生 き る
 
生命・健康・看護(介護)
〈7〉
 
内臓の復興
その4
 
中山英子
 
 
 はじめての土地なのに、以前来たことがあるような、懐かしさを覚える景色に出会うことがよくある。はじめて見る風景やたたずまいなのに、かつて、確かに、見たことがあるような、不思議な感覚である。こんな感覚にとらわれた経験をお持ちの方はきっと多いにちがいない。
 かつて、三木成夫に、こんな経験を話すと、それは『生命記憶』の回想だと説明してくれたことだった。私たちの六〇兆もの細胞の原形質に、DNAの一つ一つに刻み込まれた情報、つまり『生命記憶』が、ある時ふっと甦るのだという。
 はや三年も前になるが、先の大戦で捕虜になり、シベリアの地(中央アジア・バルハシ湖の近く)で死亡した父の墓参に出かけた。墓参といっても、確かな墓があったわけではないが……。その地はカザフスタンの首都(註1)アルマトイから車で八時間あまり北へ行ったところであるが、天山山脈の北側に位置し、モンゴルと緯度もほとんど同じで、草原・砂漠地帯である。冬化粧した七千メートル級の天山の山脈(やまなみ)を背景にしたアルマトイの空港に降り立った折りに、また、バスでホテルに向かう車窓の中で、この不思議な感覚にとらわれた。そしてアルマトイの町を歩いている時、さらにその感覚を強く持ったのである。カザフ人の顔は日本人にそっくりである。
 かつて、私たち家族は、旧満州は新京、現在の長春に住んでいたことがあるが、その頃の記憶とはちょっと違った、何ともいえない懐かしさを覚えたことを思い出す。それは胸がきゅっとなるような、暖かいものが込みあげてくるような、大げさにいえば、魂をゆさぶられるような感じとでもいえばよいのだろうか。わが故郷(ふるさと)に帰って来た思い、といえばよいのだろうか。
 カザフスタンの首都アルマトイは、中央アジアでも、どちらかというと西の方に位置している。カザフスタンは、ソ連邦の崩壊後、独立して共和国となった国であるが、最近では、サッカーの試合で日本との対戦相手として、少しその名に親しんだ程度であまり知られていない。そこで、旅行会社の観光パンフレットから、どんなところかをちょっと引用してみることにする。
 「数世紀にわたり、この広漠な大地の静けさを破るものは、野生の馬の群れ走るひずめの音とのんきに草を食む羊の鈴の音だけであった。このステップの草の間をシルクロードが通っていたが、それは、経験を積んだ道案内人だけが知っており、その先導で中国の商人がキャラバンを組んでヨーロッパ諸国に向かったのであった。」
 ユーラシア大陸を東西に結んだ交通路(シルクロード)には、草の道、オアシスの道(絹の道)、海の道の三つが歴史的に存在するが、カザフスタンは草の道、ステップロードだったのである。その面影をいまも色濃く残していた。
 シルクロードには、日本人はことのほか惹かれるというが、その感覚がわかるような気がする。シルクロードの東の端は奈良・正倉院であるとさえいわれるが、たんなるノスタルジーではない。何しろシルクロードには、日本人のルーツがあるのだから。このことは自然科学や人類学などですでに実証されているところである。
 日本人は人種的には、距離的に一番近い、中国人や韓国人とルーツを同じくしていると思われがちであるが、予想に反して、血液型では、ヨルダン、イスラエル、シリアなどの西アジア=東ヨーロッパ人型で、脳の型では、ハワイ、サモア、トンガ、ニュージーランド……などと同じで、ポリネシア人、つまり南方型ということになるそうである。ちなみに、中国人や韓国人の脳の型は完全にヨーロッパ=アメリカ人型だという。
