大正六年
各俘虜収容所業務報告綴
陸軍省
 
 
大正三年十一月十四日起
 
 
日誌
丸亀俘虜収容所
 
 
一、本日誌は俘虜取扱細則第十一條に拠る事項を記載するものとす
二、所員は日々収容所の執務、俘虜に関する事項及俘虜面会者の氏名其の他将来の参考と  なるへき事項に就き起案し所長の検閲を受けたる後書記をして記載せしめ更に所長の  点検認証を受けるものとす
   但し人事動員秘密機密に属する事項は之を掲記せす
三、本日誌は収容所閉鎖後陸軍省に送致するものとす
四、取扱及保管者は書記とす
 
 
丸亀俘虜収容所日誌
 
 
開設準備
 
大正三年十月二十日
 第十一師団参謀長より丸亀衛戌地へ俘虜将校五、下士以下三百収容に関し計画委員として佐官一、尉官一、主計軍医各一、選定の件及二十一日午後一時師団司令部に出頭せし□件通牒あり二十一日第十旅団長より計画委員選定報告すへき命令あり左記四名計画委員の内命を受く
歩兵第十二連隊附陸軍歩兵中佐  石井彌四郎
      同       陸軍歩兵大尉  松尾正治
      同       陸軍一等主計  亀友廣吉
      同       陸軍一等軍医  白形浅蔵
 
大正三年十月二十一日
 予定計画委員へ師団司令部に出頭し参謀長経理部長同部員仲多度郡長、丸亀市助   役、六郷村長等と協議し俘虜下士以下を塩屋本願寺別院に俘虜将校を船頭町看護婦   養成所跡に事務所を塩屋民家に設くることを概定す
 二十二日前記内命の通石井中佐以下旅団長より丸亀俘虜収容所計画委員を命せらる
 
大正三年十月二十二日
 計画委員、経理部長、同部員、仲多度郡長、六郷村長、丸亀市助役、丸亀警察署長、丸亀憲兵分遣所長立合収容所に宛つへき家屋の現状を巡視し二十一日概定の通決定し計画の大要警戒法を概定す 
 
大正三年十月二十四日
 旅団長より計画委員大尉松尾正治を大尉野上榮太郎に変更の命令あり
 丸亀俘虜収容所所用器材員数表を第十一師団経理部長に提出す
 十月二十四日以降収容所服務規定其の他諸規定並設備の設計に着手せるも明治三十七、八年戦役の際に於ける丸亀俘虜収容所に関する諸書類は既に消却しあり参考とすへきものなく困難を極め成規類衆其の他に依り諸法規を研究せしも成案頗る困難なり 
 
大正三年十月二十六日
 師団より久留米俘虜収容所視察の為派遣せる伊集院主計正帰還同地の状況を通報せしむるも充分の参考材料を得す
 
大正三年十月二十八日
 師団にて種々捜索発見せる明治三十七八年に於ける松山俘虜収容所の諸規定写を送付せられ計画上多大の便利を得たり
 
十月二十九日より聯隊機動演習の為出発に付石井中佐、野上大尉は準備計画の為十一月四日迄残留を命せられ諸規定案を作成し十一月四日左記書類の成案を得旅団長に進達す
目録
一、丸亀俘虜収容所設計要図
二、丸亀俘虜収容所所要器材調査表 
三、丸亀俘虜収容所服務規則
四、丸亀俘虜収容所取締規定
五、丸亀俘虜収容所俘虜心得
六、丸亀俘虜収容所衛兵特別守則
七、丸亀俘虜収容所火災予防規定
八、丸亀俘虜収容所用達商人に関する規定
九、丸亀俘虜収容所酒保に関する規定
十、丸亀俘虜収容所俘虜慰問面会及寄贈品に関する規定
十一、丸亀俘虜収容所宗教家新聞社員に関する規定
十二、丸亀俘虜収容所俘虜埋葬及会葬規定
十三、丸亀俘虜収容所俘虜郵便電信小包授受手続
十四、俘虜列看の際所長の與ふる訓示案
十五、俘虜上陸地より収容所迄の輸送に関する取締計画
十六、俘虜受負賄献立表
十七、丸亀俘虜収容所開設の際に於ける行事順序
十八、丸亀俘虜収容所に憲兵配属に関する規定
 
