千人ころしてんや
 
小阪 清行
 
 今朝、通勤途中に加茂大橋から見ると、鴨川沿いの桜も満開だった。斎藤さんの失踪から丸一年が過ぎた。生きているのかどうかさえ、僕には分からない。
 失踪の日の朝早く、彼の勤め先の新聞販売店から僕の家に電話があった。斎藤さんが仕事に出てこないし、連絡も取れない、と。次の日も同様の電話があったが、三日目には、今までにも何度か問題をおこしたことがあったので、もう辞めていただくことにしたとの連絡が入った。桜並木の鴨川縁を通って、毎日アパートに訪ねていったが、いつも留守だった。そのうち、家賃の催促、酒屋の付け、電気・水道代等々の請求の電話も、保証人である僕の家に頻繁にかかってくるようになり、妻の機嫌が日増しに悪くなっていった。
 やがて家主から部屋の明け渡しを求められたが、僕が責任を持って払うからという約束で、三ヶ月間待ってもらった。そしてとうとう部屋明け渡しの期限がきた。鬱陶しい梅雨の日だった。
 川端通りから平安神宮に向かう疏水沿いの冷泉通り。この雅の響きを持つ通りをしばらく行くと、大正時代から抜け出してきたような古風で瀟洒な佇まいのフランスレストランが目を引く。その角を右に折れると、冷泉通りとは別世界のような心(うら)淋しい路地に入る。その路地を二度ほど曲がって、突き当ったところに彼のアパートはあった。その安アパートの一階の、一番陽当たりの悪い部屋が元助教授の住処だった。
 三年ほど前に広島の女子大で事件を起こしたあと、「おまえが言ってくれたように、京都に引越そうかと思う。できるだけ安い部屋を探してくれないか」と電話で頼まれて、見つけた三つの部屋の一つがこれだった。彼は一番安いのを選んだ。風呂なし、共同トイレ、共同流し台で、月二万円。
 雨の中、段ボール箱を抱えて立つ僕を見て、家主は心にもないことを言った。
 「大変どすな、ほんまに。保証人いうても、なかなかあんたはんみたいにはでけしまへんで」
 普段から暗かった彼の部屋には、梅雨のせいもあって、鬱鬱とした消炭色の粒子が漂っているように感じられた。部屋に残された物は僅かだった。かつては本棚から溢れて、部屋のあちこちに積まれていた書籍やCDの類――それらはすでに広島で売り払われていた。湿気を帯びた寝具は、場所をとるのでやむなく廃棄した。残りの荷物は、段ボール箱に入れて車でとりあえず僕の家に持ち帰り、彼が帰ってくるまで保管しておくことにした。
 しかし結局、斎藤さんは帰ってこなかった。失踪から一年、部屋明け渡しから九ヶ月経った今日、僕は彼の荷物を点検してみることにした。ノートパソコンのマイ・ドキュメントを開いてみると、論文や小説、詩などの他に、彼の日記が残されていた。印鑑と一緒に残された通帳には、僕が立て替えたのとほぼ同額の預金が残っていた。
 
 斎藤さんは同志社でゼミの一年先輩だった。だからほぼ三十年の付き合いということになる。語学に堪能で、英語はもちろん独・仏の文献も原書でかなり自由に読めた彼は、比較文学論のゼミでは、教授からも一目置かれる存在だった。だが彼には、原始的な衝動によって動いているようなところがあり、切れやすかったので、ゼミの仲間からは少々煙たがられていた。そんな彼と親しくしていた僕を、周囲は奇異の目で見ていたようだ。
 
