ミリオンゴッド
 
小阪 清行
 
 七月のよく晴れた朝、大輔は八時過ぎにマンションの部屋を出た。いつもは外で遅めの昼食を済ませてから出かけるのが彼のやり方だった。しかしその日は「ラスベガス津山店」で開店三十分前から並ぶことにしていた。前日の負けを取り戻すために、どうしても同じ台を確保する必要があった。「キングパルサー」137番台に、彼は昨日約十万円を突っ込んでいた。その台は三日連続で低設定だった。そんな台が、更にもう一日低設定にされるなどということは、まずあり得ない。だから大輔は、いつかは爆発するはずだという確信をもって打ち続けた。閉店近くまで打ったがそれでも出なかった。大輔の耳に「プロにばかり持っていかせてたまるか」、という店長の声が聞こえてくるようだった。
 しかし、まさか今日もまたあの台を絞るだけの度胸はあるまい、というのが大輔の読みだった。スロット機メーカー大手の一つ「山佐」の「キングパルサー」、通称「キンパル」は、絵柄が美しく、ドットのアクションも気が利いていて、適度にドキドキ感がありながら、しかもそれほどギャンブル性が高くなく、オヤジや女性でも安心して打てる台として、今や業界で導入率一位を誇る人気機種である。そういう機種で、たとえ一台でも、五日間も連続して低設定の日が続いたという噂が流れると、その店のその機種から客が引いてしまう恐れがある。ある程度の「読み」が可能でなければ、出そうな台を狙って朝から店の前に列を作る客などいなくなってしまう。ほんの数台の設定が、店の人気を急落させ、その店にとって命取りになることもあり得る。「ラスベガス津山店」はオープンしてまだそう長くはない。店長は店の信用を安定させたいこの時期に、そこまではやるまい。大輔はそう読んだ。
 マンションの駐車場に隣接するコンビニでマルボロを買って、逆輸入のアコードクーペに乗り込んだ。ジャクソン・ブラウンの「プリテンダー」を聴きながら、シガーライターでタバコに火を点けた。そして、煙をゆっくりと、深く吸い込んだ。全てをゆっくりと、クールに。慌ててはいけない。常にゆっくりと、そしてクールに――これが大輔が体で覚えた鉄則だった。
 その日は「ラスベガス」に話題の新台「ミリオンゴッド」が入ることになっていた。彼は、パチスロ専門誌でだいたいの仕様を読み、一通りの知識は頭に入れておいた。
 大輔が店に着くと、開店三十分前であるにもかかわらず、すでに職人風の中年男や若者が五・六人、入口に並んでいた。十五分前にはもう長蛇の列ができた。朝から並ぶのは普段は遊び人風の男が多いのだが、その日は新台入れ替え日であり、また夏休みに入ったということもあり学生らしい若者達や、若い女性などもかなり混じっていた。
 タバコを吹かせながら、前に並んだ男たちの話をぼんやりと大輔は聞いていた。
 「一昨日三万円勝って喜んどったら、昨日は五万やられてしもた。なかなか得(とく)させてもらえんわ」
 「そら、お前、遊びながら毎回稼がせてもらおうちゅうのは虫がよすぎるんじゃわ。楽しませてもらうぶん、チィートは寄付もせないくまいが」
 「そーじゃった。それが基本じゃった。だいたい初めっから、あっちが儲かるように機械を設計しとんじゃからのー。10台のうち、儲け台は2台、遊びの台が3台、損する台が5台、そのうち大損台が1台。まあ、そんなとこか」
 「そんなもんやろのぉ。土・日や、イベントの日でも、儲け台がせいぜい3台くらいのもんか」
 「そらそうやろて。パチンコ屋は慈善でやっとんではないからのー」
 「へー、儂等(わしら)しがない庶民ための福祉事業かと思とった」
 「アホ、もっとましなボケができんのか。――考えてみいや、おまえ、国道沿いの一等地に駐車場付きの大きなホール建てて、一台が何十万もする機械をヨーケ置いて、人もぎょうさん雇(やと)て……そのうえ社長の豪邸やベンツもわしらが払(はろ)てやらないかん。競艇は胴元が二割五分取って、こっちに七割五分返っしょるが、パチンコはその逆やからのう」 
 「考えたらそうじゃわのう。こなに不況で失業者があふれとるなかで、楽しみながら金儲けできるなら、誰でも飛びつくがぃ。『梁山泊』のようによっぽど本腰入れて攻略法を研究するか、何百万も出して設計者から裏攻略法でも仕入れんことには、おいそれと百戦百勝という訳にはいかんわぃの。イッソ、ゴト師みたいに体感機か電波発信機でも付けたろか」
 「アホ、そななことしてみぃ、きょうび、探知機や監視カメラで一発じゃわ。パチンコ屋は裏でアッチの世界に繋がっとるから、怖いぞ、オマエ」
 「冗談じゃわ。あーあ、ほんだけど、勝ちたいノー。新台入れ替えの日くらい、チィートくらい勝たせてもらおうと期待しても、罰(ばち)は当たらんじゃろうがノー」
 大輔は開店前から並ぶのが好きでない。プロのスロッターになった今でも多少の見栄は残っていた。しかし生活のためには、彼はいつでもその見栄も捨て去る覚悟はできていた。それでも普段彼が並ばないのは、朝から並ぶよりも、もっと良い勝ち方があるからだった。午後に出かけて、他の人間がかなりコインを注ぎ込んだ捨て台を探しだして、集中的に攻める――それが彼のやり方だった。
 しかしその日は、彼はどうしても朝一番から「キングパルサー」137番台を確保する必要があった。より確実な道を選ぶこと。これもプロの鉄則だった。
 大輔の後ろに並んだ学生風の若者達の話題は、もっぱら新台「ミリオンゴッド」のギャンブル性の高さについてであった。
 「凄い連チャン機らしいぜ」
 「みたいだな。7が三つ並ぶと、出っぱなしになる確率が高いから、結局いかに早く揃えるかが問題らしいな」
 「昨日の晩ホームページ見てたら、岡山市内の『ダイヤモンド2号店』で、朝一番に揃えて一日中出っぱなし。二百万円近く稼いだ人間がいるってよ」
 大輔は用心深かった。ギャンブル性の高い台は、新台の場合は例外として、極力避けることにしていた。ギャンブル性が高いほど「読み」がきかないからである。しかも抜け目のない「ラスベガス」の店長は、新台でも初日から出すとは限らなかった。今までの経験からすると、むしろ二・三日目からの方がよく出した。それに三日目くらいの方が、履歴から、出る台の見当をつけやすい。ともかく「ミリオンゴッド」は、その日は一日様子を見るだけにしておこうと、彼は心に決めていた。
 「キンパル」137番台は大輔の予想通り、最初から爆発した。朝一番から出る台は、通常はカス台が多いのであるが、その台は四日間のストックをほとんど吐き出してしまう勢いで、大バケツ二杯が見る見るコインで満たされた。前日煮え湯を飲まされていただけに、数時間の間、彼は溜飲が下りる快感を味わった。
 その後しばらく出たり引いたりの繰り返しであったが、正午過ぎに彼はその台に見切りを付けて、一度精算することにした。まだまだ出る可能性もないではないが、深追いするのが一番危険だった。「腹八分目、引き際が肝心」――信木(のぶき)に教えられた言葉を彼は肝に銘じていた。コインカウンターのレシートを見ると、十三万あった。前日の負けとの相殺で、三万の稼ぎ。トータルでは、月半ばにして二十万、まずまずのペースだった。
 
