(レジュメ)
発表1(星)
趣 旨 当時のドイツ側階級名について、ハンス=ヨアヒム・シュミット氏のデータベ
ース(ホームページhttp://www.tsingtau.info/)から抽出したところ、全部で309種
にのぼった。これに対してまず、日本側公定訳(俘虜情報局「通報要領」附表、
防衛庁防衛研究所「大正三年乃至九年戦役俘虜ニ関スル書類」(陸軍省・日独戦役/
T3〜5/38)所収)をあてはめていったが、それで解決できないものが157
種となった(資料2)。
この内、大半は「d. Landw.」「d. Seew.」「d. Lst」といった付加語があるもの
であり、発表者はそれぞれ「陸軍後備軍(Landwehr)」「海軍後備軍(Seewehr)」
「国民軍(Landstrum)」と、兵役上の区分と考える。また、「z. D」を「待命(zur
Disposition)」、「d. R.」を「予備役(der Reserve)」、「a. D.」を「退役(außer
Dienst)」と判断する。
これでも解決しないものについて、類推による試案を提示する。中でも議論が
避けられないのがMarine-Infanterieの最下級になるSeesoldatである。旧日本
海軍にない制度であり、適確な訳語をあてることがそもそも困難であるゆえであ
る。発表者はMarine-Infanterieに「海軍歩兵隊」と、Seesoldatについて「海
軍歩兵隊卒」、その上のGefreiterについては「海軍歩兵隊上等兵」の訳語をあて
て、他の提題者2名の考証に待つこととしたい。
次に、同じくシュミット氏のデータベースにより、所属部隊名177種につい
て検討する。青島防衛の主力3部隊につき、VSB(=V.Seebataillon)に「第
3海兵大隊」と、MAK(=Matrosenartillerie-Abteilung
Kaiautschou)に「膠
州湾海軍砲兵隊」と、OMD(=Ostasiatisches
Marine-Detachement)に「東
アジア海軍分遣隊」との訳語をあて、他の提題者2名の考証に待つものである。
その他、細かい部隊名・配置名についても、試案を提示する(資料3)。
問題点 試案を機械的にあてはめていくと、「Obermatrose d. Landw.」(陸軍後備役一
等水兵−しかも所属は膠州湾海軍砲兵隊)となるような例が散見され、水兵なの
に陸軍になってしまうことの説明に窮する。一方で、「Obermatorose d. Seew.」
(海軍後備役一等水兵)と理屈の通った例もあり、当時のドイツ側兵制について、
なお一層研究が必要である。
他の提題者への主張・感想
発表者(星)は、いささか古風・難解であっても当時の日本側公定訳をできるだけ尊
重すべきではないかと考える。提題者中、もっとも保守的な立場と言えよう。その理由
として、例えば明治10年の文書に「陸軍大臣」とあればそれは偽文書である可能性が
ある(当時の官名は「陸軍卿」だったから)。そのように、往時の記録を調べる上で、む
やみに固有名詞が現代化されていない方がよい場合もあるという立場から、公定訳尊重
の立場を採るものである。
なお、懸案のSeesoldat−Gefreiterについて、往時の日本側文書類は「海軍歩兵卒」
「海軍歩兵上等兵」としており、「海軍歩兵」というこの一見奇妙な語にも、歴史的には
尊重しておくべきものがあるのかも知れない。
しかし、@故・大和教授が指摘されたように、公定訳自体に誤り・不充分があると思
われるもの、A今回数え上げたように、公定訳の表だけでは該当が見つからないもの、
については考証が必要であり、なるべく訳註を付さずに意味が取れる訳語があれば、読
者の便宜からしてもそれに収斂させていくべきであり、その限りで公定訳も修正されて
いくことになろう。
MEMO