生について ― 看護本来のすがた
 
東京逓信病院高等看護学院の“もみじ祭”(1972)での講演の要旨
 
 
 「生とはなにか?」 ― これは「死とはなにか?」という問いとともに、われわれ人間にとってはもっとも困難な問題ではないかと思われます。しかし、いやしくも医療にたずさわるわれわれにとって、この問題は片時もおろそかにすることはできない。どんな看護も、またどんな治療も、それらはすべて、この問いに対する答えの表れとして受け取る以外ないのでありますから‥‥。そこでこの機会に、ひとつこの問題について一緒に考えてみることにいたしましょう。
 われわれは小学校以来、雲や水は「無生物」であり、木や魚はわれわれ人間と同じ「生物」であると教わってきました。そこでは、この大自然が、「生命」を持つ植物・動物・人間の三大グループと、それを持たぬ地・水・火・風の四大グループに大きく二分されるのです。ところが、この一方において、“あの眼は死んでいる”とか“あの心は腐っている”などと言いながら、“お日様が微笑み”“そよ風が囁(ささや)く”と口ずさむ。つまりそこでは、生物が生きていなかったり、無生物が生きていたりして、学校で教わったこととは、著しくその様子が異なってくるのであります。
 今日の理科教育では、こうした言いまわしは、たんなる主観的な表現で、真理とはだれが見ても変わらない純粋に客観的なものでなければならないと説かれる。そしてここから、すべての現象を数式に還元しないでは済まされない「コンピューター(人工頭脳)」といったものが登場し、人間の機械化にいっそうの拍車がかけられることとなるのですが、ここでまたこうした趨(すう)勢(せい)が人間喪失の端的な症候として、一部の人たちの慨(がい)嘆(たん)の的になる‥‥というまことに厄介ないたちごっこが、この世の中では休みなく繰り展(ひろ)げられているのであります。「生」の問題とは、考えてみれば、際限のない矛盾を含んだものだと言えるのではないでしょうか。
 いまこの問題をひとまずおいて、ここでは「生」に対する考え方の歴史的な変遷を振り返ってみようと思います。
 さきに“お日様が微笑み、そよ風が囁く”と申しましたが、われわれはどの国の言葉をとっても、すべて、こうした表現のかたちがあることを知っています。これはもちろん、お日様とそよ風だけに限ったことではない。ある時は“大地が眠り”またある時は“海が怒り狂う”などと言う。つまりそこには、地・水・火・風のすべてがわれわれ人間と同じように「生命」を持ち、ともに喜怒哀楽の生を営んでいる。言いかえれば、そこには生物・無生物といった区別はなにもない、ということになるのであります。“涙が(泉のごとく)湧き出て”“喜びが(火山のごとく)爆発する”などの日常の表現は、このことの明らかな証拠とも言えるものでしょう。こうした世界が上古代のそれにあたることは、多くの人々の指摘するところです。が、われわれは、いまなおこの時代の面影をわれわれの幼児たちの世界にまぎれもなく見てとることができるのではないでしょうか。
 では、いったい今日のように植物・動物・人間の三つのグループだけに「生」を認めるようになったのはいつの時代からでしょう?
