生 き る
 
生命・健康・看護(介護)
〈8〉
 
内臓の復興
その5
 
中山英子
 
 
 昨年の暮れ、歯医者さんの帰りの電車のなかで、若いお母さんが五、六か月位の赤ちゃんをおんぶして、私の斜め前に坐っていた。赤ちゃんは始終ニコニコして、可愛い大きな目で電車の人びとを見まわしていた。私とも目が合うと、私の顔をじーっと見ながら頬をゆるめて笑っていた。私も微笑み返すと、赤ちゃんはうれしそうに、いまにもキャーキャーと声を上げて笑い出しそうな様子だった。
 赤ちゃんの隣に坐っていた六十半ば(と思われる)のおばさんも、「まあ可愛いね」といいながら、目を細めて赤ちゃんに話しかけていたが、突然、お母さんに、
 「いまの赤ちゃんは、涎(よだれ)を垂らさないね、昔は、赤ちゃんはみんな、だらだらと涎を垂らしたもんだったけどね、涎出ない?」といいながら、今度は、半ば、電車に乗っている人みんなに話しかけるように、「ほら、涎かけをしていないものね、昔はみんな涎かけをしていたよね」と、いった。若いお母さんは、ちょっと困ったように、「そうですね、あんまり出ないですね」と答えていた。
 そういえば、最近、涎かけをしている赤ちゃんを見たことがないなあ、なぜかしら?いまのお母さんはおしゃれだから、ファッションを気にして、涎かけは、かっこ悪いからしない、というのかしら。赤ちゃんが、あまり涎を垂らさなくなったというのは、どうしてだろう?と、私も不思議に思いながら、たったいま、歯医者さんの待合室で見てきた本のことを思い出していた。
 本のタイトルは、『赤ちゃんはいつ「人間」になるのか』(註1)。「育児常識」は危険だらけ、というサブタイトルがついていた。面白そうだったので、ペラペラとページをめくっていたら、“生命進化から見た「赤ちゃん」”とか、“生命記憶の大切さ”“オシャブリが基礎体力を育てる”“赤ちゃんの舐めまわしは、言うなれば感性の原点”デッサンの上手・下手は、赤ん坊の時の舐め方で決まるのではないか、と私の恩師である三木成夫先生がおっしゃっていた、“「舌と口」が乳児のEQ(心の知能指数)を高める鍵”“洟をかんだことがない子ども”というようなが活字が眼に飛び込んできた。
 拾い読みすると、赤ちゃんが、進化途中の存在であるという事実を忘れたために、現代の「科学的子育て」は、どんどん間違った方向に進んできてしまった。現在の日本では、赤ちゃんが大人に「促成栽培」されているために、子どもの身体に異変が起きている。たとえば、オシャブリを一歳過ぎてもくわえていると、みっともないとか、汚いとかいって、無理に取りあげてしまうが、オシャブリを早く取りあげると、鼻呼吸を忘れ、口呼吸の癖がついてしまう。「口呼吸」は免疫機能を弱め、万病の元となる。原因不明の免疫病の大半が「口呼吸病」であることがわかってきた。オシャブリの効用として、「正しい呼吸」がマスターできる、とか、歯並びがよくなる、「正しい呼吸」をすることによって、難病といわれている免疫病が治っている等々、興味深いことが書かれていた。「私の恩師で解剖学者の三木成夫は……」とか、「生命進化の法則を実験によって検証すると同時に、その成果を臨床に応用し、治療に当たっている」という文章に触れたとき、ああそうだったのか、と納得。(ちょっと興奮気味に)急いで、著者名西原克成と書名、それに出版社名をメモして、バッグに入れたことであった。
             *
 季節の移り変わりを感知し、世界を観・感受するのは、視覚・触覚・味覚・嗅覚・聴覚のいわゆる五感であるが、そのまえに内臓の波動があったのだ、と三木成夫は説いた。この内臓の波動は宇宙のリズムと共振している。「こころ」とは宇宙のリズムと共振する「内臓波動」である、と。
 「内臓の感受性が鈍くては世界は感知できない」といい、「内臓の感受性を高める」ための、ひとつの方法として、赤ん坊の頃からの「口腔感覚の錬磨」ということを三木が提唱したことを前に記した。「口腔感覚の錬磨」、つまり「母乳の吸引」はもとより、「あらゆるものを心ゆくまで舐めまわす行動」の奨励、ということであるが、それがなぜ内臓感覚を鍛えることになるのだろうか。内臓感覚のなかでも、なぜ「口腔感覚」なのだろうか。
 その理由は、
 人間の顔は、人類がかつて魚の時代だったときの鰓(えら)(鰓腸(さいちょう))に相当する部分で、ここが内臓系を代表する腸管の最前端で外に出ているところである。内臓であって、しかも外界と直接接している顔と口。その顔と口の感覚は、内臓感覚のなかでも最も鋭敏なところであるが、さらに、唇と舌は、最も高度に分化した鋭敏な場所である。それは、ここが食物を取り込む、つまり毒物と栄養とを選択する“触角”に相当する場所だからである。
 しかも、人類の遠い祖先のからだのほとんどは、この鰓の部分だけでつくられていたのであり、まさにこの領域が、発生学的に最も古く、根源的であり、命の要に位している場所なのである。
 ただ、舌の筋肉だけは、鰓の筋肉(内臓系)ではなくて、体壁系の筋肉である。表情筋が、すべて鰓の筋肉であるのに対して、舌の筋肉は手足と相同な体壁系の筋肉である(図1・2)。ただし、感覚の方は体壁系の皮膚感覚とは違って、あくまでも内臓系の鰓の感覚である(註2)
 