大正三年十一月五日
 残留計画委員機動演習及特別大演習参加の為出発せり
 機動演習中中央部より収容所設計に関する費額一八□九円に限定せられたる為設計上変更を要することとなり師団司令部残留営繕掛主計に於て予定計画の一部を変更極度にに於改修其の他の工事を縮小せり
 
十一月十一日附左の通任命あり
   丸亀俘虜収容所長被仰付
歩兵第十二聯隊附陸軍歩兵中佐  石井彌四郎
   丸亀俘虜収容所員被仰付
歩兵第十二聯隊中隊長
              陸軍歩兵大尉  福島格次
   丸亀俘虜収容所附兼勤被仰付
    歩兵第十二聯隊附兼第十一師団経理部部員 
              陸軍一等主計  亀友廣吉
   同
    歩兵第十二聯隊附二等軍医      倉本猪三男
 
大正三年十一月十二日
 朝演習地大阪府堺付近に於て所員福島大尉計画委員たりし野上大尉同日午後所長石井中佐帰還命令を受け十一月十三日午前衛戌地帰着同日午後より開設準備着手
 
大正三年十一月十三日
 午後第十一師団高級副官軍医部長残留伊集院主計正正古庄主計と本願寺別院に会合し工事の状況を視察し又収容所開設並俘虜受領に関する細部を協議決定す 
 
 
大正十一月十四日  晴
 午前八時丸亀俘虜収容所を塩屋尾崎オ太方に設置し事務を開始す
 同日第十一師団長、歩兵第十旅団長、丸亀衛戌司令官に報告し香川県知事外十箇所に開設を通報す
 丸亀□□区司令部附陸軍歩兵曹長宮田丑太郎収容所附下士の任命迄臨時派遣を命せられ本日より所員付下士の業務に従事す
 歩兵第十二聯隊より下士二、兵卒六、業務補助として派遣を受く
 善通寺聯隊区司令部通勤陸軍工兵軍曹高口好太郎収容所附下士の任命迄臨時派遣を命せられ本日より所附下士の業務に従事す
 午后中村軍医部長師団経理部附古庄主計業務打合せの為来所す
 上等計手三谷正水丸亀俘虜収容所附計手として来所事務に従事す
 
大正三年十一月十五日  曇 風
 午前石井所長は福島大尉と共に明一六日俘虜上陸に就て実地視察の為多度津港に出張同地警察分署長並同町長と警戒其の他に就て左の如き打合せを為す
 警察署長に対し俘虜上陸の際の浮船曳舟並海上警戒の為県警察部所有船屋島丸及八栗丸派遣の件
 俘虜上陸の際上陸地並沿道警戒の件但し警戒は人民に対するものを主とす(警察より警戒配備は附図第一の如し)
 町長に対し俘虜上陸用浮船準備の件
 湯茶準備の件
 午前八時所附倉本軍医山地看護長到着直に衛生事務に従事す 
 午前十時師団軍医部長中村軍医正師団経理部々員伊集院主計正、古庄主計、師団副官多田少佐、善通寺憲兵分隊長情況視察の為来所
 設計工事は本日午前中に終了の予定を以て大に督促せしも数次の設計変更(経費節減のの為)に依り其の進捗意の如くならす午後晩く来竣功せす為に室内の掃除寝具の整屯を為すを得すして頗る困難せり
 陣営具は其の送付を善通寺衛戌地諸隊より仰きしか午後三、四時頃悉く到着せり此等の陣営具中甚しく破損し修理の上ならては到底使用し得さるも数個あり大に大遺憾なりき
寝具の供給は之を歩兵第十二聯隊に仰きたり然るに其の受領手続の遅延並留守隊経理委員の準備梢不十分なりして以て其の受援に多大の時間を費し一部の受領は遂に夜に入り行はさるを得さるに至り加之毛布内にはナフタリンを挿入しありて之を除かんには到底少数の使役兵を以てしては不可能事に属し遂に其の儘単に各人毎に分配するに止まるの已むなきに至り此間多少の混雑を見るに至れり
 前述の如く若干の錯誤ありしも各員の努力に依り午後十一時全ク諸般準備完了せり
 点灯の申込に付ては申込後者三日の今日に其の完成を見るは会社に非常なる尽力に出てたるものとして実に好都合なりき  本日所附兼勤倉本軍医出勤
 
