細かく、所属部隊というよりむしろ戦闘配置というべきであるが、本稿は、今後の研究にシュミット氏のデータベースを活用してもらいたいという隠れた目的を含んでいる関係から、これを尊重することにした。また、ヤーグアル号乗組員が艦を棄てた後、陸上部隊の応援に入った経緯などもうかがわれる。

 前項で試訳を示した階級名が所属との関係で妥当かどうか(例えば前掲の整理番号190Matroseなのに「陸軍」後備役で所属部隊が「海軍」砲兵隊だ、などというケース)の吟味は、時間の関係上、手が着けられなかった。この点、不完全なデータではあるが、今後の検討を待つこととしたい。

 

7.おわりに

 「兵隊の位で言うと、どっちが偉いのかな?」、“裸の大将”の名ぜりふではないが、PionierとかKanonierの意味はわかるものの、軍隊のピラミッド組織の中でそれがどういう位置付けになるのかがわからない。本稿はそれに大いに苦しめられた。脱稿しても、消化不良の感は否めない。また、階級名の延々たる羅列や、後備役だ国民兵役だといった話に、この筆者は何か軍隊マニアなのではないかと誤解を受けたやも知れない。しかし、こういった基礎データを明らかにしておくことは、次のような意義があるものと思われる。

 高知大学・瀬戸武彦先生はその労作において、ある男とある男が青島の砲台では同じ配置にいたはずだ、彼と彼とは青島の同じ街路に店を開いていたはずだといった人間関係のディテイルを、丹念に明らかにされた。これによって、一口にドイツ捕虜5000人と、言わば「顔の見えない集団」として語られてきたドイツ俘虜史に、新しい視点が生まれたと言えよう。彼ら一人一人が笑いもし泣きもした人間なのだという当たり前のことが、90年近い時間の経過によってぼやけてきていたのであろう。いつの間にかひとかたまりの“無名戦士”になろうとしていたところ、こうしたディテイルの復元作業を通じて、かえって鮮明な人間像が結ばれるようになってきたのである。

 階級名に関する今回のこの試みも、こうした無味乾燥な基礎データをしっかりさせておくことを通じて、彼ら一人一人の「顔」を復元してやろうということをねらったものである。どこまでそれに資するものが書けたかはわからないが、彼らの笑い声や望郷の嘆きが聞こえてくるような俘虜史研究への一助となればと念じて、この拙い報告を閉じることにする。

 

  付記

    本稿は事前に、瀬戸教授に校閲をお願いした。その段階では所属の略号など、筆

   者の力ではどうにも訳出できないものが多数あったが、瀬戸教授にはご多忙の折に

   もかかわらず、上記『青島戦史』等の資料をお示し下さり、数々の貴重なご教示を

   与えて下さった。記して御礼申し上げると共に、本稿における誤訳の責などは筆者

   一人に帰するものであることをお断りしておきたい。