久留米収容所
 
 大正3年10月6日開設。梅林寺と大谷派久留米教務所にチンタオ戦の俘虜を収容。チンタオの陥落により俘虜は増大し、料亭「香霞園」や高良台廠舎にも収容。
 大正4年6月、久留米衛戍病院新病舎跡を整備して、俘虜を移転。また、熊本収容所を統合し、福岡収容所の一部もここに移送された。
 ドイツ将兵1259、オーストリア将兵45、計1314名を収容し、狭隘であったため、ドイツ側の不満は強かった。
 久留米俘虜オーケストラは、ベートーヴェン「第九」やブルックナーの交響曲、ワーグナーの楽劇などを演奏しており、洋楽史の忘れられた1ページである。
 大正9年1月26日最後の俘虜を解放。同3月12日閉鎖。
 
所長:少佐 樫 村 弘 道 大正3.10. 6〜大正4. 5.25
   中佐 真 崎 甚三郎 大正4. 5.25〜大正5.11.15
   中佐 林   銑十郎 大正5.11.15〜大正7. 7.24
   中佐 高 島 巳 作 大正7. 7.24〜大正7. 9.
   大佐 渡 辺 保 治 大正7. 9. 7〜大正9. 3.12