大正三年十(ママ)月十六日  晴
 昨夜師団司令部より俘虜輸送に付左の電話を受領せり
   俘虜将校七、准士官二十一、下士卒二百九拾六、福寿丸にて本日午後五時門司発、  多度津に向ふ朝食は船内に於て為□患者なし
 右電文に依り俘虜多度津入港は午前七時頃ならんと予想し所長所員衛生部員一同は同地に出張し諸準備を整え其の到着を待つ
 午前九時四十分前記の人員を乗せて福寿丸は入港す俘虜の健康状態は一般に良好にして皮膚病一、擦過銃創にありしのみ内科的疾患なし(従来の俘虜日誌は附表第一の如し)
 俘虜は直に福寿丸輸送指揮官歩兵少尉中村次喜蔵より受領し三艘の艀船(約六十人乗)を以て上陸を開始す屋島丸及八栗丸曳舟を為せり
 午後零時三十分上陸を完了す即海岸広場に於て附表第二の如き所長訓示を行う次て福島大尉は若干の俘虜心得を指示す
 午後一時三十分附図第二の如き体形警戒配備を以て収容所に向ひ出発す俘虜の所持品中重量大なるものは之を荷車を以て別に運搬せり
 午後二時三十分別院収容所に到着す
 准士官以下は中隊毎(第二、第七中隊)に本堂、庫裡に収容す各中隊最古参下士をして各中隊毎に取締を命す
 此れ等処置に対し最古参大尉ランセルをして区署を補助せしめ多大の便役を得たり
 午後四時将校七を其の従卒四と共に船頭町収容所に収容す俘虜将校は大尉一、中尉三(内一国民軍)少尉三(内二、予備)をして准士官は概ね予備役にして東洋方面に在留せしものの如し午後四差し当たって必要の命令を下す其の主要なる事項左の如し
一、火災予防の件
   二、水を飲まさる件
   三、主要なる日課の指示
   四、不寝番を置くこと
   五、点呼の件  舎外に於てす
   六、軍紀、風紀を正しくする件
 収容後一般現設備に満足し静粛にして能く指示命令に服従し不穏不穏(ママ)反抗等の顧慮なきか如し
 最初の支給品として手拭一筋、状袋一締、洋紙一帖塵紙一帖を附與せしに大に感謝せり 経費節減の為器具材料不足し所要に充たかると所員及留営将校の数僅少なるとに依り取締上不便少からさりき
 此日通訳荒川充雄着任せり
 
大正三年十一月十七日  曇
 午前七時俘虜一同起床午前八時朝食午前十時より約一時門(ママ)遊戯を行ふ
 俘虜は概して満足しあるも唯飢を訴ふるもの者多し
 出入商人選定の為めには情実を排し主として丸亀市及六郷村の為の利益あらしむる目的を以て市村に照会し適当の者を選抜の上物価表並見本等を携え来所せしむへきを以てせり
 午后伊集院主計正来所せしむへき
 本日より本部電話開通す
 
大正三年十一月十八日  晴  
 独逸國祭の為俘虜は一般に祝意を表したり海軍歩兵ブロッホベリエル入院せり
 ランセル大尉並高級古参下士ブンゲより左の諸件を願出たり
一、食事の量を増すこと
二、麦酒を飲ましむること
三、酒保を開くこと
四、将校に自由散歩を許すこと
 右に付便宜を計るへき旨答へ置けり第二中隊は現役者多く左程食事に就て不足を訴へささるも第七中隊は豫后備兵のみより成るに以て甚しく飢え言ひ或る者は胃液の口中浸出するを述へ或る者は半病体にある旨を訴へたり
 午后、伊集院主計正、丸亀市長、六郷村々長来所す
 