 僕が三回生の夏休みに、斎藤さんを誘って高野山に近い奈良・吉野の釈迦ヶ岳に登ったことがある。僕は中学のとき教会の若い牧師さんに連れられて登ったことがあったので、多少の土地勘があった。標識に従って歩いている限り全く安全な山のはずだった。しかし斎藤さんは中腹の分岐点で、標識とは逆方向の細い道を行こうと言いだした。「中学生じゃないんだからな。道標に従って踏み均された道を行く山歩きなんてのは、法律に縛られて生きるのと同じで、おもしろくもなんともないぜ。大きな目標さえキチンと見据えてれば、どんな道を通ったって間違いなく目的地にたどり着くことになってんだ」。無計画性――それは彼の性格の著しい特徴だった。
 結果は散々だった。僕たちは道に迷い、結局五日間、野宿しながら真夏の山を彷徨する羽目になった。僕たちのリュックにはそれぞれ、僕が握った少し大きめの握り飯三個と、焼きメザシが三本。水筒には麦茶が入っていた。野宿することになった最初の日の夕方、彼は岩の庇の下に腰掛けて「なぁに、明日、来た道をそのまま引き返せば、直ぐに元の道にたどり着くさ」と言いながら、残っていた自分の食べ物を食べてしまった。臆病な僕は「まさか」の場合を考えて、握り飯とメザシを一つずつ残しておいた。山の夜は夏でもひどく冷えた。持っていた新聞紙をすべて体に巻き付けたが、それでも木の葉の床で寝ている僕たちの体はガタガタ震えた。
 翌日、あの分岐点に戻るべく歩き続けた。しかし気が付くと、僕たちの前に道らしい道は無くなっていた。僕は痛む足と空腹を必死に堪えながら、熊笹の中を彼に付いて行った。僕の頭の中には、握り飯一個とメザシ一匹、それしか無かった。食べたくて仕方なかった。しかし斎藤さんの横で、僕一人が食べる訳にはいかない。「俺は自分のを喰ったんだから、おまえは一人で喰えばいいじゃないか」、そう言ってくれるだろうか。もしそう言ってくれたとしても、自分はやはり彼に半分を与えるべきではないだろうか。そんなことをうじうじ考えながら、実は言われないであろうことを予感しており、そんな斎藤さんに「喰い物」のことで愛想を尽かすに違いない醜い自分を想像して、惨めな思いに苛まれていた。
 ゲーテ、リルケ、トルストイ、親鸞、良寛――。京都の下宿で交わした高邁な文学・宗教談義、あれは一体何だったのか。斎藤さんの分裂症的言行一致は自他共に認めるところ。しかし、曲がりなりにも言行一致型の人間とされていた自分も、薄皮一枚剥けば全く同じなのだと、このとき骨の髄まで思い知らされた。
 二日目の昼、ようやく意を決して「半分食べませんか」と差し出した。「そうか、悪いな」と言って受けとり、ぼんやり高野山の方を眺めながら食べていた。「悪い」と思っている風には見えず、自分のせいでこんな風になったのだという反省など、?(おくび)にも出さない。それどころか、その日の夜中には、突然狂ったようにナイフで自分のリュックを切り裂きながら、僕の背中に向かって怒鳴り散らした。「おまえが誘わなきゃ、こんなことになりゃーしなかったんだ。そもそも感情というものがないのか、おまえには!不安を感じんのか!こんなときにグーグー寝てやがって!」。確かに僕は、ブレることがほとんどない心の沈着さを親から受け継いでいた。そんな僕も、この罵倒に堪えるには寝たふりをして歯を食い縛るほかなかった。
 三日目の昼過ぎ、わずかに残っていた水筒の麦茶がとうとう底をついた。斎藤さんは腹立ち紛れに、水筒を近くの木の幹に投げつけた。山蛭に悩まされ、足からは血が滲み、疲労と渇きと暑さで頭は朦朧としていた。それでも、黒々とした針葉樹の中にカエデやブナなどの落葉樹が混じる自然林の中を、言葉も交わさず、重たい足を引きずって歩き続けた。ジッとして待つよりは、歩いた方が生存への可能性が高まる――この本能的な確信だけが、敗残兵のような僕たちを前へ押しやっていた。不思議なのは、こんなときでさえ僕の心の何処かに、自然の美しさを楽しんでいる分身が棲んでいたことだ。
 その日、陽が傾き始め、蜩たちの声が止むと、僕の心には、本当に生きて帰れるんだろうかという不安が現実味を帯びて重たくのしかかってきた。言葉は交わさなかったが斎藤さんも間違いなく僕と同じことを感じていた。いつものように夜露をしのげる場所を見つけて木の葉を敷き詰めると、二人ともドサッと横になった。
 やがて、灼熱した鉄球のような太陽が護摩壇山の頂きあたりに架かり始めた。天空から葉っぱの寝床まで、僕たちを包む世界が隈無く真っ赤に染まった。赤い海が徐々に淡い紫と混じり、透明な紺藍へと変化していく間、僕たちはただ黙って西の山影を見詰めていた。
 斎藤さんは恐らく涙を流していた。「キッケルハーンみたいだな」と言った彼の声が震えていた。
 この震えは、単なる自然の美しさからきたものではなかった。「美とは恐ろしきものの始まり」に過ぎない。あの美は疑いもなく、直(じか)に「死」に通じていた。死への憧憬と死への恐怖。斎藤さんの存在そのものが矛盾・分裂に充ち満ちていたが、この二つの力の葛藤が最も顕著だった。そしてそれが彼に、底知れぬ奥行きと不可解さを与えていた。彼がこのとき感じていたのは、生成と破壊を繰り返す自然の不気味さだったに違いない。自然の美しさと無慈悲、人間の醜悪・愚昧と優しさ――それらすべてを呑み尽くし反芻する永遠の流れへの恐怖。あるいは畏怖?
 やがて黒い帷(とばり)に包まれたが、剣山(けんざん)で刺されたような天空の数限りない穴から、大小とりどりの輝きが降ってきた。
 四日目の行動については完全に記憶が飛んでいる。脱水からくる昏睡状態に近づいていたためだと思われる。
 沢に辿りついたのは五日目の午後だった。もしそこで渓流釣りをしている親切な老人に出会わなかったら、僕たちはどうなっていただろう。
 この事件の後も、斎藤さんと僕の関係はあまり変わらなかった。生死の谷間を共に彷徨ったあとで、戦友のような関係へと「深まった」と言えるのかもしれない。
 
 彼は学部を終えたあと、教授の勧めで大学院に残った。四国新居浜の短大に職を得てからも、学会などで関西方面に来た折にはいつも、京都で高校教師をやっている僕のところに泊まっていった。互いに結婚して家庭を持ったあとも、僕たちの奇妙な関係は続いた。ただ僕の妻は――泊まりに来たときにはそれなりに愛想良くしていたものの――斎藤さんの不遜で傍若無人な振舞に陰で業を煮やしていた。「どうしてあの人に対して、そんな風に諂わなきゃいけないの」。この一言が僕の感情を妙に逆撫でした。その後数日間妻と口をきかなかったが、それが三十年近い僕たちの結婚生活の中で唯一の夫婦喧嘩だったかもしれない。
 その後、斎藤さんは広島の女子大に移り、そこで事件を起こした。
 以下は懲戒解雇を言い渡されてから数日後の新聞記事である。
 