 「矢崎!また儲けよったな、こいつ。俺にもスロットの勝ち方、教えてくれやー」
 景品交換所で万札を数えていると、半ズボンをはいた禿頭の中年男が後ろから声をかけてきた。大輔の高校時代の英語教師、資延(すけのべ)だった。授業中によくサド・マゾやフロイトなどについて講釈を垂れるので「スケベノ先生」とあだ名されていた。また最近では、キングパルサーを打つのを何度も生徒に目撃されていて、「キンパル先生」とも呼ばれていた。
 「先生みたいな下手クソは、スロットなんかやめとった方がえぇんです」
 「ぬかせ、この前の日曜はお前の三倍は出しとっただろが」
 「肝心なのはトータルの結果。十回の内に二・三回勝つくらいだったら、年寄りや中学のガキでも出来ますよ。僕らのようにこれで喰っていくとなると、少なくともコンスタントに六・七割は勝たなきゃいけない。『運』にだけ賭けてるオヤジ打法の先生と一緒にされては困るんです」
 「だから、その六割七割勝つ方法を教えてくれや。昼飯おごるから。ちょっと付き合え」
 「そんなに安くは教えられませんよ。僕たちだって、先生から英語を教わるのにだいぶ授業料を払わされたでしょうが」
 「こっちが教えても寝るばっかりしよったくせに、ヨー言うのー。それにワシらの給料はほとんどが税金で、おまえからカネを貰た憶えはないわぃ」
 「先生には赤点をもらった恨みもあるんです」
 「まだ憶えとん?執念ブカ〜。ほんだけど、一桁の点しか取れんで合格点くれちゅう方がド厚かましいんちゃうか。――昔の話は置いといて、ともかく『廣珍軒』の上定食で手を打たんか」
 大輔は津山工業高校の一年と二年のときに資延(すけのべ)から英語を教わっていた。他の授業と同様、退屈極まりない授業だった。サド・マゾ系の話も、連発するオヤジギャグも、軽口も、すべてウケ狙いが見え見えで、大輔にとって決して好ましいタイプではなかった。唯一の取り柄は、パチンコ屋で会っても校則がどうのこうのと説教を垂れなかったことくらいだった。
 「廣珍軒」は昼時にしては珍しく空(す)いていた。
 「上定食でも、フカヒレ定食でも構わんぞ」
 「教えんことはないですが、難しいですよ」
 「そんなモッタイつけんと、頼むから教えてくれや」
 「難しいと言えばこれほど難しいことはないし、簡単と言えば簡単至極」
 「ホー、絶対矛盾の自己同一ときちゃったね。哲学的かつ宗教的――ますます気に入った」
 「理屈は簡単でも実行は難しい――単にそれだけの話です。僕自身、同じ学年で土木科だった信木から教わって、それをただ実践しているだけなんですから」
 「信木か。あいつも工高時代から授業をサボっちゃあ、『ラッキー』とか『ビリオン』で打っとったベテランじゃわの。俺の顔見たら、『センセ、またヨーケ寄付しよんな』しか言わん男じゃわ。けった糞悪い」
 「ともかく、一見簡単なことなんだけど、僕に教えたその信木自身が実践できていない。だからあんまり勝てない。もっとも、あいつ自身が考え出したというよりも、攻略本やネット上で相当研究したようですけどね」
 そう言って大輔はポケットから財布を取り出し、その中に挟んであった紙を資延に見せた。















































































 

