ALSを生き抜いたスーパーウーマンが、「安楽死」しか選べなかった理由
 
みわよしこ:フリーランス・ライター
 
 
ALSを生き抜いた女性が嘱託殺人を選んだ謎
 
 7月23日、嘱託殺人容疑により医師2名が逮捕された。医師らは、神経難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患した女性・林優里さん(当時51歳)から依頼され、2019年11月に致死量の鎮静剤を投与し、死に至らせたということであった。
 
 林さん自身のツイート、ブログ、プロフィール等、さらに報道によると、1968年生まれの林さんは2011年にALSを発症し、まもなく生活保護のもとで単身生活を開始した。そして、2019年に亡くなるまで24時間介護を受けて生活していた。
 
 ALSの場合、いずれは1日24時間の介護が必要になる。口からの食事摂取が困難になると、胃ろうによって胃に直接食物を注入することになる。自力での呼吸が困難になると、人工呼吸器が必要になる。林さんの場合、呼吸の能力は最後まで維持されていたようだが、胃ろうは利用しており、亡くなったときの鎮静剤の投与は胃ろうで行われていた。また、自分の意思で動かせるのは眼だけとなっており、パソコンの操作は視線入力装置で行っていたようだ。
 
 運動能力が奪われていく身体で公的制度を利用することも、24時間介護を確保することも、動かない体で介護を受け続けることも、決して容易なことではない。しかし林さんは、正確な情報を収集し、賢明かつ合理的に判断し、必要な手続きを着々と進めていたようである。文字通りの「スーパーウーマン」だ。そのスーパーウーマンが、なぜ「死にたい」という方向に追い詰められていったのだろうか。そのパワーは、なぜ「生きる」という方向に向かわなかったのだろうか。
 
 林さんの歩み、そして林さんが残したブログとツイートに、手がかりがあるかもしれない。
 
 
ひたむきな社会貢献への思いとその現れとしての安楽死
 
 林さんのFacebookアカウントの自己紹介によれば、出身校は、「同志社大学」「Academy of Art University, San Francisco」「City College of New York School of Architecture」となっている。ただし、誰でも読める状態で公開されている投稿はない。
 
 報道によれば、林さんは同志社大学を卒業した後に百貨店に勤務していた。その後、建築家を志して米国に留学し、帰国後は東京の設計事務所で働いていたということだ。自分の意志で自分のキャリアを切り開いていった、たくましい人物像が浮かび上がる。ツイートやブログを読んでも、その印象は変わらない。
 
 林さんがツイッターでの投稿を開始した2018年5月は、「ツイートも視線入力のパソコンを使ってるのですごく時間がかかる。もっと言いたいこといっぱいあるのに」(2018年5月3日)と嘆く場面もあるが、テニスの全仏オープンを観戦して「全てを賭けて戦う姿には心打たれる。あんな風に生きたらどんなものが見えるんだろう?」(2018年5月31日)と感動を語っている。
 
 また、自分と同じ悩みを抱えた人々に対する関心と共感と配慮も示し続けている。大人の重度障害者が子どものように扱われているというツイートに「看護婦さんにも多いんだよね。幼児に話しかけてるの?と思う」と反応し(2018年5月31日)、「難病があろうが障害があろうが、一人の人間として尊重され、尊厳をもって扱われなくてはならないはずだ」「介助者や医療従事者が、障害者や高齢者や患者に対して、上から目線のパターナリズムを発揮するのは暴力」と読み取れるメッセージを発している。林さんのツイートからは、「社会的に意義ある存在でいたい」という願いが伝わってくる。
 
 林さんは、自分が安楽死することに社会的意義を見出していたようでもある。そのことは、「私も安楽死を受けられることになれば、記録を残して公開したい。同じ願いを持つ患者さんに希望を与えたい」(2018年5月10日)というツイートから読み取れる。「安楽生」「尊厳生」といった方向性は見られない。
 
「死ななくては」という思いは、発病したころから概ね一貫していたようだ。「(筆者注:闘病の)初期の頃 『自分はもはやなんの生産性も無く、税金を食い潰しているだけの人間だから死にたい』と主治医に詰め寄ったことがある」(2018年6月30日)というツイートもある。「生産性」「社会」「コスト」といった用語の意味や範囲によっては、「死んで自分の生存に関わるコストを最低限にするという社会貢献」は、正解となりうる。
 
 ついで林さんは、自らを安楽死させるための具体的な行動に移る。栄養摂取の制限、呼吸能力を維持するための訓練の停止などよって、栄養失調や呼吸不全で死のうと試みている(2019年9月18日のツイート)。しかし「効果」は全く不十分で、林さんを落胆させた。この間、広く報道されている通り、林さんは主治医らに安楽死への協力を依頼したものの、応じられなかった。そして2019年11月、2人の医師による嘱託殺人により、ついに希望を遂げた。
 
 
猫との暮らしも奪われる力関係の最下層
 
 なぜ、林さんは生きることによって社会貢献する選択をしなかったのだろうか。林さんのブログに、推測の手がかりがあった。2019年9月18日付のブログ記事には、「猫と暮らしたい」という希望を断念させられたエピソードがある。
 
 林さんの治療に通っていた訪問看護師が、林さんのために温和な保護猫の子猫を引き取った。おそらく、トイレなど最低限のしつけをした後、林さんと同居開始する段取りだったと推察される。ところがこの計画に、猫アレルギーのケアマネジャーが「ヘルパーの中にもネコアレルギーがいたらどうする、とか毛が残るとか」といういう理由で「ケチをつけ」たため、実現しなかった。林さんは「なんでこんなことまで指図されなきゃいけないんだ!とみじめになり無性に腹が立って気付くと号泣してた」と記している。
 
