生 き る
 
生命・健康・看護(介護)
〈1〉
 
宇宙のリズムと身体のリズム
その1
 
中山英子
 
 
■連載をはじめるにあたって
 
 これから綴るつたない文章は、いまから二十数年前に出会い、感銘を受けた二人の人物と著作を、中心に(著作を引用させて頂きながら)私のノートのようなかたちで折々の出来事なども織り混ぜながら、日々の暮らし方、看護、介護を考えていくためのものである。
 感銘を受けた二人のうちの一人は、解剖学者であり生命哲学者でもある三木成夫で(一九八七年に六十一歳の若さで急逝された)、もう一人は、イギリスのナース、フローレンス・ナイチンゲールである。ナイチンゲール(一八二〇〜一九一〇)は、一般にクリミアの天使として、傷ついた兵士たちを献身的に看護し、全世界に讃えられた、ということで名が知られているが、彼女の功績はむしろ、その後の著作活動と実践にある、といっても過言ではない。人々が健康に暮らすためには、何を、どのようにすればよいかについて、書物だけなく、自らが働きかけ、実践して、保健衛生・看護の分野を職業として確立していった女性である。
 彼女の著作の中でも、一般の市民、特に家庭の主婦に向けて記した「看護覚え書き」は、看護の専門家以外の人々にもぜひ知ってもらいたいと、かねがね思っていたので、ここで紹介していきたいと考えている。
 
 「潮騒の音を聞きながらまどろむ」。何ともいえぬ安らぎを覚えながら、昨年の敬老の日に、八十五歳になる母と二人、高知市は桂浜にオープンしたばかりの国民宿舎で一泊した日のことを思い出す。
 この国民宿舎は、月の名所と唄われている桂浜の高台に、太平洋に面して建てられており、どの部屋からも大海原が窓いっぱいに広がり、白く砕ける波打ちぎわが見下ろせる。夜ともなれば静けさの中で、返しては打ち寄せる波の音がここちよく聴こえてくる。
 波の音に安らぎを憶え、懐かしさを感じるのは、人類が太古の昔、海の中で暮らしていたときの生命記憶にほかならない、と言う。ちなみに「母なる海」と表現されるように、母胎の中、つまり羊水は太古の海水と同じ成分である。
 地球上に生命が誕生したのは、三十数億年前とも四十数億年前とも言われる。私たち人間は、この三十数億年から四十億年という気の遠くなるような生物たちの歴史を、からだの奥深くに刻み込み、記憶しているのである。
 三木成夫は「わが国には、昔から千々の春そして千々の秋、という言葉があります。私どもの細胞原形質は、言うなれば、生命誕生のあの三十億年の昔から、なんと“三十億回”にわたって春秋を経験してきた……註1」と語っている。
     *
 人体は小宇宙である、と言われるように、人体もまた自然(宇宙)の一部である。そして人体は、自然(宇宙)のリズムと共振して生きている。
 宇宙のリズムには、地球と月の運行による自転・公転に基づく昼夜の交代[日リズム]をはじめ、四季の移り変わりの[年リズム]、月の満ち缺け・潮の干満による[月リズム〕の大きな三つのリズムがある。
 また太陽(恒星)を中心とした惑星、衛星、彗星を含む銀河系、その集まりである超銀河系のすべてがある一定の周期[リズム]を持つと考えられている。
 もちろん、生物にもさまざまな[生体リズム]がある。
 植物の草木の生長繁茂・開花・結実。
 動物の個体レベルでは、活動と休息に代表される睡眠と目覚め、好調・不調の波、細胞や臓器の波……、種のレベルでは、鳥の渡り・鮭の回遊、世代交替、種の興亡、体形の周期的な変化など、大小・長短とりどりのリズムが拍動している。
 人の身体のリズムといえば、ドックンドックンと鳴る心臓の鼓動や呼吸、睡眠と目覚めなどを思い浮かべる人が多いと思われるが、神経細胞にみる秒以下の周期のものから、一生という長きにわたるものまで、さまぎまなリズムがある。それらを大別すると以下のようになる。
 
