ドイツ兵俘虜収容所基礎史料集成
Lagertagebücher u.a.
特に明記されている場合以外は、防衛省防衛研究所図書館所蔵
[編集者注]
※1 以下(Ⅰ)にドイツ兵俘虜収容所関連の史料で現在入手可能なものを、収容所名の五十音順に列挙してあります。
※2 防衛研究所史料および個人所蔵史料の所在などについての情報も下(Ⅱ)に記してあります。
※3 翻刻済みの史料は、翻刻者と防衛研究所図書館の許可を得て、アップロードしてあります。
※4 以下に頻出する「欧受大日記」(おううけだいにっき)とは、「第一次大戦に関する普通文書です。内容は諸規則関係等の文書に該当するもので、文書発信の際に「欧受第○号」として区分されたもの及びこれに関する往復文書を収録しています」。国立文書館のアジア歴史資料センターのHPでご覧ください。
※5 これ以外の基礎史料を翻刻されており、HPにアップロードすることを許可いただける場合は、HP管理人にご連絡いただければ幸甚に存じます。
※6 内容に関して入力ミスなどの指摘・問い合わせなどありましたら、HP管理人までご連絡ください。
「チンタオ・ドイツ兵俘虜研究会」HP管理人(会報担当:小阪)
Ekosaka_kiyoyuki@hotmail.com 迷惑メール防止のため、アドレスの頭にEの一文字をかぶせてあります。
Ⅰ.
◎ 大阪収容所
大阪俘虜収容所業務報告
大阪俘虜収容所記事
(翻刻者:堀田暁生氏)
(「大正6年各俘虜収容所業務報告綴」(防衛研究所図書館)に綴じ込まれている)
◎ 熊本収容所
熊本俘虜収容所日誌(翻刻者:堤諭吉氏)
(「欧受大日記 大正4年7月下」(防衛研究所図書館)に綴じ込まれている)
熊本俘虜収容所記事
(全文が、猪飼隆明「熊本俘虜収容所記事」(『市史研究くまもと』創刊号)に収録されている。)
◎ 徳島収容所
徳島俘虜収容所統計報告
徳島俘虜収容所業務報告
◎ 名古屋収容所
名古屋俘虜収容所業務報告
(名古屋市市政資料館所蔵)
◎ 板東収容所
『雑書編冊』(大正6年4月12日~大正7年12月22日)(3分冊にわたる大部のもの)
「板東俘虜収容所沿革史」(60ページほどのパンフレット)
(上記2つの資料は、板西警察分署警備警察出張所編、寺岡健二郎氏所蔵。)
◎ 松山収容所
松山俘虜収容所日誌
松山俘虜収容所業務報告書
(「大正6年各俘虜収容所業務報告綴」(防衛研究所図書館)に綴じ込まれている)
◎ 丸亀収容所
丸亀俘虜収容所日誌(翻刻者:田村慶三氏 ― 「丸亀ドイツ兵俘虜研究会」)
丸亀俘虜収容所記事
丸亀収容所機密日誌
(「大正6年各俘虜収容所業務報告綴」(防衛研究所図書館)に綴じ込まれている)
Ⅱ.