 訪問看護師は、ときどき林さんのもとに猫を連れて行こうと考えたが、ケアマネジャーはそれも認めなかった。しかし、犬の好きな主治医が事情を知り、訪問看護ステーションに猫を連れて行く許可を出した。思い立てば猫カフェに行けるわけではない林さんは、ときどき自室で猫との時間を過ごせるようになった。林さんは、ブログ記事を「妥協しないといけないこともあるが、忍耐強く話し合えばそれなりに希望に沿った自由のある生活が可能だ」と結んでいる。
 
 
自分の魂と実存を消される障害者に向けられる介護の横暴
 
 しかし、障害者である私から見たとき、一貫して浮かび上がるのは林さんに対する介護の横暴だ。介護の横暴を抑制する可能性があったのは、力関係では介護より強い医療であった。そして辛うじて、時折の猫の訪問が可能になった。
 
 障害者は、行政と医療と介護などの複雑なパワーバランスの底で身を擦り減らされがちだ。時に、生きる気力を失うほど消耗する。諦めれば、自分の魂と実存を消されるだけだ。死ぬ思いで生き延びるか、「自分の生」を守るために死ぬか。障害者は潜在的に、その二者択一を突きつけられ続ける。
 
 特に生活保護を利用している場合は、「障害者」「介護を受けなくては生きられない」「生活保護」の3方向から尊厳をえぐられる可能性がある。林さんのブログやツイートからは、「過去の歩みや経験とともに、ありのままのその人」として尊重されていた気配は、あまり見当たらない。皆無ではないのだが、「たまには、そういう人もいる」という感じである。
 
 2019年11月25日、嘱託殺人の直前には、このようなツイートがある。
 
「65歳ヘルパー 体ボロボロなのは私のトイレ介助のせいなんだと責める 施設行きになる あそこに入ったら殺されると脅される むかついてもやめろと言えない 代わりがいないから 惨めだ」
 
 嘱託殺人は、この惨めさからの救済となった。しかし、私はあえて疑問を呈したい。ヘルパーにイジメを受ける日常からの脱出手段が、なぜ「安楽死」になるのだろうか。
 
 
追い詰められた時に必要なのは具体的な救済の選択肢では
 
 進行性の筋委縮症を持ち、「車椅子の歌姫」として知られる朝霧裕さんは、生活保護で24時間介助を受けながら単身生活を営み、シンガーソングライターとしての活動も続けている。朝霧さんは約10年前、ヘルパーから「生活保護で一人暮らしなんてゼイタク、施設に入ればいいのに」といった言葉での虐待を受け続けた経験がある。
 
「もしもその時、ツイッターで『そんなに辛いなら楽にしてあげましょうか』という人に会っていたら……追い込まれて正常な心理状態ではない時に『死なせてあげる』と言われていたら……どうなっていたか分かりません」(朝霧さん)
 
 幸い、介護事業所が事実を重く受け止めて誠実な対処をしたため、朝霧さんは虐待から解放された。立ち直った朝霧さんは、相談先の確保を心がけた。2013年には、同じ地域で活動する社会運動家の藤田孝典氏に「もしもの時は助けてほしいです」と依頼したという。
 
「介助者でも友人でもなく、『この人に相談したら助けてくれるかも』と思えるプロとつながることで、私は助かりました。また、2012年から障害者虐待防止法が施行されていることも、安心につながっています」(朝霧さん)
 
 筋ジストロフィーを持つ小澤綾子さんは、林さんについて、「その状況だったら、私も死にたくなるかも」という。小澤さんは、情報大手に勤務する会社員であり、家庭を持つ兼業主婦であり、車椅子で朝霧さんとともに音楽活動を行うシンガーソングライターでもある。
 
「難病に罹患したことが判明して困っている方から、よく連絡をいただきます。現実的な困難に直面したり、絶望に陥ったりしたとき、自分だけでは受け止めきれないこともあります。でも誰に相談すれば良いのか……現実的に助けることが出来る専門家にアクセスしやすくなればいいと思います。情報をまとめたり、苦労せずに必要な支援につながれる体制を整備したり」(小澤さん)
 
 
ただの事件として終わらせてはならない
 
 「死ぬ自由」が本来意味するのは、死ぬこと以外の魅力的な選択肢が多数あり、実際に選べる状況があり、それでもなお「どうしても安楽死」という選択もあり得る状況だろう。しかし、現在の安楽死推進論が目指しているのは、選択肢を狭めて「死ぬしかない」という方向性に見える。
 
「林さんを死に追いやった原因は、単純ではないと思います。『異常な人が来て殺した事件』ということにして、容疑者を逮捕して処罰して『はい、おしまい』では、別の障害者が辛い思いをするだけです。ただの事件として終わらせたくはありません」(小澤さん)
 
 日本はまだ、本格的な安楽死推進へと舵を切っていない。多くの人々が今から考え始め、タブーにせず議論すれば、この社会課題を解決することが可能になるかもしれない。
 
【参考】
林優里さんブログ:ALS患者 タンゴレオの挑戦 ー安楽死を認めて!−
https://ameblo.jp/tango522/
 
林優里さんツイッター:@tangoleo2018
https://twitter.com/tangoleo2018
 
(フリーランス・ライター みわよしこ)
1963年、福岡市長浜生まれ。1990年、東京理科大学大学院修士課程(物理学専攻)修了後、電機メーカで半導体デバイスの研究・開発に10年間従事。在職中より執筆活動を開始、2000年より著述業に専念。主な守備範囲はコンピュータ全般。2004年、運動障害が発生(2007年に障害認定)したことから、社会保障・社会福祉に問題意識を向けはじめた。現在は電動車椅子を使用。東京23区西端近く、農園や竹やぶに囲まれた地域で、1匹の高齢猫と暮らす。