 一九八六年に、世界的規模で行われたHLA遺伝子の調査でも、「日本人は南方系の民族が基盤にあり、そこへ北方系の民族が入り込んだ“二重構造”になっている、と人類学でいわれていたが、その説をほぼ裏づける結果になっている。また、シルクロードが東西のモノの交流だけでなく、人の交流をも担っていたことを、HLA遺伝子の分布は物語っている(註2)」という。
            *
 さて、本題に入る前に少々紙数を割き過ぎてしまったが、この『生命記憶』と「内臓の感受性」、あるいは、「生き物に備わっている“不快”を“快”にする知恵」は多いに関連のあるところなので、もうしばらくお付き合い頂きたい。
 生まれたばかりの赤ん坊が、誰に教わるわけでもないのに、乳房(ちぶさ)に吸いついておっばいを吸う。乳房の肌ざわりや乳汁の味、さらにはその満足感など、生まれながらに備わっているこうした能力を、一般には「本能」と呼んでいるが、三木成夫は、これは、生(いのち)の原形を体得しているすがたにほかならない、といい、悠久の時の流れのなかで、生き物が延々と原形を体得してきたものであり、記憶しつづけてきたものゆえに『生命記憶』と名づけたという。
 三木成夫は、『生命記憶』の回想について、いくつもの体験をあげながら語っているが、そのなかでも、「味覚」についての記憶は、生命にとって最も根元的なものであるといい、玄米、椰子の実、母乳(娘が高熱を出し、母乳を吸わなくなった時、母親の乳房がたちまち怒張して痛みだし、やむなく吸ったという出来事)、羊水(医学生の頃、産科の実習で出産の介助の折りに、羊水のしぶきを顔にかぶった時の出来事)を味わった時の驚きをこう語っている。
 「いずれも、ほとんど無味・無臭で、それは自分の唾液や体液と同じもので、『生命記憶』とは何たるかを教えてくれるものであった」と。そして、「その時“憶”とはなにかということを考えました。『憶』の本字は造字上『言中也』という。いってみれば、暑くも寒くもない、過不足のない状態、つまり温度というものを全く感じさせない状態をいうのでしょう。それはまた『快也』ともいう。われわれのからだは、こうした生理条件を最も快適なものとして、それになじみきっている。そして、そこから少しでもずれると直ちにその状態に戻ろうとする。われわれはこうしてたえず『憶』を『記』し続けるのです。
 考えて見ればそれは生物発生以来えんえんと受け継がれてきたまさに生命的な営みで、憶の状態を快く感ずるのはアメーバーも人間も同様であることは申すまでもないことです。ちなみに、実際の快感は憶からずれた状態から憶へ戻る途中の過程、例えば、張りつめた膀胱壁の緊張が一気にとれてゆくその途中に感ずるもので、憶の状態そのものは、初めにも述べましたように、暑くも寒くもない、温度の存在を忘れさせるものであります。
 さて、こうしてみますと、母乳のあの“ほとんど味も匂いもない”状態とは、われわれの口腔粘膜、いやこのからだの原形質にとってまさに“憶”そのものであったことがうかがわれるのです。自分の唾液のようなものです。しばしば引用される水とか空気などといったものも、要するにこの『憶』の譬(たと)えなのでしょうが、しかし、母乳に較べると、水ですら、それはかなりの癖のある飲物ということになる……。(註3)
 『記憶』とは『憶』を記すであるが、『憶』というのは『快Jの状態であって、日常のほとんどを『憶、憶、憶、……』の連続、つまり無意識のうちに『快』の状態で過ごしていることになる。意識していない時こそ、健康で快い状態、ということができるのだろう。
 私たちのからだは、いちいち意識しなくとも、気温が上がれば血管を拡張させて体温を放出し、寒ければ血管を縮めて体温の放散を防ぎ、体温が一定に保たれるようにできている。このようなしくみを生体の恒常牲(ホメオスターシス:homeo stasis)というが、体温の他にも体液の水分量や塩分量、酸・塩基のバランスの維持、空腹感や満腹感などの食欲を左右する血糖値の調整など、からだの内部環境が常に平衡状態を維持するように調節されている。このはたらきなくしては生物は生きていくことができない。