大正三年十一月十九日  晴
 本日より両中隊古参下士に一室を與へ且寝台及椅子等を給し優遇す又准士官は一般に給與上優遇を與ふることとす
 午前十時より約一時間第七中隊を舎外に出し本門と鉄道線路と間に於て運動を為さしむ第二中隊は舎内に於て為す
 午后俘虜の有する日本貨幣の両替を銀行に依頼し銀行員を出張せしめて之を為す
 午后三時より五時迄酒保を開く本日の売品は菓子類菓物類、果物類煙草ビールなり相当の売別ありたり
 午後伊集院主計正来所
 俘虜の状態は益々良好にして現在の状態施設に満足し挙止動作快活にして些憂鬱の状なし
 昨日及本日出入商人として決定せし者左の如し
    理髪業     山内 福松
    同       小橋 勝太郎
    菓子其の他西洋食料品  田村 忠太郎
    果物商     重本 綾次
    煙草商     奥田 忠太郎
    鶏肉商     佐久間百次郎
    豚肉商     白田 大三郎
    蔬菜商     香川 金八
    洗濯商     森  格次 
    牛乳商     三谷 綾次
    文具商     田岡 長平
 両班長を優遇せしことは大いに好感響を與へしものの如く取締に付てて一層努力するに至れり
 
大正三年十一月二十日  晴(夕刻より雨)
 朝第二中隊海兵スプリュンヘン入院す
 午前十一時より酒保(文具類)を開く
 午后二時より准士官以下一同福島大尉引率の許に中津公園に赴く公園に於て約三十分随意散歩の後午後三時三十分帰舎す窮屈なる舎内よりして廣闊なる野外に出しを以て各人大に満足の喜色ありき降雨の為日夕点呼は舎内に於て之を行ふ
 本日獨文俘虜心得を交付し両班長をして随所に掲示せしむ
 午前高松宣教師エリクソン外一名慰問の為来所書籍若干を寄贈す
 本日俘虜電報輻輳し之に関する事務多忙を極めたり
 
大正三年十一月二十一日  晴(風稍強し)
 朝海軍歩兵スタインブルグ條虫の為入院す
 午后将校一同従卒共福島大尉引率中津公園に散歩す
 夜風強きを以て火災予防其の他に就て一層注意を倍 せしめんか午前一時過土民の獨逸人らしきもの塩屋東端を東進しある旨を告くるものありしを以て直に点呼を行ひしも異状なし
 
大正三年十一月二十二日  曇
 午前岡山縣多額納税者佐藤宇八並山陽新報通信記者本倉健来訪宇野港絵葉書二百枚を寄贈す依て現役兵に分配贈與す
 俘虜名簿取調記載の結果俘虜の身分級別左の如し
 将校七、内大尉一、中尉三、少尉三、准士官二十一、下士四十九
 兵卒二百四十七、内一等麺麭焼工一、二等靴工一
 合計三百二十四名
 
大正三年十一月二十三日  晴
 午前下士以下一同福島大尉の引率を以て三軒屋を経て東練兵場に散歩す
 午后歩兵第十二聯隊附少尉里見金二同立花芳史補助将校として演習地より帰還出頭す
 シーメンスシュッケルト會社員ハンスドレンクス金六千圓送附し来り最高級古参者ランセル大尉をして日本在住獨人の寄附金(百円)分配方青島獨亜銀行券交換方将校下士に百円以下融通方シーメンスシュッケルト會社員に分配等処理せしむへく依頼し来り即同人に命し之を処理せしむ
 
大正三年十一月二十四日  晴
 午前十時ランセル大尉を別院収容所に招致しシーメンスシュッケルト會社より送金せし金圓に対し下士以下に布達せしめ且其の処理に従事せしむ
 当所員一等主計亀友廣吉演習地より帰還本日より出勤す
 補助下士一年志願兵谷本清太郎本日より一年志願兵真鍋茂と交代す
 午后師団参謀長樋口大佐経理部長河内主計正来所情況を視察せらる
 両班長より寒気予防の為諸般の設備に付いて願出つる処あり然れとも経理の関係上容るるを得さること多かりき唯自弁を以て石油□□並木炭を購買し之を各室使用することを許可せり
 