広島の女子大、助教授を懲戒解雇 ― 研究室で性的関係
 
 百年の歴史を持ち、地元でいわゆる「お嬢様大学」として知られる広島市の瀬戸内女子大学で、48歳の男性助教授が女子学生と大学の研究室で性的関係を持ち、懲戒解雇の処分を受けていたことが明らかになった。前代未聞ともいえる研究室での淫らな行為に、「大学の信頼を著しく失墜させた」と懲戒解雇という厳しい処分となった。同大で会見した大井潔学長らは「在学生はもとより、父兄の皆様ならびに卒業生の方々に対して、大学の信頼と名誉を傷つけたことに、衷心よりお詫びしたい」と深々と頭を下げた。
 会見によると、数週間前から助教授の研究室でときおり怪しげな声が聞こえるとの噂が流れていた。大学は密かに調査委員会を設置し、新学期が始まる直前の9月20日に、調査委員二名が行為の現場に踏み込んだ。
 学生は東南アジアからの留学生で、同助教授のゼミに所属し、夏休みに入ってから、日本語の特別指導などの名目でしばしば研究室を訪れるようになり、性的な関係を持つようになったという。
 女子学生も「合意の上だった」と認めており、セクハラ等の事実はなかったと見られているが、職員就業規則に違反するとして教授会、理事会で懲戒解雇処分と決まった。
 助教授は二年前から同大学で教鞭をとっており、単身赴任だった。女子学生は退学して、すでに帰国している。
 同大では、全国的な女子大離れの傾向を反映して、5年ほど前から定員割れの状態が続いており、数年前から主として中国・東南アジアからの留学生の受け入れを進めてきたが、地元での信用失墜はもとより、今後は留学生獲得の面でもなかりの悪影響は避けがたい、と見られている。
 
 新聞で事件が知れわたった数日後、斎藤さんの奥さんが新居浜で半狂乱のうちにマンションから飛び下りた。
 斎藤さんには子供が二人いる。兄の善信君は前年に神戸大学医学部に進学を果たしていたが、妹の里沙ちゃんは当時高校三年だった。数年前に斎藤さんが新居浜の短大から広島の女子大に移るとき、奥さんの考えで、里沙ちゃんの高校卒業までは二人が新居浜に残ることになった、と聞いている。
 奥さんの通夜の席で、斎藤さんは岳父から「娘を殺した人間のクズのような男に、孫達を預けておくことはできない」などと口汚く詰(なじ)られたとのことである。結局親族会議で、善信君と里沙ちゃんは母方の祖父母の養子となり、二人の今後の面倒はすべて奥さんの実家がみることに決められた。新居浜のマンションの権利書、預金・証券の類はすべて義父母に託したとのことである。五十万ほどの現金だけが彼の手許に残された。
 廃人のようになった斎藤さんに、僕は京都に移ることを勧めた。
 しばらく躊躇(ためら)ったのち、彼は広島のマンションを引き払うことに同意した。京都へ引越して来たとき、財布にお金はもはやあまり残っていなかったと思われる。
 予備校か塾で英語教師でもしてみてはどうかと僕は勧めたが、もはや教師という職に興味を示すことはなかった。一ヶ月半ほど無為の生活を送ったあと、新聞配達の仕事を始め、結局失踪するまで二年近くの間、その仕事だけで生計をたてていた。
 以下は、広島時代以降の彼の日記から。
 
 
○月×日
 一昨夜、山根町のイタリアレストランでゼミの顔見せコンパ。
 学生たちの酌で相当ビールとワインを飲まされ、二次会を終えてバス停に立ったときには、かなり酔いが回っていた。
 バス停で劉(りゅう)雪梅(しゅえめい)という中国系マレーシア人の留学生と一緒になった。バスで隣り座席に座って話している間、官能的な香水の匂いに軽い幻惑を覚えていた。自分のマンションの近くに住んでいるらしく、降りるバス停も同じだと言う。うちの学生にしては色気がありすぎる。そのせいか周りの学生たちから浮いている印象を受ける。化粧の濃い顔に陰りがあり、何を考えているのか分からない不思議な娘(こ)だ。マンションに向かって歩いていると、同じ方向だからと言って馴れ馴れしく寄り添ってきた。彼女の方もだいぶんアルコールが回っている様子だった。他の学生より数歳は年上と踏んでいたが、色々話しているとバツイチだと言う。
 失礼なことを訊いてしまったと思って、話題を逸らそうとしたが、彼女の方から「私が悪いんです。私、主人の外国出張中に・・・私タメな女」と言う。
 あまりの唐突さ、露骨さに、自分の耳を疑いかつ言葉を失った。滅多に味ったことのないほどの不快感。一度に酔いが醒めた。同時に身構えた。女子大教師として、学生とのトラブルはまっぴらだった。ただでさえ性的な妖気を漂わせているが、そのときの彼女はアルコールと夜気の所為で、普段の数倍もセクシーに感じられた。
 「私、不安。私の家族、私の親戚、みんな私のこと、家の恥と思ってる。たから、私を追い出した。・・・私、寂しくてちっとも勉強、身が入らない。何をどうやって勉強したらいいか分からない。たから私、ちっとも日本語進歩ない」
 自分のゼミ生とは言え、それまでほとんど個人的に言葉を交わしたことなどなかった。そんな彼女から、突然腑を切り裂いたように心の内側を見せつけられて、どう答えていいか分からず黙って歩いていた。まるで祇園のママさんに連れられて歩く中学生のように。
 「じゃあ、僕はここだから」と言ってマンションの前で唐突に、そしてぎこちなく別れた。
 《夢》
 風呂から出て、ベッドに入ろうとするとチャイム。劉が戸口に立っている。「先生、私、相談がある」と言う。こんな時間だから、明日大学で、と言っても強引にドアを押し開けて部屋の中に入ってきた。突然かがみ込んでパジャマのズボンを下ろし、股間に顔を埋めた。自分は立ったまま優しく髪を撫でてやった。
 目覚めると、パジャマが汗でじっとり濡れていた。
 
