生 き る
 
生命・健康・看護(介護)
〈4〉
 
内臓の復興
その1
 
中山英子
 
 
 ひとの身体には、植物的な営みと動物的な営みの両者が共存していることを前回記した。
 「栄養−生殖」を営む植物性過程は、吸収−循環−排出の三つの過程で、「感覚−運動」を営む動物性過程は、受容−伝達−実施の三つの過程で行われる。この過程は無脊椎動物でも脊堆動物(もちろん人間を含む)でも基本的に変わらない。このとき、前者を推進するのが循環系であり、後者を推進するのが神経系である。(図1)
 
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図1 動物の基本的体制−内臓系(植物性器官)と体壁系(動物性器官)
無脊椎と有脊推の2種の体制を断面で示す。この図では“食の相”が示されるが、原始的な“性の相”では、吸収系が、肝臓を除いて退化し、代わりに性腺が体腔を満たす。
性本来の“食と性”の機能を営む「植物器官」が腸管、血管、腎管の3種の内臓管として遠心的に配列するいっぽう、動物独自の“感と動”の機能を営む「動物器官」が外皮、神経、筋肉の3重の体壁相として、求心的に配列するが、前者の内臓系は、後者の体壁系によって、完全にとりかこまれる形をとる。  三木成夫 『胎児の世界』 中公新書 P. 21 S. 58年
 
 「受け取って出す物が生きものである註1」「動物とはいわば“胃袋と生殖器”(植物性器官)に“目玉と手足”(動物性器官)のついたもの註2」といわれるが、人間もこの例外ではない。
 私たちの身体は複雑そうに見えるが、模式化すると、口から肛門までの一本の腸管に、外皮が被さった二重の円筒というシンプルな形で表すことができる。(図2)
 
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 “人間は巨大な管(チューブ)である註3”と表現されるゆえんである。
 植物性器官である腸の最前線(口・鼻)から酸素と栄養物を取り入れ、腸の最後端(肛門・生殖器)から老廃物と子種を排出して生命を育む。動物性器官はそのための手足となって働く。
 また、前回、人の身体ができてくる過程、つまり、受精した卵が母胎のなかで大きくなり誕生してくるまでの過程(人体の発生過程)で、一番最初にできるのは腸管(原腸)、つまり内臓の中の消化管であり、この腸管を中心に血管、心臓、器官、肺、尿管、膀胱など、あらゆる付属物ができてくることを記した。(図3)
 
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図3 原腸と間葉細胞の形成
動物の発生過程では、受精卵が桑実胚になると原腸ができはじめる。そして、外側の外胚葉と原腸の壁をつくる内胚葉の間(葉間域)に、血管や軟骨および骨になる間葉細胞が形成される。 『NHKサイエンススペシャル生命2』 (図は三木成夫)P.58 日本放送出版協会1994
 