大正三年十一月二十五日  晴
 午后ランセル大尉別院収容所に来りシーメンスシュッケルト會社より送金せる金圓に付処置を為す
 午后第二中隊の身体検査を為す
 
大正三年十一月二十六日  晴
 午前海軍歩兵チンメルマン硬性下疳の為同ポペック急性胃炎の為入院す
 午后第七中隊下士卒並将校の身体検査を為す
 俘虜下士卒より冬外套二十六枚(第二中隊より拾枚第七中隊より十六枚)の支給を願出つ
 
大正三年十一月二十七日  晴
 午前下士卒一同福島大尉指揮の下に丸亀市街を東練兵場に散歩す
 俘虜ラーデマッヘルに其の妻各倉小松神戸より面会に来る即衛戌司令官の許可を得て約二十分間の面会を許可せり
 午後歩兵第十二聯隊演習地より帰隊の途次別院収容所前を通過せしを以て将校准士官に限り所前に集合して之を迎へしむ
 俘虜ラッヘル其の妻荷物を持参す即特に武士の情を以て直接之を交付せしむ
 
大正三年十一月二十八日  晴
 本日以後別命はなくとも下士以下午前は十時より十一時並午後三時より四時の間は本門と街道間の運動を許可せり
 
大正三年十一月二十九日  晴
 別院収容所に於て夕刻蓄音機を奏し俘虜を慰めたり
 別院収容所に於て私に俘虜下士以下に火鉢を買いたるものあるを発見せり即憲兵警察に依頼して取調へしむ之等は火災予防上危険なり
 本日より靴商島本亀太郎をして靴の修理を別院内に於て為すことを許す
 
大正三年十一月三十日  晴
 午前下士以下一同中津公園に散歩す 
 午后補助将校少尉中井均少尉山崎楠喜、里見、立花、両少尉と交代す
 娯楽の為ソフトボール一個を支給せしに大に満足の意を表し嬉々として戯れたり
 
大正三年十二月一日 
 午前本縣知事川村竹治医官及丸亀警察署長を伴ひ来所即所長は所の現況に就て詳述し然る後別院並船頭町収容所を巡視す
 本日夕食より下士以下は自炊を許可す
 本日午後別院衛兵所に於て照合仮門鑑二枚紛失す元来仮門鑑は紙製なるを以て漸次不都合の点少なからす
 明日より木製の門鑑を使用することとす
 本日より本村農会をして牛乳を販売せしむ
 
大正三年十二月二日  晴
 本日は衛戌司令官巡視の予定なりしを以て大掃除をなさしめたり然れとも巡視は明日に延期せられたり
 午后ランセル大尉に到着せる食料品を附與する序を以て下士以下自炊の情況を巡察せしめたり
 本日午后より商人大西喜太郎をして一品料理を売らしむ又本日より朝夕二回当六郷村農会にビール空瓶を塵と共に取らしむるに代りに別院門前より街道に至る間の掃除を為すことを契約せり
 本日郵便小包及鉄道貨物等輻輳し業務多忙を極めたり
 
大正十二月三日  曇
 午前十時より丸亀衛戌司令官東正彦巡視せらる之れか為俘虜一同(将校共)別院収容所廣場に将校並第七中隊は東面第二中隊は南面して整列し之を迎ふ衛戌司令官は別院収容所に到て一同に対し左の訓示を為し後ランセル大尉並み両班長を従へ構内を巡視し次て本部及船頭町収容所に赴き午前十一時退去せられたり
    訓示
 余は丸亀衛戌司令官大佐東正彦なり収容所長の報告に依れは汝等は常に獨逸軍人の軍紀風紀を維持する由是れ余の最も喜ふ処なり  
 将来益々軍紀風紀を厳守し収容所長以下の指示命令に服従し獨逸軍人の名誉を発揚し静に平和克復の日を待つことを望む
         丸亀衛戌司令官東正彦
 俘虜は衛戌司令官の来らる(ママ)たるを知るや全力を尽くして掃除整頓に勉め巡視の際は充分に敬意を表し些の不都合なかりき
 師団経理部々員中島主計正建築検査の為来所
 本日より将校も自炊を開始す
 
