死刑囚の心理
加賀 乙彦 作家、精神科医、元東京拘置所医務部技官 (1929 - )
○ 『死刑囚の記録』より
「きみ、率直に聞くけど、死ぬのは恐い?」
(死刑囚の)松川勝美は、急に黙りこんだ。雄弁に、微細に自分を語り、その表現能力は、私も感嘆していたほどの男が、そのときは、まるで声帯を断ち切られたように沈黙し、深い溜息をついた。私は今でも、彼の脅えたような表情を覚えている。しばらくして彼は言った。
「恐いね。死ぬのは、殺されるのは、本当に恐いよ。おれは人を殺したことがあるから、人が死ぬのは、どんなに痛くて苦しいもんか知っているからね。絞首台にしゃっ首をつるされるとき、痛かないなんて言うけどね、誰も生きかえった者がいねえんだから真相はわかりゃしねえさ。痛いのは、いやだね、恐いね」
「ゼロ番(死刑囚)に聞くと、死ぬのは恐くないという人が多いが……」
「嘘だよ。先生や担当には、みんな見得を切ってるだけだよ。恐くないなんて言ってるやつにきまって、控訴、上告をちゃんとしてる。上告後はあらゆる手段で刑の執行をのばそうとする。おれなんか、すくないほうだが、それでも、判決訂正申立、再審請求、抗告申立といろいるしてるもんね」
松川は真剣な目付となって、私に言った。
「先生、死刑の判決を下したら、すぐさま刑の執行をすべきなんだよ。それが一番人道的なんだよ。ところが、日本じゃ、死刑確定者を、だらだらと生かしておいて、ある日、法務大臣の命令で突然処刑とくるんだろう。法務大臣はどんなにえらいか知らねえが人間じゃないか。たった一人の人間の決定で、ひとりの人間が殺されるのはおかしい。残虐じゃないか。とくによ、殺される者が犯罪のことなんか忘れた頃に、バタンコをやる。まるで理由のない殺人じゃねえか」
○ 加賀乙彦 『宣告』 中野孝次の解説より 【死刑の執行】
法務大臣が死刑の執行を命じたときは、五日以内にその執行をしなければならない。
しかし、これが囚人たちに伝達されるのは通常二四時間前である。たとえ獄中に何年生き延びていようと、死刑囚はつねにその宣告が今朝くる可能性をもって生きているわけで、従ってその生とは24時間×n日という形で表されるべき生なのである。この見えない拷問はおそろしい。
幻聴の処刑迎への靴音を折々とらへ吾が耳寒し
(中略)
また実際についにその朝を迎えたある囚人の歌はこういうのである。
いましがた今日その日なりと知らされて四角き空に雲湧きおこる
このように自己表現できる者は、それまでにどれほどの苦悶と日々格闘しながら自己の人間性を支えてきたのか、想像に難くない。が、それは稀であって、多くの死刑囚は、この精神的拷問にたえきれず人間を崩壊させてしまうようだ。
(中略)
一体このようななしくずしの殺人を行うことが人間に許されているのか。これならばむしろ中世社会のように、衆人環視の中で一思いに殺してしまったほうが、むしろ人間的なのではないか。国家はいかなる根拠によってかかる残虐を行っているのか。