 それは、ヨーロッパでは、すでにかなり遠い昔にその萌芽を見ることができると言われております。そこでは「食と性」言いかえれば「生活」を営むこれらのグループが、そのような営みを持たない地・水・火・風のグループからはっきりと分けられたのですが、しかし、そこでは「生活」といっても、それは「生命」のたんなるひとつの表れまでのもので、「生活」の終わりは「生命」の終わりを意味するものではなかった。言ってみれば、死んでも命はまだ続いていたのです。それは“永遠の眠り”についた死後の生活を象徴する世界の各地に見られる古墳の情景を思い浮かべるだけで充分だろうと思います。
 ところでこのような、死を新たな生の始まりと見る世界は、歴史の流れとともにしだいにその影をひそめてくることは申すまでもありません。そこでは「死」こそすべての「生」すなわち「生活」だけでなく「生命」までも奪い去る恐ろしい“断末魔”ではないのか!とする今日の宿命的な考えが野火のごとくに拡がり、見る間に人びとの頭を、がんじがらめに縛り上げてしまうのであります。言いかえれば、「いのち」と「くらし」が知らぬ間に同義に考えられることになる。このことは例えば“ライフ”という欧米雑誌の目録に“暮らしの設計”と“人命救助”の二項が奇妙に共存しているのを見ても明らかでしょう。“life”の訳を見てもまた同じことです。
 こうして、かつては森羅万象のすべてに満ち溢れていた“いのち”が、いつの間かこのような“くらし”の中にだけ限局してくることになるのですが、われわれ人間が、こうした“いのち”要するに“くらし”にどれほど根強い執着を示すものであるか、ということについてはもはや説明の必要はないでしょう。
 われわれはしかし、ここで次のことを看過してはならない。それは、人びとがこのような意味での生に執着するあまり、からだに起こるすべての現象を“死に抗するための闘争”と考えることに、もはや馴れきっているのではないか、というこのひとことであります。今日の自然科学的な生物学は、そうした闘争の“しかけ・しくみ”を引き出すために全力を傾けているのですが、しかし実はこのような動向がはじめに述べた人びとの森羅万象の機械視をどれほど促進させているかについてはあらためて申すまでもないことでしょう。
 二十世紀の今日では、以上のようにすべての自然がたんなる「無生」の物体として考えられようとしている。この人類史に起こった「生」の意味の大きな転換のために、われわれはいま、いやおうなしにこうして生の問題の再検討を強いられているのでしょうが、ここでは次のことを述べるだけで充分ではないかと思います。
 われわれがなに心なく自然に向かった時、そこでまず眼に映るものはそれぞれの“すがた・かたち”でしょう。その時のそれらはことごとく生きている。路傍の石ころひとつをとっても、軒の雨だれのひと滴をとっても、それらはみなそれぞれの表情でもってわれわれに生き生きと語りかけてくる。これに対し、もしわれわれの眼がそれらの“しかけ・しくみ”にしか届かないような時、それらのすべてはただ思惑の対象としての無生の物体となるだけではないでしょうか。生きているのは、したがって、“すがた・かたち”であって、しかけ・しくみではない。われわれはまさに、この“すがた・かたち”の中にのみ、「いのち」というものを見出すのであります。死してなお人の心に鮮やかにその“すがた・かたち”が残る時、その人間の「いのち」というものは、まだ亡びていない。「生」の本来の意味は、このようなものではないかと思われるのです。
 自然を見る人間の眼には二種のものが識別される。そのひとつは“すがた・かたち”を静観する眼であり、他のひとつは“しかけ・しくみ”を抽出する眼である。このいわば「左右」の眼の使い分けによって、ひとつのものが、一方では生に満ち溢れたものとなり、他方では生とは無縁のものとなる。われわれ人間には実にこのような二種の眼 ― 言ってみれば“こころ”と“あたま”の眼 ― が、それぞれのかたちでだれにでも備わっているものですが、「生」の問題とは、こうして見れば、結局はおのれ自身の見方の問題に帰着するよりないことがうかがわれるのであります。
 ところで一般に、人間というものはだれしも、はじめはただ無心に“すがた・かたち”を眺めるだけのものが、その眼はいつしか“しかけ・しくみ”の方へ向け換えられてゆくのです。さきに述べた生の意味の歴史的な転換はこのことに由来するのでしょうが、それはそれとして例えば、病人を前にしたわれわれもまた、“病めるすがた”をただ痛ましく「看(み)護(まも)る」だけではない。次の瞬間にはその“病めるしくみ”を少しでも早く「なお(治)す」方へめいめいの考えを向け直す。つまりそこでもまた“こころ”から“あたま”の問題へいち早くスイッチが切り換えられてゆくのであります。人びとが明けても暮れても口にする「看護と治療」の問題が、実はこうした人間の持つ対立的な二つの機能に端を発した、それでいて切っても切り離すことのできない、“宿命的な一組”のものであることが、これで鮮明されたのではないでしょうか。
 「生」の問題はこうしていつの間にか「看護」の根底を支えるのっぴきならぬものとなったのですが、「看護の本質」といい、「治療の根本」といい、結局はこの原点に立ち帰って再び出発し直すよりない。ここでは、次のひとことを述べるにとどめましょう。
 本来の看護とは、“すがた・かたち”ここでいう“いのち”を見る眼によってのみ支えられる‥‥。