青島独軍の部隊・階級名の日本語訳について
瀬戸武彦
本稿は、日本軍による青島攻略を目指した日独戦争時における、ドイツ軍の部隊名と将兵の階級名に関して、その日本語訳を列挙したものである(オーストリア=ハンガリー帝国軍艦カイゼリン・エリーザベト(皇后エリーザベト)乗員の階級には触れていない)。本誌には、星昌幸氏による極めて詳細な資料が掲載されるので、ここでは各種の資料・文献で比較的多く目にする、一部の部隊・階級についての言及に留めている(なお、本稿には屈指の俘虜研究家である星氏の名が登場しないが、習志野市教育委員会から発行された『ドイツ兵士の見たNARASHINO』及び『ドイツ兵士の見たニッポン』の執筆者が星昌幸氏であることを、特に記しておきたい)。本稿は田村ドイツ館長から依頼を受けて、10月1日に開催が予定されている、ドイツ館におけるシンポジュウムでの検討資料になれば、との考えから作成したものである。シンポジュウム開催にあたって事前に検討材料があれば、当日配布されるものでいきなり討論するのとは違って、参加者が充分問題の所在等を知り、効果的、能率的に議事が進行するものと思われる。つまり、シンポジュウム開催準備の一環としての作成である。
実は筆者も四年前に、「青島(チンタオ)をめぐるドイツと日本(4)及び(5)−独軍俘虜概要」(所載:『高知大学学術研究報告』第50巻/第52巻、人文科学編)なる論文(実質は資料)を発表した折に、漠然とした落ち着かない気持ちを抱いていたことも事実である。俘虜情報局発行の『獨逸及墺洪國俘虜名簿』(大正六年六月改定)、「獨國陸軍官階表」、「獨國海軍官階表」の三点を基にしたが、日本の軍制・官制とは必ずしも一致しないこともあり、完全に適合する階級名を充てることは不可能に感じた。特に、日本軍にあっては下級兵卒の階級が「二等兵」、「一等兵」、「上等兵」と三進制であるのに対して、ドイツ軍の場合は二進制であることが、多くの訳語を招来している原因になっている。部隊名称についても、各種文献で実に種々の邦訳が付けられている。ともあれ以下に、筆者なりの階級名についての考えを述べたい。
1)筆者は、前記論文二編の「はじめに」において、部隊・階級名の内、部隊名については次のように記した。「所属部隊名は、当時の陸軍参謀本部や俘虜情報局等の公的機関を始めとして、多くの関連文献でも実にまちまちの名称で記載されている。「海軍歩兵第3大隊」は『俘虜名簿』の〈V.Seebataillon〉に該当するものである。これにはドイツの文献にも〈Marine Infaterie〉、即ち「海軍歩兵」の語を当てているものもある。本稿では「海軍歩兵」の語を採用した。歩兵堡塁を守備する陸兵が主力で、実体に合うと考えたからである。」このように記したが、筆者は「独軍俘虜概要」の第三編に当たるものを目下作成中で、そこにおいては所属部隊名として従来の記述を改めて、海軍歩兵第3大隊は「第3海兵大隊」に、海軍膠州派遣砲兵大隊は「海軍膠州砲兵隊」に、また海軍東亜分遣隊は「海軍東アジア分遣隊」とすることを考えている。10月1日のシンポジュウムでの討議を踏まえてから、上記の変更を最終的に決めたいと考えている。しかし、それはまだ作成段階であるので、この資料においては従前のままにした。
2)また階級名については次のように記した。「将校の階級名では、『俘虜名簿』あるいはドイツ側の資料で「海軍」と規定されている場合のみ海軍将校とした。その他の将校は、海軍歩兵第3大隊等に属して、形式上は海軍将校であってもその実体が陸軍将校である場合は陸軍の階級とした。例えば、海軍歩兵第3大隊長のケッシンガー中佐は海軍歩兵中佐であるが、実態に合わせて陸軍歩兵中佐とした。」この方式は、一人筆者のみが考えたことではない。昭和10年に海軍省教育局から刊行された『青島戰史』は、元来「獨逸海軍本部編纂」になるものを訳出したものであるが、その中でも将校は海軍と陸軍に峻別されている。また「陸軍省 戰役俘虜ニ関スル書類」中の「将校同相當官(月額)支給表」では、例えば陸軍中佐(183円)と海軍中佐(199円53銭)との間に、支給月額に若干の差が付けられている。また、西郷中佐の談とする新聞報道では、「俘虜の月給はクーロ中佐の183円を筆頭として中尉47円、少尉40円…」(『東京朝日新聞』、大正3年11月26日付けの記事)との記述がある。従ってクーロ中佐は、日本側では海軍中佐ではなく、陸軍中佐と見做していたと考えられる。