スロット葉隠

一。 まず、物事を高い視点から見る必要がある。世界的不況の中で、特に日本経済は、その国債がアフリカのボツワナ共和国以下に格付けされるほどの泥沼状態。そんな不況の中で栄えるのがギャンブルである。パチンコ屋の側も、そして客の側も、文字通り喰うか喰われるかの世界に生きていることを銘記すべし。新しい店が続々とオープンするなか、パチンコ業界も今や戦国時代で、生き馬の眼を抜く熾烈な戦いが繰り広げられている。かつては単独店を挟み撃ちにして潰していった中規模店が、今はより大きなグループに潰されつつある。そのグループも、いずれはさらに大きな資本を持つ全国規模の大手に吸収される運命を辿るであろうと思われる。客の方でもまた、特に若者の間に就職氷河期。3Kの仕事について、汗水垂らして高々一万円の日当を稼ぐよりも、好きなスロットでプロとして生きんことを目論み本気で勝ち方を研究している若者は、樹海の葉っぱの数ほど多い。この両者が死にもの狂いで格闘し、生き延びようとしているのが現状なのである。南無阿弥陀仏。
 
一。 こういう状況の中にあって、無自覚に打ったのでは、スロットは絶対に勝てない。本気で勝とうと思うなら、原則に則ってプレイすることが必要かつ不可欠である。よって以下の条件を満たさない者、あるいは以下の原則を守れない者は、スロプロになる資質も資格もない故に、最初からそういう気持ちはキッパリ捨てて、別のジョブを探すことをお奨めする。

一。 スロプロに一番必要なもの、それは禁欲である。常に冷静さを失わず、慌てずそしてクールに行動すべし。スロットは打ち方次第で必ず勝てる。そのためには綿密な「計算」とそれを実践する「意志」が必要である。自らを職人と自覚すべし。常にプロ意識を持ち、スロットに溺れないこと。 楽しみながら、遊びながら儲けようなどとゆめゆめ思ってはならない。
 
一。 自分の打つ台を数機種にしぼり、その機械の癖、出玉の波のパターンなどを完膚無きまで把握すべし。設計者の心理・意図が手に取るごとく読みとれるまで研究すべし。店の数も数店に絞り込むことが望ましい。そして店ごとの設定師・店長の癖、心理あるいは心裏を完全に読み取れるまでに研究すべし。

一。 台の履歴を読む訓練を徹底すべし。スロットは、コインを多く飲み込めば飲み込むほど、それだけ多く吐き出す仕組みになっている。その日、プレイ数が多く、ボーナス回数が少なく、かつその前から数日間にわたって出の弱かった台は、まず爆発するとみて間違いない。しばらく辛抱が必要かもしれないが、これぞと思った台は徹底的に攻めるべし。(ただしギャンブル性の高い機種はこの限りにあらず。プロを目指す者は、そのような機種は避けるべきである。)

一。 美味しい台は、朝一番から爆発することはまれで、かなりコインを入れた後に爆発する可能性が高い。よって朝一番に入店するよりも、むしろ午後から仕事にかかり、他の人間が多く突っ込んで捨てた台を探すのが賢明である。人はこれを「ハイエナ打法」と呼ぶ。ハイエナ、あるいは鉄を喰らう狼にまで成り下がることを恥じてはならない。(世界のトヨタ・ソニー・野村や霞ヶ関の成り上がり連中も、一皮剥けば結局同じことをやっているに過ぎない。彼らはシャネルの香水をプンプン臭わせ、ゲランで厚化粧しているから、普通の人間はそれに気付かないだけなのである。)

一。 上記のような台を見つけることができるためには、台が選べないほど客の多い店は好ましくない。もちろん、客のまばらな店でよい台に出会うことは、これまた優曇華の花に遭遇するほどに難しい。

一。 100%勝てると確信の持てる台でのみプレイすべし。店に入っても、美味しい台が見つからないときは、早々に別の店に移動すべし。それでも見つからない日は、見つかるまで待つか、打たずに帰宅するのが賢明である。「打つこと」によってよりもむしろ「打たざること」によって勝つ。これが必勝の極意である。それほどの慎重さを持ってしても、実際に勝てる確率は60〜70%に過ぎない。
 
一。 インターネットやメールなどで、新台入れ替えなどの情報を常に把握しておくべし。また攻略本なども少しは役に立つことがある。(攻略本の出版社は、情報を遊技機メーカーから得なければならない事情があり、肝心要の攻略方法は、絶対に書けない。)
 
一。 特にケツの青い若者の間に、目押しやリプレイ外しなどの技術力でもって勝てると勘違いしている者が多い。多少の技術が必要な機械もあるが、その技術力が仇になる場合の方がはるかに多い。技術よりも遙かに重要なのは、冷静さ・引き際(腹八分目)・動物的勘・読みの深さ鋭さ・度胸・経験・知識・情報などメンタルな面である。
 
一。 負けが込んだとき、あるいは「読み」の勘が冴えないときは、一時スロットから遠ざかり、一週間程度(少なくとも数日間)の冷却期間を置くべし。逆に大勝ちした後も、同じ程度の冷却期間を置くべし。何人と言えども、大勝ちの後の「読み」の弛み・狂いから自由であることはできない。
 
一。 スロットは、身体的にも精神的にも毒である。その点よくよく戒心する必要がある。タバコの煙は肺や心臓によくない。また必ず目や耳をやられる。よって、プレイする時間を日に何時間までと制限すべし。目を守るには目の運動を怠るべからず。耳を守るには耳栓を用意。この世界、最終的には体力がものをいう。常々体力づくりを怠るべからず。
 