○月×日
 無意識の世界から訳もなくどくどくと湧いて来る激憤。抑えても抑えてもこみあげてくる黒い力。存在それ自体への意味の分からぬ嫌悪感、嘔吐感。
 
○月×日
 午後、文学概論。良寛とアッシジのフランシスについて講じる。支離滅裂。自分自身何が言いたいのか分かっていない。ただ、彼らを静的には捉えたくなかった。聖者のごとく讃えられる彼らにも、黒い力が内から働いていることを踏まえて逆方向からも見ないと、決して彼らを正しく理解することにはならない。
 
○月×日
 廊下で劉(りゅう)雪梅(しゅえめい)とすれ違った。
 「この間の話だけれども」と言うと、「はあ?」というような顔をした。
 「日本語が上達しないという――」
 「??」
 「何だったら、昼休みは時間が空いているから、何か作文でも書いて持ってくれば、間違った日本語を直すくらいはしてあげられるかもしれない。もしよければ」
 言い終えた途端、自分の心の奥でドス黒いものがピクッと動いたように感じた。教師として当然の学生指導のつもりだったが、自分の無意識はどうだったのか。
 「ありがとう。先生、優しい」そう言って去って行った。劉の顔が少し赤らんでいたような気がした。
 
○月×日
 一週間ほど劉が昼休みにやって来ることはなかった。ホッとすると同時に、何か屈辱的なものを感じていた。
 昨日五時過ぎ、研究室を出ようとすると劉がやってきて、今、構わないですか、と言う。悪いが家に帰る時間なので、今は相手できないと断った。すると今度は、マンションに行ってもいいか、と訊く。針で心臓を一刺されたような驚きだった。当然それも断ったが、その余韻が寝るまで残った。
 夜、瑛子から電話。四方山話。里沙の模擬試験の成績のこと、善信の引越しのこと、実家の母の健康状態のこと、等々。外食に出るからと十五分ほどで電話を切る。瑛子の声を聞いて、不思議なほど気持ちが落ち着いた。
 海華楼で飲んだビールでは飲み足りないで、スナック「杉」へ。一人暮らしの生活に限りない空虚さを感じる。無性に瑛子を愛おしく思った。
 また夢。内容は先日とほとんど同じ。
 
○月×日
 劉が授業中に居眠り。少し注意。五時前に研究室に詫びに。そして、やはり日本語を教えて欲しいと言う。しばらくは学会や論文の準備で忙しいから、夏休みに入ってからにしてくれ、と言っておいた。別段急ぐ論文ではなかったが。
 話している間に何度か生唾を飲んだ。セクシーな香水、パール感のある口紅。Tシャツの胸は豊かに膨らみ、パンクチックなデザインがこの上なく挑発的だった。「君、その英語の意味、分かってて着ているのか」という言葉が喉に引っ掛かっていた。




 

EROS MANSION
welcome!!
all your dezires will be filled

 
 