※ 収容所関係の資料・情報の収集のため、関係者に問い合わせ・アンケートを行いました。上記はそれを纏めたものですが、その際得られた貴重な情報は、以下にコピーしておきます。(五十音順)
★ 川上三郎先生よりの情報
ドイツ館にある防衛研究所史料コピーについては以下のとおりです。
○ 大正六年 各俘虜収容所業務報告綴 陸軍省
丸亀俘虜収容所日誌(大正3年11月14日~
丸亀収容所機密日誌(大正3年11月14日~
丸亀俘虜収容所記事(大正3年11月~大正6年4月)
松山俘虜収容所日誌(大正3年11月~大正6年4月)
徳島俘虜収容所統計報告(大正3年12月~大正6年4月)
徳島俘虜収容所業務報告(大正3年12月3日~大正6年4月9日)
松山俘虜収容所業務報告書
大阪俘虜収容所記事 (日誌はない)
○ 欧受大日記
ドイツ館に所蔵のコピー中には日誌らしきものはない
○ ついでに俘虜情報局日誌
五 (大正5年9月~12月)
六 (大正6年1月~6月)
七 (大正6年7月~12月)
八 (大正7年1月~6月)
十一(大正8年7月~12月)
大正5年8月までの日誌については、情報局火災後の復旧計画を見ると、「過半存」とあり、かつ「全部複写を要す」とある。しかし、今のところ不明。
★ 田村一郎先生よりの情報
板東の日誌ですが、板西警察分署警備警察出張所編で『雑書編冊』(大正6年4月12日~大正7年12月22日)と「板東俘虜収容所沿革史」というのが残っています。前者は残念ながら後半はないのですが、具体的な記述があり面白い資料です。ただこの2つの資料は当時の署長の子孫の寺岡健二郎氏の所蔵でして、許可を得なければ翻刻できません。教育大学長の高橋啓氏が、コンタクトがあります。
このほか久留米・習志野・板東などに個々人の日誌・日記が残っているようです。
★ 堤諭吉氏よりの情報
防衛研究所図書館所蔵の資料から皆様、すでにご承知のことと思いますが、俘虜収容所の日誌に関する私の考えは以下のとおりです。
1.
『自大正三年至大正九年 俘虜ニ関スル書類』所収の「俘虜情報局引継書類目録」に<収容所ヨリ送付ノ諸書類>として板東、青野原、大阪、大分、福岡、習志野、似島、名古屋、久留米、徳島及び姫路収容所の「日誌其他報告書類」があげられているので、これら11収容所の日誌は閉鎖にあたって俘虜情報局へ送付されたと考えられる。
「俘虜情報局引継書類目録」にある膨大な書類は「永久保存」されるはずであったが、防衛研究所図書館の目録では確認できない。(ただし、十分に調査したわけではない)
2.
「俘虜情報局引継書類目録」にあがっていない熊本、丸亀、松山、静岡及び東京の5収容所の日誌は、他の11か所と同時には俘虜情報局へ送付されなかったと思われる。うち、熊本、丸亀及び松山収容所の日誌は、それぞれの閉鎖時点で俘虜情報局へ送付され、丸亀及び松山収容所の日誌は『大正六年 各俘虜収容所業務報告綴』に、熊本収容所の日誌は『欧受大日記』大正四年七月(下)に綴られて現存している。
しかし、東京及び静岡収容所の日誌の存在はまだ確認されていない。東京収容所の日誌は習志野に引き継がれ、習志野収容所の日誌と一緒に俘虜情報局へ送付された可能性もある。
静岡収容所の日誌は、閉鎖時点で俘虜情報局へ送付されたのはほぼ確実なので今後、防衛研究所図書館所蔵資料の精査が必要である。
3.
丸亀収容所の「機密日誌」が現存しているが、他の収容所にも「機密日誌」があったのかどうかは不明である。
4.
各収容所の実績報告書である「俘虜収容所記事」又は「業務報告」については、
★収容所記事・・・熊本、丸亀、大阪
★業務報告・・・・松山、名古屋、徳島
が現存している。
5.
[付記]
静岡収容所の日誌に関して、その後調査したところ、同収容所の閉鎖に当たって俘虜情報局へ送付されたらしいことが判明した。
<理 由>
『欧受大日記』大正7年10月の「俘虜収容所日誌ニ関スル件」(P.0116-34~P.0116-36)
静岡衛戍司令官は、陸軍省軍務局長に対して大正7年7月8日付文書で、静岡俘虜収容所は(大正7年)8月中に閉鎖されることになったが、静岡の日誌は収容所閉鎖後は陸軍省へ送付すべきか、それとも俘虜収容換の際に関係書類として転入収容所(習志野)へ携行・引き継ぐのかを照会している。それに対する陸軍省副官から静岡衛戍副官への7月12日付通牒では、転入収容所へ引き継ぐことなく直接、本省(陸軍省)へ送致すること、となっている。静岡収容所の日誌は、閉鎖に当たって陸軍省(=俘虜情報局)へ送付されたと思われる。