習志野収容所
 
 大正4年9月、東京収容所の移転により開設。その後、福岡、静岡、大分を統合。久留米からの移送も受け、多い時は1000名を数えた。
 大正7年2月、カール・ヤーンら5名のソーセージ職人が、農商務省畜産試験場飯田技師にソーセージ製法を公開。
 大正7年末から8年春のスペイン風邪の流行では、収容所長西郷大佐と全収容所中最多の25名が落命した。大正8年クリスマスに解放。最後まで残留したワルデック総督も、翌9年1月に去り、4月に閉鎖。
 
所長:中佐 西 郷 寅太郎 大正4. 9. 7〜大正8. 1. 4
   大佐 山 崎 友 造 大正8. 1.15〜大正9. 4. 1