(図1 ↓)
http://www.geocities.jp/seto_no_shorai/8-1.gif
(図2 ↓)
http://www.geocities.jp/seto_no_shorai/8-2.gif
 
 よく「のどから手が出る」というような言い方をするが、舌といえば、のどの奥にはえた腕だと思えばいいそうだ。なるほど、言い得て妙である。
 「生まれたばかりの嬰児は、このいわば露出した内臓の顔を、来る日も来る日も昼夜を問わずイソギンチャクのように、豊かな母親の母乳にそれを吸い着かせる。……彼らはやがて口の届くところであれば、もはや“おっぱい”に関係なく、どこへでもその口を持っていく。つぎに手の動きがこれに加わると、こんどは文字通り手当り次第に、なんでも口の方へこれを持ってくる。……この口による探索は、ゆっくりと時間をかけて丹念に行われる。そのものの形に沿って、凹凸をくまなくなぞるのであるが、その全面が唾液ですっかり覆われてしまうまで、けっして途中で止めることはないのだ。こうした口の内外のすべてを動員した感覚・運動の共同作業でもって、乳児たちは、後年もはや口にすることのない、食物以外のあらゆる感触を心ゆくまで味わいつくすのであるが、内臓感覚を鍛えるこれ以外の方法はなかろう。(註3)
 「……“舐める”ということは、学問的に見ても大切な意味がある。この時に鍛え抜いた舌の感覚と運動が、あとになって、どのような形で生かされてくるか……。
 たとえば、コップを見て“丸い”と感じるでしょう。これは類人猿には見られない、まさにホモサピエンスの特徴です。この“丸い”と感じるその奥には、この『舐めまわし』の、ものすごい記憶が、それは根強く横たわっている。コップの縁に沿って、ゆっくりゆっくり、そして、なんどもなんども、それこそたんねんに舌を這わせ続けた、その時の記憶である。もちろん、そこには、手のひらの『撫でまわし』の記憶も混然一体となっているはずである。(発生学的に)舌と手は“年子”のようなものだから(図2)。
 
(図2 ↓)
http://www.geocities.jp/seto_no_shorai/8-2.gif
 
 このように、からだに沁みついた、かつての記憶――“生命記憶”が忽然と甦る。もちろん意識下である。そして、この無意識の『回想像』が目前のコップの『印象像』の裏打ちをする。二重写しができるわけである。(註4)
 「舐めまわすように見る」というが、これこそ、生命記憶の露骨な再燃で、この時には、舌の運動がもう半分起こっている、と、三木成夫は皆を笑わせる。
 人間の「知覚の基盤」固めには、舐めまわしによる舌や唇や頬の感覚が不可欠だったのである。つまりり、形や硬さ、あるいは距離感などの、知覚だとか、認識だとか、そういったものの根底に、この内臓触角による、かつての「感受」の記憶が、かなり関与している、というのだ。
 そして、さらに大事なことは、いろいろなものを舐めることによって、自然に、細菌との共存を可能にし、免疫機能が発達していく。それは腸管のリンパ系を適度に刺激して、過不足ない防御体制ができることを意味する。
 若いお母さんたちの清潔好きは結構だが、最近流行(はやり)の、おもちゃをはじめ文房具、台所用品など、なんでもかんでもの、極端な抗菌グッズなるものは考えものである。
 そして、さらにさらに大事なことは、「脳も口の周りの神経から出来た」のであり、脳の発達にとって、舌や口の活動はとにかく重要だということである。「脳は腸より出来た」という話を思い出して頂きたい。脳細胞の活性化ということでは、よく噛む、食事を楽しくなどということは大人にとっても同じく重要なことなのである。
        *
 先の本の著者西原克成氏は、臨床のかたわら、骨と歯の研究を通して、生命進化(系統発生)の法則を検証するなかで、免疫のしくみについて究明、新たな発見をし、生命進化を潜まえて育児をすることの重要牲に気づいたという。そして、生きることの基本である食事、呼吸、睡眠について、子どもにしっかり身につけさせるような育児でなければならない、ということに気づき、世のお母さんたちに少しでも早くこのことを知ってもらいたい、と急いで筆をとった、と書かれている。
 母の乳房ではなく、ガラスの哺乳ビンで我慢させられ、オシャブリを早々に取りあげられる。触れたもの、目についたものを舐めようとすると、「バッチイ」といってそれもすぐ取り上げられる(当然、唾液は少なくなる)。
 口呼吸によって、口の中はすっかり乾燥してしまい、唾液の分泌が少なくなって(当然、涎は少なくなる)、「免疫の最前線基地」である扁桃腺までも弱くなり、生命の要である免疫の機能低下を招いている、ということが、わかってきたという。小児アトピーや喘息、無気力な子……日本の大半の子が半病人になっている、と西原氏は指摘する。
 
(なかやまひでこ)
 
 註1.5 西原克成 『赤ちゃんは いつ「人間」になるのか――「育児常識」は危険だらけ』
     クレスト杜
  2.4 三木成夫 『内臓のはたらきと子どものこころ』 築地書館
          『胎児の世界−人類の生命記憶』中公新書 ほか
  3 三木成夫 『海・呼吸・古代形象』 うぶすな書院