 
 「少しは参考になりそうですか?」
 「うーん、頗る深い。ちーとばかし胡散臭さと矛盾を感じんこともないけどな」
 「さすがスケベノ先生、そういうセンスは冴えてますね。でも、ワンサとあるスロプロ育成サイトの中では、結構イケル方だと思いますよ」
 「あとでコンビニでコピーを取らしてもらおうか。ところで信木は元気でやってるのか?ここしばらく見かけんが」
 「あいつ目下、蟄居中です」
 「なんで?」
 「以前付き合っていた彼女が自殺したんです」
 「なんと!どういう事情?」
 「恭子とはパチンコ屋で知り合ったって言ってました。たまたまスロットの隣りの席に坐って、目押ししてやったり、色々な情報を教えてやったり、手取り足取りってとこでしょ、たぶん――パチンコ屋で可愛い娘見ると、スケベな男がよくやる手ですよ。一年近く一緒に暮らしてたんですが、結局お金の問題で数ヶ月前に別れたみたいです。あいつの彼女にしては美人で、たまに一緒に飲んだりしてるときなんかエクボに愛嬌があって、なかなか感じのいい女の子だったんです。ところが、彼女、下手クソの癖して滅茶苦茶嵌るタイプで、信木と別れてからは、ますますスロットに溺れたんでしょうね、キット。倉敷の『パラダイス』っていうパチンコ屋のトイレで、首をくくったんです。消費者ローンに二百万円以上借金があり、その日も同じ台に十五万突っ込んでたって話です」
 「それって、借金苦って言うより、自分の中でのたうち回るアナコンダのような薄気味悪い奴を殺してしまいたかったんじゃないかな。自分自身がイヤでイヤでたまらんで、死の世界にスーッと引っ張り込まれそうになることってよくあるもんな、ギャンブルやってると。――で、いつの話や、それ?」
 「もう一ヶ月以上も前のことになるのかなあ。信木の奴、恭子に未練があったのか、それとも『娘はおまえに殺された』とか『娘を返せ』という親の言葉が応えたのか、あるいは首を吊って舌を垂らした自分自身の姿が目の前にちらついていたのか……ともかく、一時は目つきが全然変わってしまって、アパートに引き籠もったままアルコール以外ほとんど何も口にしない。あのまま精神病院で一生を送ることになるかと思いましたよ、ホント。あの時ほどギャンブルを恐ろしいと感じたことはなかった……」
 「そういうことがあっても、おまえ、スロプロをやめようとは思わんのか?」
 「先生は、同僚が学校のことで悩んで自殺したら、教師やめようと思います?僕ら漁師みたいなもんなんです。多少の時化(しけ)や台風の中でも、出漁しなきゃあ喰っていけない。趣味で磯釣りやってるのとは訳が違うんです」
 「でも、もっと安定した職があんだろうが」
 「工高を中退して、色々な職を転々――。二年間そんなことやってみて分かったことは、結局自分は一匹狼としてしか生きていけないっていうこと」
 「失礼だけど、おまえ月平均でどれくらい稼いでんの?」
 「ワンルームの家賃と中古車のローン払って、毎日外で食って、ソープに月1・2回。それから弟に小遣い月5万円くらいはやってるかな。ともかく飢え死にしない程度には稼いでます」
 「それって、俺の収入とあんまり変らんじゃんけ。それとももっと多いのかなあ」
 「でも先生は公務員で将来が保証されてるじゃないですか」
 「俺も見た目ほど楽じゃないのよ。色々あってさ……。つまりその、変な仏心をおこして昔の友達の保証人になったもんだから、七百万円やられちまって、一瞬にして住宅資金がパアよ。愛人と共謀しての詐欺って訳。あいつ等は今ムショ暮らしだけど、もちろんカネなんて一銭も返ってこない。結局、女神と崇める小学校の先生から教わった『誰にでも優しく』とか『友達を信じましょう』なんてのは大法螺だったなあ。女房から馬鹿だの、アホだの、薄鈍だのと罵られて、『それくらいのカネ、すぐ取り戻してやらあー』と啖呵を切って、株に手を出して、これでまた大損。女房は頭にきて、一時子供を連れて実家に帰った時期もあったよ。無理もないけどな。ちょうどそんなときだよ、体育の原田に連れられてパチンコ屋行って、初めてスロットやったら、1時間で儲けが5万円。で、副業に悪くないなー、って。でも、いつもかつもこっちの期待通りには問屋が卸してくれんもんだな、スロットってのは。それで大先生にこうやってフカヒレ定食をお供えして、御(み)教えを請ってるってわけだわね」
 「何を寝言みたいなこと言ってるんですか。英語教師だったらもちろん知ってるんでしょう、ビギナーズラックって言葉」
 「さあー、俺って教養ないからなー。分かっちゃいるけど止められない、って歌だったら知ってるけど」
 「そもそもスロットなんてのは、プロじゃなきゃ勝てっこないんです。プロであるためには、毎日通って閉店時に台の履歴を確認したり、精密な記録や統計を取って研究しなきゃあダメで、片手間にやろうなんてドダイ無理な話ですよ。それに、はっきり言って、先生はスロットには全然向いてないんです。大損しないうちに止めといた方が利口ですよ。どうしてもやりたければ、お金を払って遊ばしていただこう、ってぐらいに思っててちょうどいいんです。儲けてやろうだなんて、一桁の点で合格させてくれってのより、もっと『ド厚かましい』話ですよ」
 「なんで向かないって分かる?」
 「『ラスベガス』や『ビリオン』なんかで打ってる後ろ姿を何度も見ているし、それに何回か並んで打ったこともある。曲がりなりにもこっちはプロですから、打つのを見てれば、その人間に博才があるかどうかなんて分かりますよ。先生が試験のときよく言ってたでしょ、『カンニングはやめとけ。俺みたいなプロが見れば、目つき、顔つき、体のこわばり、手の握り方でこいつはカンニングやるなって分かるんだ』って。あれと同(おんな)じですよ」
 「例えば俺のどういうところがダメなわけ?」
 「そもそも台の選び方がデタラメ。それに何より、打ってるときに落ち着きがない。ということは心にゆとりがない。だからのめり込む。カネの苦労を知らなくて計算ができないから、歯止めが掛からない。今までに相当負けてる筈です」