○月×日
 一昨日、昨日と京大文学部で比較文学会。
 いつものように、白川伊織町の北御門の家に泊めてもらった。そしていつものように、造形芸大前のバス停までペイジボーイのようにバッグを提げて見送ってくれた。
 駅までのバスの中で考えた。何なんだろう、あいつが俺に寄せる隷属にも似た柔順さは。
 「斎藤さんのことを尊敬しているなんてこと、悪いけど金輪際ありません」
 いつか一緒に飲んでいたとき、ぬけぬけと真顔でそうぬかした。
 そりゃあそうだろう。おれは何度あいつの誠意を踏みにじり、裏切り、恥をかかせてきたことか。俺があいつより優れているのは、外国語の単語を少々余計に知っていることと、屁理屈が達者だということ以外、何一つありはしない。
 いや、一つだけ思い当たる節がある。それはこうだ。
 俺が悪人であること、そして俺が悪人になったのは決して俺の所為ではないこと。軍の上層部に金を握らせ女を抱かせて商品を納め、戦後は進駐軍に取り入ってしこたま儲け、その金を湯水のように女遊びに使った父親。そんな亭主に愛想を尽かして男と逃げた母親。そんな親から生まれた子供がまっとうに育つ道理がない。いや、親が酷くて子が立派に育つケースもある。この世の中、何がどうだからこうなって、どうすればああなる、なんてこと何一つ言えやしない。三千大千世界是不可説不可思議。だが、いずれにせよ、俺のすねていじけた醜いこの性格は――サド侯爵も仰せの如く――変わりはしない。変えようという意欲さえ起こりはしない。今回のクダラナイ学会で一つだけおもしろかったのは、京大大学院生のサドに関する発表。サドが妻に宛てた手紙の一節がレジュメに引用されている。これが気に入った。
傲慢で、おこりっぽく、かっとなりやすく、なにごとにつけ極端で、想像力の放埒、不品行ぶりにかけては肩を並べる者がなく、熱狂的なまでの無神論者、つまり、これが私という人間なのだ。もう一度言っておこう、私を殺すか、さもなくば私をこのような者として受けいれてもらいたい。なぜなら、私は変わりはしないだろうから。
 北御門はと言えば、クリスチャンホームに育ったせいかどうかは知らないが、根がどこまでも無垢ときている。裏切られても裏切られても、どこまでも人を信頼してくる馬鹿な男。ところがあいつも、見方によっちゃあ俺と同じで、自分がそういう奇特な性格をしているのは、別に自分の努力の所為だなどとはつゆ思っていない。そこが世間のただの馬鹿とは違うところだ。親が良かった、環境がよかった、出会いが良かった、たったそれだけのことだとあいつは思っている。
 蛇が蛇に生まれたことに罪があるのか。孔雀が孔雀に生まれたことを誇っていいのか。悪魔が悪魔として生まれたことに、一体、誰にどんな責任があるというのか。天使が天使として生まれたからと言って、一体そこに何の褒め讃えるべき功があるのか。
 それじゃあ煎じるところ、両極にある俺と北御門が全く同じかと言えば、一つだけ違うところがある。善人は生きるの楽だが、悪人は苦しい。北御門は、俺が悪人であるゆえに苦しんでいるだろうから、その分、自分より深い生を営んでいる、と、まあこんな風にでも考えているに違いない。そこに負い目のようなものを感じる、あいつはそういうタイプの人間なのだ。
 
○月×日
 昨夕、新居浜から帰る。
 善信も夏休みで神戸から帰り、久しぶりに一家四人で一週間を過ごした。
 と言っても高三の里沙は夏休み中も、盆の三日間以外は課外授業。善信も毎日友達の家に行って、夕食まで帰ってこない。
 子供は二人ともは瑛子に似て、性格に陰りがない。歓喜雀躍すべきこと。しかし、親鸞が越後に流されたときの「罪名」藤井善信から名前をとった自分としては(本人も瑛子もそんなことは露知ぬが)、その屈折のなさに少々物足りなさを感じないでもない。
 平和な日々――だった、確かに。しかし、二人だけになると、幼子が母親に助けを求めるように瑛子との行為に耽った。何かに脅えるように。何かから逃るように。
 
○月×日
 劉(りゅう)雪梅(しゅえめい)が研究室に。アルバイトがあるので、休み中もマレーシアには帰らず、広島に残るらしい。休み中に日本語を一生懸命頑張りたいのでよろしくとのこと。何か作文が書けたら、電話でアポをとってから研究室に来る、という段取りにして、互いの携帯番号を交換。
 
○月×日
 劉から携帯に電話。何を書いていいのか分からないとのこと。読んだ本や、テレビドラマ・映画の感想とかストーリー、あるいは自分の国と日本の生活や文化の違いについて書いてみてはどうか、と言っておいた。日記風に自分の考えや周りの出来事を気軽に書いてみては、とも。
 
○月×日
 劉、研究室へ。何も書けなかったと言うので、脇の机に座らせて、とりあえず自己紹介文のようなものを書かせた。話すのはまずまずだが、書かせてみるとやはり文法が間違いだらけ。添削と説明にかなりの時間を費やす。飲込みは頗る良い。やる気もあるようで、明日も来てもいいかと言う。構わないと答えると、今日のようにここで書いてもいいかと言う。一瞬迷ったがOKしておいた。
 
○月×日
 劉雪梅、このところ毎日のように研究室へ。途方もない闇を抱え込んでいる様子。一人でいると何かに押し潰されそうだと言う。そのくせ不器用で人付き合いがまともにできない。知らないうちに人を傷つけている。あまりにも自分に似た不憫な人間。恐らくは幼児期(あるいは胎内?)のトラウマからくるこの闇は、焼かれるまで決して消え去ることはない。二人はこの闇によって本能的に引かれ合っている。
 
○月×日
 雪梅(しゅえめい)、夜の九時過ぎに突然お礼だと言って、ワインを持ってマンションにくる。一緒に飲みながら二時間ほど話した。
 
○月×日
 雪梅、寂しいから、と言ってまたマンションに来る。一昨日より上等のドイツ・ワインを持って。
 お互いの虚無を埋めあうように激しく愛し合う。
 
○月×日
 研究室に入ってくるなり、雪梅がドアを中からロック。CDプレーヤーのボリュームを上げて、求めてくる。チャイコフスキ―のピアノコンチェルトをBGMに、あまりに大きなよがり声。嗚呼。
 