大正三年十二月四日
 午前高松宣教師エリクソン慰問の為来所入院患者に対し果物若干を又一般の者に対し雑誌若干を寄贈す
 午後門外に於て運動遊戯の際ヤコブ アルロースの両名は誤て灌漑用井中に陥り額部又は後頭部に軽傷を負へり 
 本日俘虜将校に初て俸給を支給す
 松山に於て俘虜に盗難ありしを聞き一般に注意を與へたり
 
大正三年十二月五日  晴
 別院収容所俘虜の願出に依り庫裡より北方に通つる廊下並本堂西側准士官室に電灯五つ備付しむ但し電打(ママ)料は彼等の自弁とす
 本日より歯科医岡峯之助来所俘虜の歯疾治療を為す
 午后将校下士を合わせ外出西平山町北側埋立地に到り運動を行ふ天気極めて可にして彼等の満足を得たり
 
大正三年十二月六日  雨
 記事なし
 
大正三年十二月七日  晴
 補助将校少尉山崎楠喜中尉宮地忠一と交代す
 本日三日附を以て田中秋山軍曹当所に派遣を命せらる
 夜風強し別院収容所西側民家に於て火災起らんとせるも歩哨の注意を以て幸に事なきを得たり
 
大正三年十二月八日  晴
 午后俘虜一同種痘を行ふ
 此日午后将校一同は中尉所員の監視下に丸亀市街及同西側郊外散歩す
 
大正三年十二月九日  晴
 午后下士以下一同中津公園に散歩す
 師団経理部々員古庄主計来所
 
大正三年十二月十日  晴
 午后徳島縣知事秦豊助来所状況を来観せらる
 頃日来俘虜宛信書数漸次増加し来り発信数も亦減少する模様なく加之小包通運等の到着頗顆多日々三四十個に上り為に点検の事務繁忙を極むるに至れり
 
大正三年十二月十一日  晴
 午前伍長アンドレー卒ブロッホベリエル同スプリュンケン同ポペックの四名退院す
 歩兵少佐藤井勇吉来所
 本日より俘虜の糞便検査を開始す
 
大正三年十二月十二日  晴
 午后俘虜下士以下一同土器川原に散歩す
 所長石井中佐十一月三十日附を以て勲三等に叙せられ瑞宝章を授けらる
 
大正三年十二月十三日  雨
 午后六時三十分より別院本堂に於て俘虜下士以下演技を催す
 
大正三年十二月十四日  晴
 一昨十二日信書点検の際俘虜ビオレット六日発大阪カザール宛信書中に同人の我某曹長と結ひ将来民家借受の周旋を得るへく話したりし事を発見し取調の結果該曹長は宮田曹長なることを知れり此件に関し丸亀聯隊区副官勝浦大尉来所 
 火災予防規定並俘虜罰則等を俘虜に配布す
 
大正三年十二月十五日  晴
 俘虜ビオレットに対し尚取調ふる処あり
 発信に関する制限規定を俘虜に配布す
 
大正三年十二月十六日  晴
 午前の運動は本日より午前九時より一時間に改む
 午後下士以下一同中津公園に散歩す
 午前衛戌副官岩澤大尉来所
 
大正三年十二月十七日  晴
 午後神戸伯林カセラ染料株式会社員磯部長正俘虜フリッツズーランドを慰問の為来所す及中井少尉立合の上面会せしむ
 善通寺憲兵分隊長憲兵中尉津村吉清来所々内を視察す
  
大正三年十二月十八日  晴
 朝昨夜船頭町収容所炊夫室に在りし密(ママ)柑角砂糖並麺麭屑若干□取せられし旨同所炊夫辻村より届出あり憲兵分憲所に通報し取調を依頼す
 右取調の結果は意外にも昨日上番衛兵の所為と判明し実に遺憾の極なりき依て直に衛戌司令官に報告し定時限に先ち午後二時三十分衛兵を交代す
 午后大阪俘虜収容所員上田大尉来所蓋同所俘虜を徳島へ転送の後立寄られしものなり種種相互に情況を交換し事務上益する処大なりき  補助将校宮地中尉十二月十一日附を以て当収容所々員に補せらる
 
大正三年十二月十九日  晴 強風
 午後一時より下士以下一同西平山北側埋立地に散歩す
 クリスマス前なる為の小包郵物其の他貨物の到着するもの頗多く一一事務所に俘虜を招致し点検の上交付するを以て該事務漸く多忙を極めたり 
 午后三時三十分歩兵第十二聯隊各中隊長来所主として衛兵に就て視察所附三谷計手本日十五日附を以て一等給を給せらる
 