日周:睡眠と目覚め、脳波、体温、呼吸、脈拍、血圧、
   酸素消費量、副腎皮質ホルモン、成長ホルモン、
   睡眠ホルモン、消化管の蠕動、筋肉の収縮活動、
   腎機能、交感神経活動 など 
   (下図参照)
http://www.geocities.jp/seto_no_shorai/nakayama1.jpg
月周:女性の排卵・月経 など
年周:甲状腺機能、基礎代謝、脂質代謝、成長 など
 
 この他にも歯の縞模様などに見られる七日毎の週リズムも報告されている。
 リズムの中で最も根源的なものといえば、生物最大のドラマである誕生と死、個体としての食と性の波形である。
   (下図参照)
http://www.geocities.jp/seto_no_shorai/nakayama2.jpg
 
 このような生体リズムが、どこからどのようにして発振されているのであろうか。
 生体リズムは、身体の中に組み込まれている生物時計(体内時計とも呼ばれる)から発振されている。その時計が身体のどこにあるか、またいくつあるのかなど、まだはっきりとはしていないが、一つの時計として、脳の中の間脳にある視床下部の視床交叉上核にあるということが解っている。
 生体リズムの中でも、私たちの生活に最も関係の深いのが昼夜リズム(日周けズム)であるが、これをサーカディアンリズム(概日リズム)といっている。
 なぜ概日リズムかというと、外界の一日は二十四時間とされるのに対して、不思議なことに体内の一日は約二十五時間と設定されており、約一時間の差が生じているからである。
 なぜ体内時計がこのような設定になっているかは解明されていない。季節による昼夜の長さの変化など微妙なズレに同調するには、ある程度の「あそび」があるほうが生存上都合が良いため、そのように遺伝情報として組み込まれてしまったのではないか、という説註2もあるが、三木成夫は次のように指摘している。
 「二十四時間+αのリズムは、外でもない、太陰日すなわちお月様を基準とした地球自転のリズムと深いかかわりがあるのではないか、と説明してきた。潮汐リズムの仲間といってもいい。古生代の昔、脊椎動物の遠い祖先が当時の古代海水の中でいつしか身につけた、それはおそろしく根の深い生命記憶の一つと思われる。
 この太古の“地金(ぢがね)のリズム”はやがて中生代の陸の時代に獲得する新しい太陽日すなわちお日様を基準にした地球自転のリズムに、しだいに覆い隠されてゆくのであるが、しかしやはり、この遠い故郷の海のリズムはいまもなおからだの奥深く生き続け、あちこちにその顔を覗かせるのであろう。註3
 現代人は人工的な環境で生活をする人が多くなり、生体リズムが崩れてきている人が多い。ちょっと気を許すと、たちまちこのズレは顔を出し容赦なくやってくる。
 「概日リズム睡眠障害」あるいは「睡眠相遅延症候群」などの睡眠障害や鬱症状、無気力、登校拒否(朝起きられないことから始まる)、不定愁訴などが増えてきている。
 月のリズム(太陰日)を身体に刻み込んでいるうえ、人工的な環境、夜の照明、情報化社会、二十四時間眠らないテレビ、好むと好まざるに関わらずリズムを崩す要因が氾濫している。リズムが狂い、夜間の睡眠に伴って分泌される免疫や成長に要するホルモン、昼間の疲労を回復させ修復する諸々の物質が十分に働かないと、身体にはさまざまな不都合が起こってくる。
 人体も自然に属するものであり、自然は私たちの身体の内にも外にもある。
 いま、人類による自然の破壊が生物自身をも破壊することに気付き愕然としているが、人類誕生生の歴史を謙虚に捉え直すところから出発しなければならない。
 このことを、三十数余年も前から警告していたのが、三木成夫である。   (なかやまひでこ)
 
 註1 『内臓のはたらきと子どものこころ』 築地書館
 註2  井上昌次郎『ヒトはなぜ眠るのか』 筑摩書房
 註3 『人間生命の誕生』 築地書館 ■詳細は最終回に掲載