○月×日
 初めて泊まっていった。異常なほど何度も何度も求めてくる。病的。
 
○月×日
 前の夜、二度繰り返したのに、また研究室で。
 こんなことがもう一週間以上続いている。
 動悸がする。軽い耳鳴りも。もう若くもないこの体。限界に近い。引き返せという声。死に向かってどこまでも、という別の声。
 
○月×日
 雪梅もこの俺も、自分で自分を持て余している。抑制が利かない。陋劣この上なきことと知りつつ、泥沼から抜け出せない。抜け出そうという意欲も湧かない。幼子に頬ずりするように罪を抱きしめている。
 単なる欲望ではない。虚無――この重たい呪いを消そうとしている、二人とも。地獄の業火に自ら飛び込む思い。
 
○月×日
 本を読んでもほとんど頭に入らない。入っても、書いてあることがすべて空々しく感じられる。
 
○月×日
 日々、ドラッグを飲んだような虚脱状態。まぐわい、まぐわい、まぐわい・・・
 
○月×日
 臨時教授会。学長の演じる狂態。世間の論理が分からぬほどネンネではないが・・・ 雪梅が聖なる存在に思われた。
 
○月×日
 雪梅からマレーシアに帰るとの電話。泣きじゃくって言葉にならない。
 
○月×日
 瑛子の母親から電話。瑛子の精神状態が尋常でないから、すぐに新居浜に帰るようにと。
 大学での残務整理があってどうしても抜けられない、と返事。
 どの面さげて瑛子に――
 電話を切るとき、義母の声に殺意さえ感じた
 
○月×日
 二週間前に新居浜から帰って以来、カタツムリのごとく部屋にへばりついている。食べ物がほとんど喉を通らない
 瑛子のそばへ行きたい
 
○月×日
 昨夜、嘔吐。激しい動悸、息切れ、目眩。体に痺れ、脂汗
 ドライアイスよりも冷たかった瑛子の額
 
○月×日
 なぜ自分が今も生きていられるのか分からない。心臓を突き刺し引き裂く黒い力
 
○月×日
 北御門から電話。泣いていた。
 
○月×日
 北御門から、京都に越して来ないかとの誘い。考えてみると返事。
 
○月×日
 北御門から電話。あれに甘えたい気持ちもある。世界中で俺を支えられるのは今はあれしかいない。
 
○月×日
 京都へ移ることに決めて、北御門にアパート探しを頼む。
 
○月×日
 数日前の金曜日、北御門が朝からマンションへ。平日でないと役所等の手続きができないからと有給を取ってやってきた。何もやる気のない自分に変わって、荷造りをほとんど一人でやっていた。
 自分は部屋の片隅に座ってタバコを吹かしていた。底なしの馬鹿を横から見ていて、少しだけ憂いが晴れた。
 京都に着いた夜、この部屋で一人涙した。
 瑛子にもあいつに似た優しさがあった。無価値な人間をどこまでもどこまでも包み込むような――。自分のごとき精神的畸形児が自暴自棄に陥らず、曲がりなりにも結婚生活を送ってこられたのは、一(いつ)に瑛子のこの優しさのお陰だった。
 思えば、俺は孤独な人間でありながら、何人かの人間から愛されてきた。その愛を愛と感じ、喜ぶこともできないほど不幸な人間だったのか。
 それにしても、自分で選択したアパートだとは言え、暗くて黴臭い。それが気に入った。これこそ俺の住処に相応しい。
 
○月×日
 北御門が塾や予備校の講師の口をいくつか持ってきた。
 生返事しておいた。単なる言葉の知識にせよ、人に何かを与える余裕など今の自分にはない。自分の命を支えかねている。
 刃物を持った老婆に追いかけられる夢。寝ても、覚めても、飲んでも、悪夢・悪夢・・・・
 
○月×日
 この年で引き籠もり。理屈では分かっていてもどうにもならぬ。あれも。これも。
 
○月×日
 コンビニで買ってきた握り飯が「俺の中のタラコがどこの産か言い当てろ」と要求する
 テーブルの缶ビールが「俺がここに立っている意味を述べよ」と迫る
 天井のネズミが「眠れば顔を噛んでやる」と脅す
 誰かが後ろから「どうしたんだ」と肩に手をかけてくる
 すべて幻覚・幻聴だと分かっていながら、現実よりもリアル
 
○月×日
 昨日、北御門が要らなくなった自転車を一台持ってきた。
 喫茶店であれ一人が何か喋っていた。何を喋っていたのか何一つ覚えていない。曜日も、月も、季節感も、何もない
 
○月×日
 北御門、ちょくちょく来る。
 
○月×日
 これ以上籠もると発狂しそうな気がする。北御門もそれを察している。あれの存在が辛うじて俺の命を支えている。
 
○月×日
 喰わないでいる訳にもいかないし、敷金など立て替えてもらったままの北御門に甘えてばかりもいられないので、ハローワークへ。新聞配達か牛乳配達を希望した。泥棒のように世間の人間が寝ている時間に働くことに、昔から淡い願望を感じていた。学歴を高卒と詐称した。保証人の勤務先を訊かれて「洛南高校教諭」と言ったとたん、職員の態度が急変した。
 その足で、紹介された左京区区役所近くの京都新聞の販売店へ。アパートからそう遠くない。土地勘も多少はある。原付の運転に慣れ、配達順序さえ覚えれば、あとは何の問題もない・・・はずだ。
 夜眠れないので、あまり体力がない。頭も朦朧としている。カブの運転ができるのか、配達順を覚えられるか、少々不安。正確に言うと、不安を感じるほどのエネルギーももはや残っていない。生きる気力そのものがほとんど湧かない。
 かろうじてコンピュータを立ち上げて、どうでもいいことを習慣的に打ち込んでいる。
 My computer, my friend.
 