 
 最近では、テレビ番組あるいはグラフィック雑誌で、CG(コンピュータ・グラフィックス)や生の美しい映像によって、「人体」あるいは「生命」について、わかりやすく解説してくれているので、まさか人の身体のひな形がすでに最初からあって、それがしだいに大きくなるなどと思っている人はまずないと思うが、一般に、まず、背骨などの骨ができ、脳ができて、そこへ内臓が入ってできあがる、と思っている人が、意外に多いのではないだろうか。ちょうど、家の建築と同じように、支柱ができて、壁ができ、そこへ後から生活に必要な設備や道具がはめ込まれていく、というふうに。
 したがって、身体にとって大事なのは骨である、と思われがちである。そのうえ、現代の脳中心の人間観では、身体はすべて脳の司令によって機能していると理解している人が大方ではないかと思われる。
 もっとも、医学生や看護学生も、人体の形態・構造・機能(解剖生理学)を学ぶさい、ほとんどの学校では骨から教えられている。現に、今使われている教科書でも、骨格あるいは細胞から記述されているものが多い。実習ともなると、まず間違いなく骨格や紳経の走行から始められる。医学生や看護学生でさえ、身体の中で重要なのは骨格や神経系だと、なんとなく思い込まされているから、一般の人がそう思うのも無理からぬことだとは思う。
 三木成夫は「……どんな脊椎動物をとっても本来、骨組織とは個体体制を形づくる各器官の間隙、発生学的にいえば三胚葉の配列によってできる、一連のすきまの特定の領域に、いわば、そこを利用するようにつくられた一種の石灰沈着の構造物であることがうかがわれる。したがって、このような骨組織の発達した脊堆動物の世界では、われわれはこれを、いわゆる肉づけのための“支持組織”としてではなく、言うなれば個体体制の鋳型から造り出された、“負の象徴構造”として眺めることになろう。註4」といい、「生命の主人公は、あくまでも食と性を営む内臓系で、感覚と運動にたずさわる体壁系は、文字通り手足に過ぎない、つまり内臓系と体壁系は“本末”の関係にあるわけです。註5」と述べている。
 「内臓の復興」あるいは「内臓の声に耳を傾けよ」「内臓の感受性を大切に」ということを三木成夫はいっているが、これはなにも人体の発生過程で最初にできるからというのが理由ではない。まして骨や脳神経などが二の次だといっているわけでもない。
 人体にとって内臓、ことに消化管が特別重要な意味をもつのは、もっと他に理由があるのである。
 私たちの日常を振り返ってみると、人の目につかないところで、昼も夜も休むことなく黙々と働きつづける内臓系に対して、目につきやすい体壁系の脳神経や感覚器にばかり注意が向けられ、内臓がついおろそかにされている、まさに本末転倒だというのである。
 『唯脳論』でお馴染みの養老孟司氏はこうした傾向を、ある雑誌の対談でこう語っている。
 「私は講義をするときには、三木さんと同じような感じで言います。骨というのは、一種のパッキングであって、パッキングの中で必要なところは固くなっていると。ですから、あれをボジティブなものととるのはおかしいんですね。我々が最初に骨格を教えるのは便宜上の問題なんです。骨というのは、操作を一切しないで、そのまま標本ができます。生の体と違って、そのまま実物を出せる例外ですから、ハンドリングが非常にやさしい。だから最初にやるわけです。我々は、骨格を理解するのが人体を理解するうえで非常に大切だという教育を受けたんですけど、あとになって考えてみますと、それは話が逆転しているわけで、便宜上、骨から教えているんだと私は思っているんです。註6
 医学生や看護学生をはじめ、医療従事者になろうとする者が学ぶ解剖生理学が、たんに身体各部の名称の丸暗記や部分部分の構造・メカニズムの知識の習得に終始するのではなく、「人間とはなにか」「人間の生命とは」「人間はどのような生きものか」ということを、自然科学と併行して、自然哲学、人文・社会科学的視点からも学んでいたなら、「人間」や「生命」に対する見方は、ずいぶんと変わっていたに違いない註7
 私たちの消化管の祖先は、五億年以前の先カンブリア時代の終わり頃に現れた、海綿動物やクラゲなどの腔腸動物に始まる。魚たちや両生顆の脊堆動物の時代を経て哺乳動物の出現から六千四百万年。私たちの消化管はまさに億の記憶が秘められており、消化管は生命にとって、また人間にとって、いろいろな意味が含まれているのである。「内臓の復興」が実はそのまま「心情の涵養」につながる、と三木成夫は説いた。
 内臓に目を向けることが、こころを豊かに育てることにつながる、というと、抽象的で実体のないもののように思われるかもしれないが、三木成夫はこころを純粋に生理学−生物学的観点からとらえ直そうとしたのである。詳しくは次号に譲るとして、端的にいうと、こころの豊かさは身体の健康を保つうえで要になるものであり、それは内臓によってつくられるということになる。
 「手は脳の延長註8」、あるいは「脳は手の内在化したもの註9」といわれるように、人間を人間たらしめている大脳皮質の発達のためには、手足を使うことがいかに大切かということは周知のとおりであるが、その前に忘れてならないのが、内臓のはたらきである。宇宙のリズムに呼応する内臓波動こそが、こころの土台となるというのである。誤解をおそれずに私なりの解釈でいうならば、こころとは消化管、億の記憶を秘める腸を発祥の地として、脳に伝達されていくということになるのではないか、と。
 ところで、こころというのは、動物にもあるが自覚をしていない。大脳皮質の発達した人間で、初めて自覚するというのであるが、本来、内臓のはたらきを体壁系の脳が助けることによって生命が維持されてきたのであるが、人間では極度に発達した大脳皮質のおかげで、逆に脳が主役になり、内臓に命令を下すようになった。
 たとえば、徹夜につぐ徹夜とか、昼夜逆転の暮らし、季節に逆らった暮らし、あるいはこころない自然破壊などなど……によって、内臓は本来のリズムを狂わせられ、悲鳴を上げている。にもかかわらず、頭はその声に気づかない、耳を貸さない、意志強行に押しきる。たくましい内臓はそれでも黙々と働く。しかしやがて破綻をきたし睡眠障害や学校・社会生活の不適応、心身症をはじめとする、いわゆる現代病につながっていくのである。
                       (なかやまひでこ)
 
註1 アリストテレス
註2 三木成夫
註3 三木成夫、多田富雄
註4 三木成夫 『生命形態の自然誌』 うぶすな書院
註5 三木成夫 『内臓のはたらきと子どものこころ』築地書館
註6 養老孟司 『形とはなにか』「現代思想」一九九二
註7 文系と理系がひとつになって「文理シナジー」という学会が一九九六年発足した。
註8 カント
註9 中村雄二郎