 どんなに過酷な外的環境に遭おうとも、生き残って、子孫を残すために、己の内部環境を『快』にする智恵を来る日も来る日も試行錯誤をくり返しながら身につけてきたのだろう。
 今年の夏も異常気象で、暑かったり、雨が多かったりで、からだは悲鳴をあげていた。しかし、このホメオスターシスのおかげで何とか過ごすことができた。不順な気候を乗りきった生体の知恵は、「憶の日記帳」に新たなページを書き加えたのではないだろうか。
 一般に、人体はきちんとしたシステムをもっていて、整然と、プログラム通りに秩序正しく機能している、と思っている人が多いと思うが、『免疫の意味論』で大佛次郎賞を受賞した免疫学者多田富雄氏は、免疫システムの研究をしていて、人体はまるで大都会のようだ、と考えるようになり、人体は超(スーパー)システム(註4)という概念を提唱した。つまり、生命は大都会のように、絶え間なく新しいものが生まれると同時に激しい破壊も進んでいる。無数の人間が集合し、多様な営みが行われている。巨大な都市のようだ、というのである。
 超(スーパー)システムというのは、自分で自分を作り出し、条件に応じて自分の運命を変えながら動いていくシステムで、プログラムの一部は遺伝子によって決定されているが、別にすべての運命についての完璧なブループリントがあったわけではない、というふうに説明している。
 たとえば、ローマやパリ、バルセロナやニューヨーク、東京などの都市は、歴史の「記憶」を持っている。私たちが都市を旅してのぞきこむのは、都市の「記憶」である。この「記憶」によって都市は同一性(アイデンティティ)を保つ。
 人間の身体も、日々変わってはいるが、「自己」と「非自己」を識別しながら「自己決定」をし、全一性を守っている。
 人間の生命とは、いうなれば、ファジーでフレキシブルな存在、つまり、「場」と「時」に応じて、臨機応変に、多様に反応し、グイナミックに運営されている「複雑系」ととらえるのがよい、と提唱している(註5)
 変わらない遺伝情報と変わる遺伝情報、矛盾するようで、実は矛盾しないのである。
 『生命記憶』は、都市の歴史、記憶に相当すると考えてよいのだろう。憶の上に、また憶が刻まれていく。
 さて、「内臓の感受性を高める」ひとつの方法として、「口腔感覚の錬磨」ということを三木成夫は提唱した。「母乳の吸引」とあらゆるものを心ゆくまで舐め回す幼時の行動が内臓感覚を鍛えることになるという。三木成夫が、
 「細菌を理由に、彼らからこの営みを奪おうとすれば、それは、まさにそのために天から授かった腸管リンパ系をなしくずしに骨抜きにする、おそろしい去勢の行為と知らねばなるまい。(註6)」というのと、
 多田宮推が、
 「管(チューブ)の内部には、巧妙に外界が保存されている。外界は破壊してはならない。しかし、あるところで境界を作っておかなければ自己と他の区別ができなくなってしまう。管(チューブ)の免疫系は、生物が外界と共存するためのすばらしい知恵である。(註7)」というのは、ぴったり符合する。
 
                       (なかやま ひでこ)
 
註1 カザフスタンの首都は、一九九七年アルマトイからアスタナヘ遷都した。
 2 NHKサイエンススペシャル「驚異の小宇宙・人体6免疫」 日本放送出版協会
 3 三木成夫 『海・呼吸・古代形象』うぶすな書院
 4、5 多田富雄 『ビルマの鳥の木』新潮文庫、『生命の意味論』新潮社、『生命へのまなざし』       青土社 ほか
 6 三木成夫 『海・呼吸・古代形象』うぶすな書院
 7 多田富雄 『生命の意味論』新潮社