○月×日
 販売店からカブを借りてきた。国際会館前の広い通りで運転練習。何十年もバイクに触れていないので、変速がうまくいかない。
 国際会館裏の宝ヶ池を散歩。
 三日後から仕事開始。
 
○月×日
 朝二時に起きて新聞舗へ。
 初日から雨。合羽は人によってサイズが違うから、自分で買っておくように言われたのに、用意していなかった。
 今この地区を担当している高校生の後について回る。寡黙な青年。ただ眠くて機嫌が悪いだけかもしれないが。
 ずぶ濡れになって付いて回った。彼が容赦なくスピードを落とさずに走るので、滑ってカブを一度転倒させた。脚と腕から出血。雨に薄められて流れる血を舐める。美味。
 初っ端から原付に少し損傷を与え、店主から小言。これにも自虐的快感。
 
○月×日
 隣り部屋の片眼のジイさんが鬱陶しい。このアパートに引越してきてまだ三ヶ月だというのに、馴れ馴れしく話しかけてくると思っていた矢先、三千円貸せという。一週間後には生活保護の金が入るので、そのとき必ず返すから、頼む、昨日今日と何も食べていないんだ、という。背中から手首まで墨が入っているようだが、あの年では全然迫力がない。
 よせばいいのに仏心をおこして「今回だけだよ」と言って貸してしまった。
 何年か前にシャンゼリゼーのレストランで外のテーブルに座り、瑛子と一緒に気持ちよくムール貝を食べていたときのこと。旧ユーゴスラビアからの難民だと思うが、乞食少年があまりにしつこく物乞いするので、20サンチーム硬貨を一個やった。その数分後、その仲間の子供たちに取り囲まれた。その後、大人の乞食たち、さらに売春をやっている少女・・・
 物乞いするなら他所へ行け!千人殺せと言われても、この身の器量では人一人も殺せはしない(いや、妻一人は殺したが)。しかし、どのみち五秒に一人が餓え死にしていくこの世界だ。一千万人、一億人を見殺しにすることはできる。
 トルストイは莫大な資産があったからモスクワの貧民達に惜しみなくお金を恵んでやった。そして、一文無しになるまで恵むのは「悪妻」ソフィアが決して承知しないと知っていたから、自分だけ善人になって安んじて金をばら撒くことができました――なぁーんてね。
 トルストイの凄さは、言われているようなヒューマニズムとか愛の思想よりも、彼の中の悪魔の強大さだ。彼ほどに肉欲の破壊力を知っている人間がいたか?悪魔のいないところに天使が存在できるか?狂気のない世界に正気があるか?
 俺の中にはしかし魔物と狂気しか棲んでいない。
 
○月×日
 片眼のジイさん、三千円を返すどころか、また二千円貸せと言ってきた。「ジジイ、死ね」と思いながら、また貸した。中途半端な悪人。
 
○月×日
 ドアをノックするからくわえタバコで出てみるとモルモン教の青年が二人。タバコやアルコールは神の教えに反するとのお告げ。そんなクダラナイことを宣教するために遙々ユタ州からくるゼニがあるなら、隣のジイさんが餓死しそうだから、一万でも五千でも恵んでやれ、と言ってやった。
 お前等よりこっちとらの方がよっぽど宗教を深く理解してんだ、という考え――まさにこの点にこそ、自分が真の宗教から遙かに遠いことが露呈されている。
 尽十方の無碍光は斯くの如き自分や?陀多(かんだた)のような人間にも及んでいるのか。
 
○月×日
 いつだったか、北御門と宗教について論じていたときのこと、キリスト教を捨てたはずのあれが、ヒトラー暗殺を企てて処刑された牧師の言葉を引用した。「かくして、為すべきこととしてわれわれに残されているのは、われわれ自身を見詰める視線を逸らして、われわれのためにすべてを成し遂げられた方を仰ぎ見ることだけなのである」。どういう文脈だったか忘れた。そのときなぜか、極楽蜻蛉だと思っていたあれの中に、チラッと地獄を見たような気がした。摩訶不思議の極み。
 あいつの宗教が今一つ理解できないでいる。頭で捨てた信仰がまだ体に染み込んでいるのか。あるいは、捨てたつもりが(捨てたお陰で?)、知らぬ間(ま)に別のもっといいやつを拾ったのか。
 
○月×日
 仕事中、誤配で焦ってまた転倒。五針縫う。今度ジコったら、バイクの修理代は給料からさっ引くとのお達し。
 カフカによれば、人間には二つの主要な罪があり、他の罪はすべてそれから派生するそうな。二つとは即ち、せっかちだらしなさ
 自分にとっての問題は、せっかちでしかもだらしない性格に生まれついた人間、そのように育って今さら甦生のしようもない人間が、どう生きたらよいのか。女々しく根性の卑しい凡夫に、存在が許されているのかどうか。この点だけである。
 蛇に向かって、孔雀になれ、と所詮無理な要求をしてくれるな。
 
