講演1: "Kurturaj malsamecoj"

講演2: 「私のエスペラント人生」

講演3: 「エスペラント俳優 佐々木孝丸について」

 
 
 
講演1: "Kurturaj malsamecoj"
s-ro Cyril R. Vergnaud  記録 木谷 奉子  参加人数(56)
 
  フランス生まれ台湾在住のVergnaudさんが、主にフランスと台湾の文化の違いについて講演した。
 挨拶の違いでは初対面の際、フランスでは握手、台湾では名刺交換。
 家の中では、フランスでは靴は脱がないが、台湾ではスリッパをはく。
 レストランとか食堂では、フランスは話をしながら食事ができる静かさだが、台湾では大きな音でテレビ等をつけっぱなしなので、うるさくて話ができないそうだ。
 テレビの放送では、画面いっぱいに漢字が並ぶので、景色や人物が隠れてしまっているそうだ。
 トイレの違いは、フランスは洋式、台湾は和式のトイレで、Vergnaudさんははじめ和式のトイレに戸惑ったそうである。
 ほかに台湾独特の迷信があること、学校の違い、数の読み方の違いなどについて、やさしい単語を使って、動作を交えながらの講演だったので、エスペラント初心者にもわかりやすい話のないようだったようだ。
2019.10.27  於 琴平文化会館

 ※ 以下は「中四国だより」より
 Ciriloさんは、現在台湾でフランス語と英語の教師をしているそうだけれども、彼の専門はコンピュータだとか。その技術をフルに活用したパワーポイントの画像を見ているだけでもある程度分かるよう、丁寧な準備がなされていた。一般的な「文化の違い」ではなくて、主としてフランスと台湾の比較だった。台湾文化に関して、日本の影響が今も大きいという。例えば「おでん」は台湾では「おれん」と呼ばれて人気があるらしい。
 Ciriloさんの講演資料



 
講演2: 「私のエスペラント人生」
s-ro 三好 鋭郎  記録(佐々木 洋子) 参加人数(50人)
 
 1965年に朝日新聞でエスペラントを知った。その後30年間は何もせず。1995年から月刊誌「エスペラント」(UEA)を辞書を使って読み解き、エスペラントを勉強した。また教師を招聘してエスペラントの勉強を続けた。(1995〜2016)教師の一人Daianと孫の英語名をめぐって口論したりしたが、ザメンホフは平和のためにエスペラントを作ったことや、大本教の三つのスローガン「一つの神、一つの言語、一つの世界」を思い出し和解。
  第24回世界連邦世界大会でエスペラントが否定された。理由は「エスペラントには文化がない」「人工語で感情表現ができない。」「文学作品が書けない。」などだった。
 エスペラントは国際結婚の子供たちが家の中で使っており、文化がないわけではない。先祖が作った言葉をブラッシュアップしたのが、エスペラントだ。
 EUの人達が英語を習得するには多大な労力と費用がかかる。エスペラントの可能性はEUのみと言われているので、 EUで新聞広告をだした。フランスでエスペラントが活性化したのは、ルモンドに出した広告によるものだった。2010年12月15日の広告が一番効果があった。
 国際語の重要性を著名なエスペランティストと討論会をして、知ってもらう活動などを行った。2014年エスペラントがポーランドの無形文化財に登録される。
 2017年UEA会員4,506名アンケートを行い、エスペラントのこれからを考える。その中で新聞広告よりもネット広告がよいとの意見をもらった。
 父親が大本教えと出会い活動に身を捧げたように、自分も17歳の時に父親の意志を受け継いだ。
 三好氏は「これが私の最後の講演になると思う。」と低い声で言って、静かに講演を終えた。
 三好氏のエスペラントに対する普及活動は並々ならぬ情熱と労力をかけてきたものであり、それがじかに伝わってくる講演内容であった。
(2019.10.27 於 琴平文化会館)

 ※ 以下は「中四国だより」より
 まず体調の優れないところ、片道2時間もかけて会場まで来ていただいたことに感謝したいと思う。いつもながらの張りのある声で、これまでのエスペラント人生を振り返られた。こんな話ができるのも、今回が最後かもしれない、と最後は喉を詰まらせる場面があり、会場の感動を誘った。一途というのは美しいと思った。
 三好さんの資料その@  資料そのA

 三好さんの講演の録音 (録音は清水英孝氏) 最初の1分ほどは聞き取り辛いですが、肝心の三好さんの講演自体は極めて鮮明な音声です。


 
講演3: 「エスペラント俳優 佐々木孝丸について」
s-ino 砂古口 早苗   記録 (成岡 正利)  参加者 (50人)
 
 2016年に書いた。大正時代の影響を受けている人。
 笠置シズコの本は売れた。(知らないと思ったが。)
 88歳まで生きた 明治ー大正ー昭和の人。若い頃(十代)に学んだエスペラントを捨てなかった。
 戦後は映画の人であった。むずかしい役をこなす尊敬された映画の人であった。
 仲代達也も尊敬していた。昭和三十年代の自伝「自分は敗北者だ」。平和主義、インターナショナル(大正時代)の影響を受ける。
 日露戦争、寺の住職の仕事を嫌い、戦争で増えた郵便の仕事の職に就く。(神戸)
 エスペラント主義・トルストイの影響を受ける。
 3年で郵便の仕事をやめる。18歳で上京。秋田雨情のところでエスペラントを学ぶ。 フランス後を勉強する。翻訳もする。発禁対象の本も書く。
 第一次大戦からの戦争時代は、作家、俳優と忙しかった。
 日本当局にらまれた盲目のエスペランティスト・エロシェンコ(ロシア)をソウマコ ッキョウがかくまう。コッキョウも仲間になる。
 孝丸は存在感のある人物であった。また反抗心もあった。
 大正15年に人生の華が咲く。演劇が人々に影響を与えた時代。労働者がよく搾取さ れた時代でもある。戦争で企業は儲かる。エスペラントの思想とは違った。
 新劇は昭和初期につぶされる。戦後は映画に転向。脇役で活躍。
 佐々木孝丸の生き方について調べるだけで5年間の歳月を費やしていて、話題が豊富 次々とわき出るようにな講演であった。講演時間がたりなかった。
 続きは砂古口氏出版の本で知りたいと思ったが、すでに絶版とのこと。残念だった。
(2019.10.27 於 琴平文化会館)

 ※ 以下は「中四国だより」より
 砂古口さんは、3年前に現代書館から『起て、飢えたる者よ〈インターナショナル〉を訳詞した怪優・佐々木孝丸』を上梓された。孝丸は高松で育った。砂古口さんは、孝丸、宮武外骨、笠置シズ子など、香川県出身で骨のある人物を掘り起こすことに力を注がれている。まずその徹底した探究心に驚かされる。佐々木孝丸を書くのに、彼女は実に5年の歳月をつぎ込んだとのこと。今回の彼女の話からもその迫力が感じられた。