 「こわ〜。全部お見通しなんだ」
 「僕はこれでもカネには結構苦労させられた方ですからね」
 「そう言えばおまえ、親父さんがいなかったよな」
 「――興信所でバイトでもやってるんですか?」
 「ほら、片山ってお前の担任やってたのがいたろ、数学の?あいつがこの間、職員室でおまえのことどうたらこうたら話しとった」
 「なんで今さら僕のことなんか?学校をやめてもう5年以上経つのに」
 「生徒のパチンコ屋通いが話題になったとき、あいつ頭がコチコチに固いから、『むかし電気科に、矢崎っちゅう寝てばかりいる出来の悪いのがいて、中退して今はパチプロなんぞやっているそうだ。ああいうのは社会のダニじゃあ』、みたいな話になって。――いや、俺は昔からずっとおまえのこと、見所のある奴だと思ってたよ」
 「いいですよ、寒いお世辞なんか。世間の見る目なんてのはだいたいそんなもんですよ」
 「授業中に寝るのも、新聞配達やってたからだってこと、俺は知ってた。だから、よっぽど『矢崎とは、ときどきパチンコ屋で仲良く並んで打ってるんですわ』って言ってやろうかと思ったけど、あんなアホを相手にしても無駄だからやめといた」
 「親父がいないって言っても、別に死んだ訳じゃないんです。僕が中学のときに離婚。それもお袋の話では、先物取引に手を出したのが原因らしくて」
 「もともと何をやってたんだ、おまえの親父さん?」
 「板前。腕はよかったみたいですよ。岡山の料理人仲間では結構有名だったって話です。独立して自分の店も構えて順調にいってたのに、小豆で相当な借金を抱え込んで――。もちろん店は人手に渡ってしまう。一時は親父の実家がある笠岡沖の北木島にまでヤクザが行ってたみたいです」
 「だったら、お袋さん、おまえがスロプロやるのは反対だろう?」
 「そうでもないんです。お袋も結構パチンコが好きですから。今でもおかず代くらいは稼いでるんじゃないないかな。昔岡山に住んでたときなんか、中学生だったけど、よくお袋から、台の選び方とか釘の見方なんか教わりながらパチンコ打ってましたよ」
 「なんちゅこっちゃい」
 「うちの親の場合、山っ気のある同士ってことで結ばれてたところがあるんじゃないかなあ。二人とも、人生なんて所詮いかさま博打だと思ってんじゃないですか。僕もそういうところあるけど」
 「でも結局、ギャンブルが原因で離婚した訳だろ?」
 「親父はのめり込む方だったみたいです。けどお袋は結構冷めてます。お袋は、僕が自分に似て冷静に計算できる人間だってこと分かってるから、ある程度安心してるんじゃないですか」
 「おまえ、以前は信木と組んでやってたろ?なんで組むのをやめた?二人で組んでやった方が断然有利じゃないのか?」
 「ともかく僕自身が一人で動くのが好きだってことが一番の理由。でも別れた直接の原因は、打ち方をめぐっての喧嘩。ともかくあいつは自己抑制ってことができない。これぞと思った台でも、出ないときはいっくら入れても出ないんです。ある時点で、この台は出ないと見極めをつけたら、いくら損をしてても、見切り千両、サッと引かなくちゃいけない。それをあいつは、損した分を取り戻そうと焦って、もう出る、今に出ると、有り金を全部突っ込んでしまうんです。次の日も、また次の日も同じ台に何十万でも突っ込んでしまう。最後には狂ったかと思うほど自虐的になって、際限なくローンでカネを借りて、血眼になって破滅に突き進んで行く。逆上(のぼ)せてしまって何も目に入らないから、側で見てると、取り憑かれた人間みたいで気味悪いんです。こっちが忠告しても『滅びの美学』だとかなんだとか理屈を捏ねるから、全く始末に負えない。ギャンブルをやる人間ってそういうマゾヒスティックなのが結構多いんです。パチンコ屋で打ってる連中がみーんな、集団で溺死に向かって突進するレミングの大群みたいに見えるってことないですか?そんな連中の中でも、あいつは特に酷い。恭子と同類ですよ。常人の限度を遙かに超えてる……。それで一度、大喧嘩したことがあるんです」
 「そういう自虐的傾向って俺にもあるんだけど、お前はそこんとこをどうやって、うまく切り抜けてる?おまえにはそういう傾向、全然ないのか?」
 「機種によっても違うし、それまでに前の客がどれだけ回転させているかにもよるけど、ともかく自分で予め『何回転までやればやめる』とか『この台に入れるのは何万円まで』とか心に決めてから取りかかることです。そうしないと何時(いつ)までもダラダラやってしまって、大火傷することになるんです。仮にその台にその後坐った奴がすぐにジャラジャラ出したとしても、それはそれとして、スパッと諦めるってことができなきゃダメなんです」
 「でも俺の場合、そう決めていても、『あと少しだけ』とか『もうちょっとで出るはず』とか思って、どうしてもストップできないことがしょっちゅうなんだなあ」
 「だからその辺の話になると、金の苦労を体で知っているかどうかですよ、問題は」
 「なるほど。そう言われれば、俺、本当のところはカネの苦労したことないんかもしれんなあ。だから最後の詰めが甘くて、保証人の判なんか押したんだろうなあ」
 「でしょ。体からそんな匂いが滲み出てますよ」
 「だけど、カネの苦労を知ってるくせに、焼かれちまうまで治りそうもない人間もいるぜ」
 「それも言えます。信木も、もともとは智頭(ちづ)の山持ちの御曹司で、カネの苦労を知らないと言えば知らない。しかし、スロットに狂って工高を退学になり、挙げ句の果てに勘当されて、喰うや喰わずの生活を何年も経験してるんです。それでも懲りないだなー、あいつは」
 「神様の設定がそうなってんだよ」
 「うまいこと言うなあ。正にそれですよ、あいつの場合」
 「それなのに、なんであいつと組んだ?」
 「スロットの手ほどきしてくれたのがあいつだったし、それにあいつの知識・情報と技術は凄いものがあるんです。それに『読み』にかけては、一種天才的。だからあいつも一時は月平均七・八十万は稼いでた」
 「それがどうして今は勝てなくなった?」   