○月×日
 心あらば尋ねて来ませ鶯の木伝ひ散らす梅の花見に
 良寛の歌を思い出して青谷梅林へ。小雪がちらついていたため、幸い物見客は誰もいなかった。鶯もいなかった。
 雪梅がいつか言っていた。マレーシアには雪も降らないし、梅の木もない、と。
 
○月×日
 金沢の寺の境内。姦通を犯した城主の側室が釜茹での刑に。真っ青な顔の女は、よく見ると雪梅だ。縛られたまま大釜に。水が注がれ、蓋をする前に、数十匹の蛇が入れられる。阿鼻叫喚地獄。熱さを遁れようと、蛇たちは雪梅の衣の中へ、口の中へ、膣の中へ
 雪梅・・・ 元気に暮らしているのか
 
○月×日
 北御門に誘われて、あれの車で比叡山へドライブ。
 最初、根本中堂から山道を三十分ほど歩いて、親鸞が出家後最初に勉学したと伝えられる無動寺谷大乗院へ。あちこちにまだ雪が少し残っている。
 その後、堂僧として修行した聖光院のある西塔地区へ。
 椿堂あたりに古い墓石群。千日回峰行の途中で死んでいった僧たちもこのあたりに眠るのか。昔、列車で向かい合わせた比叡山の学僧から聞いた話。七年かけて行う荒行の五年目に、普通の人間には三日が生理的限界とされているところ、修行者たちは九日間の断食、断水、不眠、不臥の行を行う。九日目には瞳孔が開き、死臭さえ漂う、と。
 「肉」とは、斯(か)くまでして滅せざるを得ぬほど恐るべきものなのか。人間とはそこまでせぬと救われぬ存在なのか。親鸞も同じ荒行をやったろうか。
 さらに横川(よかわ)へ。
 親鸞が不断念仏を修した首楞厳院(しゅりょうごんいん)から、鞍馬山・貴船山あたりを眺めながら、ふと釈迦ヶ岳での出来事を思い出した。「あのときおまえがくれた握り飯とメザシ、あれが俺の生涯で一番の醍醐だったよ」――そう言いたかったが、ひねくれ者の自分の口からはどうしても素直に言葉が出てこない。
 お堂の傍らに小さな石碑が立っていて、「歎異抄」の一節が刻まれていた。
   卯毛羊毛のさきにゐるちりばかりも
   つくるつみの宿業にあらずといふことなしとしるべし
 親鸞の限りない優しさが感じられて、嬉しかった。
 
○月×日
 川端通りを歩いていて、学生時代の友人、原口に出くわした。向こうから声をかけてこなければ誰だか分からなかった。京都銀行を太秦支店長で退職になり、今年から出向の身だとか。お人好し丸出しだった田吾作顔が、まるで別人のごとく無惨に崩れていた。刻まれた皺と皺の間に札束や手形の影が透けて見えた。腐肉を目にしたような嫌悪感。げに世間恐るべし。
 しかし、お前の顔はどうなんだ?
 
○月×日
 北御門から十万円受けとる。善信がバイトで稼いだ金を送ってきたとのこと。「北御門さんに迷惑かけているはずだから、父には内緒で」と言ってきたとか。「僕には預かれませんから」と俺に渡した。
 その金を持って大阪に出た。九条OS劇場でレスビアンショーを見て、その足でソープランドへ。
 
○月×日
 仕事の後、カブで寒気の中、大原へ。
 原付を道路脇に置いて、瑛子と婚約時代によく歩いた寂光院への畦道を行く。寂光院を抜けて、近くの森を彷徨う。小暗い森から鞍馬へ、さらに貴船へ。奥山へ、そのまた奥へ――
 おまえは、地獄に堕ちろ!
 
○月×日
 鹿ヶ谷(ししがたに)・法然院の墓地で九鬼周三の墓を探した。探しあてるのに随分時間がかかった。九鬼の墓に恩師西田幾多郎が訳した「旅人の夜の歌」が刻まれている。西田や九鬼に興味はない。ただ若いときに散歩の途中、偶然見つけたあのゲーテの詩にもう一度だけ出会いたかった。
   見はるかす
   山々の頂
   梢には
   風も動かす
   鳥も鳴かす
   まてしはし
   やかて
   汝も休らはん
 
○月×日
 北御門、この日記、読んだか?
 おまえがいたから今まで生きてこられた。
 ありがとう
 
 
 斎藤さんが「聖なる俗物」としてこよなく愛したゲーテが、こんな詩も書いている。
   無限の神々はすべてを
   そのいとし子に惜しみなく与えたまう
   尽きることなき喜びのすべてを
   果てることなき悲しみのすべてを
 斎藤さんは決して神々の「いとし子」ではなかった。彼には恐らく「果てることなき悲しみ」しか与えられていなかった。この世には「いとし子」と、そうでない存在がある。不公平だ。理不尽だ。信仰を失った今でも僕は神を恨むことはできない。ただ、斎藤さんを想うとき、刺すような胸の痛みを覚えるばかりだ。