大正三年十二月二十日  晴
 午后俘虜ラーデマッヘル其の妻名倉小松面会に来る中井少尉立合す
 
大正三年十二月二十一日  晴
 午前スタインブルク入院中処退院帰所す
 午后将校一同中津公園に散歩す
 俘虜宛貨物は従来所員に於て開封検査後交付しありしか梱包内に在る貨物の動揺を防く為めの填塞物等を除去する為め却て貨物の□□を疑ふ如きものあり依て本日以後俘虜をして自ら開封せしめ点検することに改めたり
 
大正三年十二月二十二日     
 午前十時丸亀市長藤好乾吉並同市参事会員俘虜慰問の為来所す
 
大正三年十二月二十三日  晴 強風
 午前コルンデルフェル、チンメルマン入院中の処退院帰所す
 到着貨物交付の為め俘虜をして補助せしめんに大に好結果を得たり
 
大正三年十二月二十四日  晴
 午後歩兵第十旅団長齊藤少将視察の為来所せらる主として取締に関し若干衛戌司令官に注意せらるる処ありたり
 午后五時より俘虜一同(俘虜将校は同下士以下之を招待せり)別院収容所に於てクリスマス祭を施行せり其の概要左の如し
情況概要
 当夜居室中央に簡単なる祭壇を設け果物菓子等の備物を為し室内には相当の装飾を施し各所に机を配置し後俘虜一同祭壇の周囲に集合せり 
 午後六時祈祷開始一同賛美歌を唱え約一時間にして式終るや各自設けの席に着き飲食しなから雑談を為し又は楽器を弄ふ等最□無邪気に会食せり(当夜は特に午后十二時迄就寝延期を許可せり)
 
大正三年十二月二十五日  晴
 本日より日朝点呼を午前九時に改む
 本日はクリスマス祭日なるを以て俘虜一同嬉々として一日を過せり
 午前徳島縣美馬郡脇町東林寺住職小川学進仏教浄土宗を代表し俘虜一同を慰問す
 夜過日の窃盗事件の為め第十一師団法官部荒井理事録事を随へ取調への為め船頭町収容所に来所す
 
大正三年十二月二十六日  晴
 本日以降俘虜取締に為め船頭町並別院収容所内に各一名の日直補助将校を置かるることとなれり同時船頭町収容所補助下士は之を廃せらる
 中尉少尉の補助将校たりしことは之を止めらる
 夜クリスマス祭最終日の為め別院収容所に於て俘虜は演技あり
 
大正三年十二月二十七日  曇
 午后山陽新報者(ママ)塩田譜治俘虜慰問の為め来所即俘虜下士以下総代たる両班長に面会せしむ福島大尉立合す
 
大正三年十二月二十八日  晴
 記事なし
 
大正三年十二月二十九日  晴
 本日より福島大尉通訳と共に下士以下の身元調を開始す
 
大正三年十二月三十日  晴
 午后一治三十分より下士以下所持品の検査を施行す概況左の如し
  一、禁すへき物品を所持せるものなし
二、一般に第七中隊は豫後備兵多き丈私有品多し
三、所持品の多くは食物、飲食用器具、化粧道具なり二、三私服を所持せるものあり しか之等は凡て記帳し置けり
四、居室狭隘なるに所持品比較的多き為場所の利用は実に遺憾なきものありき
五、若干不潔なる点ありしを以て直に掃除せしめたり
 今朝検査を予告せし為めにや護身用拳銃一個塵埃捨場に投棄しありしか廃銃にして用に堪へさるものなりき
 
大正三年十二月三十一日  雨
 午前九時三十分より将校並其の従卒の所持品の検査を施行す 
 青島附近五万分一地図二枚を没収せり
 当夜除夜なるを以て特に准士官に限り午后十二時迄会食談話を許可せり
 午後三時より四時の間に於て別院収容所表門歩哨妄に門鑑を有せさる酒保商人雇人を入門せしめして所附秋山軍曹実見せるの事実あり