 「ちょっと前まではスロットも、まだそんなにギャンブル性の高い機種はなかった。爆裂AT機なんてのが出て、当たると何時間でも出っぱなし、なんてのは数年前からですからね。今日『ラスベガス』に導入された『ミリオンゴッド』なんてのは、さらにその上をいっていて、当たれば一日中出っぱなし。ところが出ないとなれば、何十万、何百万入れても出ないという恐ろしいマシーンです。そういう台で、一日に何十万とか、百何十万とか稼いで味を覚えると、シャブ打たれたみたいなもんで、先生や僕らが普段打ってる『キンパル』みたいな台は、かったるくてもうやってられなくなるんです。『キンパル』の場合、いくら頑張っても、十数万がやっとですから。それに、さっきも言ったように、あいつは引き際が全然ダメ。『腹八分目』なんていう結構な文句、あいつから教わったんだけど、自分自身が全然実行していない。理屈では何もかも分かっていながら、やることがあそこまでデタラメな人間って珍しい、ホント。分裂症的としか言いようがない」            
 「俺も信木とそっくりな傾向があるんだなあ、実は。だからあいつの気持ち、分かるよ。俺の場合、四十過ぎてギャンブルに目覚めたわけよ。こないだ職員室でそんな話してたら、ホラ、国語の新庄って阪神キチガイがいたろ、あいつから『資延はん、あんたその年で博打に目覚めたら、もう死ぬまで治る見込みおまへんで』なんて言われちゃってな。俺は最近なんだか、スロットやってるときにしか、生の燃焼っていうか、生きてるという実感を持つことができなくなってる気がする。中毒なんだろうぜ、キット。勝てば、また勝とうと行きたくなる。負ければ、損を取り戻そうと躍起になる。プラマイ・ゼロだと、欲求不満が鬱積。パチンコ屋の前を通ると、その磁場に抵抗できない」
 「恭子のバカに似てますねえ。典型的な禁断症状ですよ」
 「恩師に向かって『バカ』とは言ってくれるじゃないか」
 「先生じゃなかったですか?アホじゃなきゃ教師になんか成ろうと思わない、って言ったの」
 「そんな珠玉(たま)みたいな言葉を、この俺が吐いたってか?――まあ皆(みんな)とは言わんが、新聞沙汰になるような不祥事を起こさないことしか頭にない校長を筆頭に、定年まで耐えて耐えて耐えて耐え抜いて、ただただ平穏無事だけ祈ってる連中だからな、公務員教師って人種は。年金の計算しか能がないあのタヌキ・赤シャツなんぞと比べりゃあ、いい歳こいてソープ通いに現を抜かす体育の原田とか、スロットで勝ったの負けたの言ってるこっちとらの方がよっぽど可愛気があるぜ、ッタク。粗にして野だが卑ではない、ちゅーてな」
 「…………?」
 「ガッツ石松の言葉だったかな、違ったかな。まあいいや、太田胃酸、いーぃ言葉です、って訳よ」
 「ともかく先生、病気は早く治した方がいいですよ。ギャンブル依存症ってのは、WHOも認定した歴とした病なんですからね。太田胃酸じゃあ多分治らないと思いますが」
 「治せるもんなら、とっくの昔に治してるさ。それにしても、スロットを設計したヤツら、天才的だと思わんか?あれだけの巨大産業だからな、一流大学の工学部とか、音大・美大なんかを卒業した優秀なのがごろごろしてんだろうぜ。そうじゃなきゃ、コンピュータ技術と音響・グラフィック技術の粋を集めて、人間心理の裏の裏まで研究し尽くしたあんな機械、できっこないぜ。『サラリーマン金太郎』なんか、あのドラマ性・衝撃性、野性味・エロスには文学的センスまで感じるよなあ。直木賞作家も完全に負けてんじゃねえか。液晶に豹柄の姉ちゃんが現れたとたん、『金太郎!銀座へ直行じゃあ!』ときて、野球拳に勝ったら、ホステスの姉ちゃんのオッパイがポロリ、『ボーナス確定じゃあ!』なんてのは痺れるよナー、矢崎」
 「…………」
 「来る日も来る日も、やる気ゼロの生徒にイヤーな顔されながら、喋りたくもないこと喋らなきゃならない因果な商売やってるとな、こんな馬鹿でも言ってなきゃ、やってられないぜ、ッタク。授業中に一遍でいいから『英語教師をなめんじゃねーよー』って怒鳴りつけてやりたいと思ってんだ。いい気分だろうぜ」
 「…………」
 「しかし、ギャンブルちゅうのは人間の心を貧しくさせるってことは言えるよなあ。俺なんか、隣りの台が出そうだからって移って、その途端に元の台に坐った奴がジャンジャン出したりすると、カッーと頭にくるぜ。『ケッ!糞ッタレ!その連チャン、止まれ!早く止まれ!』って呪文称えてること、しょっちゅうだぜ。あーぁ、ヤダ、ヤダ」
 二人は「廣珍軒」を出た。コンビニで「葉隠」のコピーをとりながら資延は言った。
 「信木に会うことがあったら、よろしく言っといてくれ」          
 「明日会うあるから伝えときます。あいつも一週間ほど前からやっと少し普通っぽくなって、メシもそこそこ食う気になったみたいです。今度の事件がよほど応えたんでしょうね、東京か大阪に出てやり直してみたい、みたいなこと言ってました」
 「何かアテでもあるんだろうか」
 「そもそもあいつは漫画家志望で、津工の土木科に入ったのも青木雄二がOBにいるから、ってのが理由なんです――結構単純なとこあるから」
 「そうか、高い授業料を払ったんだから、それを肥やしに、『ナニワ金融道』を越える『ナニワ博打道』でも描いてみろって、言っといてくれ。俺もホントは人ごっちゃあないんだよなー。ちょっと真剣に考えよう――ナーちゃって、今から隣りの『田園』でコーヒー飲みながら、この『葉隠』をいかに実践の移すか一生懸命考えようってんだからなあ。自己嫌悪に陥るよ、ッタク。信木みたいに何か大きなことでガツーンとやられなきゃ、治んないだろうなあ。もしかしたらトラキチの新庄が言う通り、焼かれるまで治らんのかもしれんぜ。根本原因はやっぱ、心に巣くう虚無だな。この虚無さえ埋まりゃあ、こんなバカはやってないさ……色々世話になったな」
 「最後に殊勝な話を聞かせてもらいました。フカヒレ定食、どうも」
 「これで勝たせてもらったら、また奢るよ」
 
 午後の仕事にかかろうとした大輔は、翌日のためにしばらく「ミリオンゴッド」を観察しておこうと思った。やはり今までのどの機種にもないほどの連チャンで、コースには大バケツ三杯・四杯という客が何人も出ていた。コースはどの台ももちろん満席で、
その周りをハイエナ達が何匹か彷徨いている。彼らは、死闘の果てに軍資金切れで泣く泣く台を去る人間が出るのを待っているのである。大輔の予想に反して、明らかに店長は初日から出していた。しかし、コインを飲み込む速さもまた凄まじく、千円分のコインが数十秒しかもたない。一万円札がほんの数十分で消えていく様子を、大輔はホールの片隅からジッと眺めていた。
 暗い店内はタバコの煙が充満し、機械の発する騒音とBGM、それに絶叫に近いアナウンスが加わり、大輔の耳は軽く耳鳴りしていた。みずから選んだとはいえ、因果で非生産的な稼業だと大輔は思っていた。体力的にいつまで持つか分からない。精神的にももちろん良いわけがない。大金を稼ぎながら、惨めさを感じることがしょっちゅうだった。
 ……俺にはこれしか生きる術がない――とはいえ、俺の顔もきっと、一番手前のあのヤクザっぽいアロハシャツの男と大差ないんだろう。あちこちのパチンコ屋でよく見かける男だが、リーチが外れるごとに拳で機械を殴りつける癖がある。隣りには一番坐りたくないタイプの人間だ。それにしてもあの男、今日すでに何十回拳で機械を殴りつけたんだろう。開店後約6時間で、ボーナス回数はまだたったの2回。と言うことは、二十万円近く注(つ)ぎ込んでいるに違いない……
 大輔は入り口に近い方の隅に立って眺めていたが、新台入れ替え日で、しかも店内で一番目立つ入り口間際の台は、素直に考えれば店長が一番バケツを積み上げたくなる台のはずだった。男もそう読んだのだろう。しかし、店長にそんな真っ当な考えが通用するはずがない。裏の裏、あるいはそのまた裏を読むことが要求される。そこで演じられるのは、店長と客の心理の読みあいであり、これぞと読んだ台には恐れず金を突っ込む度胸が勝負を決める――しかも、撤退する勇気と心の余裕を併せ持ちながら。
 アロハを着たヤクザ風の男は苛立っていた。「あいつは気持ちで負けちまっている」と大輔は思った。苛立てば、もうその時点で負けているのである。冷静さを失うと、必ず引き際の判断を間違う。間違うどころか、全く引けなくなってしまう。そしてその後は自暴自棄に陥って自己崩壊していくだけなのだ。
 アロハの男の隣に座っている若い主婦は、席の後ろに大バケツを五杯積み上げていた。その日の最優良台を引き当てたようだったが、女はしょっちゅう携帯を取り出してチラチラ見ている。時間が気になって仕方ない様子である。やがて携帯に電話がかかってきた。席を立って大輔の近くで、「もうちょっとだけよ!」とか「いま物凄い連チャンの最中なのよ!」とか電話の相手と激しく言い争っていたが、とうとうふくれっ面をして、店員にバケツをコインカウンターまで運ばせ始めた。状況からして、夫に子供を見させていたが、時間が過ぎているから早く帰って来い、ということのようだ。彼女の台の出玉の勢いは、まだ全然衰えていなかった。アロハの男は、一瞬の迷いの後、女の席に移動した。
 男の座っていた台が空いた。大輔は十秒近く迷った。予定では、「ミリオンゴッド」は様子見だけに留めておくはずだった。しかもあの男が打った後の台で、男と並んで打ちたくはなかった。しかし本能的な勘が彼をその席に座らせた。普通なら連続する二台が大きく爆発する可能性は極めて低い。しかし彼はその逆を読んだ。そして、五万円まで、と心に決めて打ちにかかった。
 男が坐った台は、その後ボーナスが五回来たものの、その後ピタリと当たりが止んだ。男はまたしきりに台を殴りだした。しかし連チャンは完全にストップしてしまったようだった。そうこうするうちに大輔の台で、まだ2万円も注(つ)ぎ込まないうちに、7が三つ揃った。見る見るうちにコインがバケツに一杯、二杯と貯まっていった。しきりに機械を叩きつける隣りの男が、今にもぶち切れそうな予感がした。彼はなるべく男の台の方に目線をやらないように心がけた。
 三杯目のバケツにかかったとき、突然男が大輔に怒鳴った。
 「それはワシが二十万突っ込んだ台じゃがァー」
 大輔はチラッと男の顔を見たが、黙って打ち続けた。理不尽な言いがかりに返答のしようもなかった。
 「聞こえんのかあ?このガキャー。なんぞ言えーコラー」
 男は大輔のバケツを思い切り蹴飛ばし、何千枚ものコインが床に散らばった。
 大輔はそれでも平静を装って黙々と打ち続けていた。頭の中は真っ白だった。周囲は重く冷たい空気に包まれ、彼の背中には冷や汗が流れている。
 「おまえはオシかあ!なんぞ言わんか、コラー。ハイエナみたいにあちこちのパチンコ屋を荒らし廻りやがって。おまえみたいなダニは、ぶっ殺した方が世の中のためじゃあー」
 騒ぎを聞きつけた店員が駆け寄ってきたが、すでに遅かった。男はポケットからジャックナイフを取り出して、大輔の腹を三ヶ所突き刺していた。ホールは女性客の悲鳴でパニック状態に陥った。大輔はその場で仰向けに倒れ、フロアーは血の海と化した。男は茫然自失して、逃げようともしないで立ちつくしていた。店員たちが数人、恐る恐るナイフを手からもぎ取って捕り押さえた。不思議なほど抵抗せず、ほとんどなされるがままだった。
 出血が多い割には、大輔の意識はまだハッキリしていた。救急車とパトカーのサイレンが聞こえた。消防署員の「大丈夫ですか?」という問いかけも聞こえていたが、鬱陶しいので目を閉じて黙っていた。担架に乗せられた。痛い。動悸が激しく、息は今にも途切れそうだった。振動のたびに、傷口が痛む。車が動き出した。「大丈夫ですか?頑張ってください!すぐ病院に着きますからね」――「五月蝿い!」彼は怒鳴りたかった、「そっと運ぶことに集中しろ!」痛い……寒い……暗い……          
 
 ……おまえの人生って、一体何(なん)だったんだ……
 誰かがそう語りかけるように思われた。
 ……何と喜びの少ない暗い人生……暗い……クライ……
 少しずつ朦朧としていく意識の中で、彼は死んだ祖父のことを思っていた。彼の記憶の中では、北木島での思い出だけが輝いていた。
 資延は「虚無」と言った。大輔にも、世の中そのものが虚無の塊のように思えていた。ただ、大輔の記憶の中で、祖父隆三に連なる世界だけが命に溢れ、輝いていた。弟を連れてカブトガニと遊んだあの白砂の浜。太古の無垢につながるあの海辺。島影に沈む夕陽。夕映えの空を巣に帰る鳥たち。そして夜空には、幾百億光年の彼方から光を放つ無数の星々……
 大輔は、小学時代の数年間を笠岡沖の北木島で過ごしていた。両親が岡山で店を開いて忙しかったため、二つ年下でダウン病の弟駿と一緒に父方の実家に預けられたのである。祖父母は二人に優しかった。駿の眼も、岡山にいたときとは打って変わって、明るく澄んだものになった。大輔はとりわけ、漁師の祖父に懐いた。隆三の体に泌み込んだ潮の匂が無性に懐かしかった――当時も。そして今も。
 祖父と一緒に行った貝掘り、蟹釣り、蛸捕り、伝馬船からの流し釣り……。漁場の知識と漁の勘に関しては、北木島で右に出る者はいなかった。
 「この辺の海は、ワシの庭みたいなもんじゃ。どの季節のどの時間に、どんな魚がどのくらい、どの辺に集まってくるか、だいたいの見当はつく。海の声にジーッと耳を傾けて聴いちょれば、ぜんぶ海が教えてくれよる」
 海辺の家では、夜ごと、海の声を聴きながら眠った。波音は、時に恐ろしく、黒く冷たい虚無の深淵に大輔を呑み込もうとした。そうかと思えば、時にまた限りなく優しく、甘美な永遠のリズムの中に包み込もうとした。大輔には祖父が、そんな海の神秘と一つになった存在のように思われた。
 後悔はたった一つだった。常にあの世界と繋がっていたかった……
 「おじいちゃん」――失せていく意識の中で、口を開けたが、声にならなかった。
 ……おじいちゃん、もうすぐ側に行くよ……
 大輔は今、感傷とは無縁な、透明な明るさに自分が包まれているのを感じていた。
 
 鶴山公園のそばに住む資延は、翌早朝、城跡の上空を大群をなして舞うカラスの声に目を覚ました。
 ぼんやりと新聞の社会面を眺めているうち、彼の目に「スロプロ青年 パチンコ屋で刺され死亡」という小さな見出しと、教え子の名前が飛び込んできた。
 寝間着姿のまま、彼は雪駄を履いて外に飛び出した。鬱蒼とした杜の中を放心状態でとぼとぼ歩き続けた。心臓に棘が刺さり、頭の中には軋むような真空音が響いていた。空を濁す黒い鳥の啼き声が、いつまでも止むことがなかった。