3)膠州租借地は、海軍大佐を総督に置くドイツ帝国海軍の管轄下にあった。従って膠州総督府隷下のドイツ軍は、どのような兵種の部隊・将兵であれ、隷属する部隊・将兵はすべて海軍に属した。それは本国を遠くはなれた海外「領土」であったことによる。将兵は必ず海軍の艦船で租借地まで運ばれるからでもあろうか。しかしながら、一旦租借地に上陸すれば、そこは紛れもない陸地である。防備には陸戦部隊、種々の陸軍部隊が必要である。そこで、身分上は海軍に籍を置きつつも、実態は陸軍将兵が存在することになった。
4)下士卒の階級には海軍及び陸軍の呼称を省き、将校及び同相当者に限って海軍及び陸軍を付けた。これは数の多少の問題が第一の理由であるが、『俘虜名簿』では峻別されているので、それを反映させた結果であるとも言える。
5)「2等歩兵」のように、筆者が漢数字を使用せずにアラビア数字を用いたことには、いくつかの理由がある。一つには、横書き文章の場合、「一」、「二」、「三」まではさほどの違和感はないが、「六」、「七」になると(例えば第六中隊や第七中隊)多少の違和感が生じる。ましてこの数字が二桁になると、例えば野砲兵第十七連隊やキール歩兵第三十五連隊は、横書き文章には似つかわしくないように感じる。なお、これらの連隊名は筆者の論文中に登場するものである。また年号、年月日の場合も同様である。この場合はむしろ、漢数字であることの違和感は甚だしいと言えるかもしれない。筆者としてはある面では、目を瞑る思いで「2等歩兵」とアラビア数字を使用した次第である。
6)日本語訳で特に重要で、かつ問題となるのは、部隊名称と下級兵士の階級名であろう。ここでは、部隊名に関しては主要三部隊を中心にして、その他若干の部隊も取り扱うことにした。階級名称については、筆者の従来までの呼称を用いれば、歩兵、水兵、砲兵、工兵を中心にした。海軍の砲兵には、複雑な上級の階級名があるが、ここでは下の二階級程度に留めることにした。将校に関しては尉官の内の少尉を中心にして、佐官、将官は割愛し、文官については扱わなかった。
7)ドイツ語の部分は、『俘虜名簿』の記載に従い、( )内の部分は主として「獨國海軍官階表」に依り、該当階級名称が無い場合、特に「予備」、「後備」等の略号については辞書等を手がかりにした。
部隊名
1)V.Seebataillon(das Dritte Seebataillon)
(1) 第三海軍歩兵大隊(山根『寶庫の島』1914、参謀本部編纂『大正三年 日獨戰史』1916:以下『日獨戰史』と略記)
(2) 海軍歩兵大隊(東亜同文會調査編纂部『山東及膠州湾』1914)
(3) 海兵第三大隊(陸軍省『欧受大日記』1914、堀内『島攻圍陣中記』1918、海軍省教育局『島戰史』;附表第一ノ其ノ一?1935、才神『松山収容所』1969、安藤/森2002)
(4) 海軍歩兵第三大隊(島守備軍民政部『島經營ニ關スル獨國ノ諸法令』1918、『獨逸人北海道移住ニ関スル趣意書』1919、生熊:『習志野市史研究3』2003、生熊:『ドイツ兵捕虜とスポーツ』2005)
(5) 第三海兵大隊(『島戰史』1935、『ドイツ兵士の見たNARASHINO』1999、『ドイツ兵士の見たニッポン』2001、ファン・デア・ラーン:『習志野市史研究3』2003)
(6) 第V海兵隊(吉田訳/注『ドイツ俘虜の郵便』1982)
(7) 第三陸戦大隊(冨田『板東俘虜収容所』1991)
(8) 第3海兵大隊(冨田『板東俘虜収容所』、『バラッケ』1998〜2005、松尾2002-a、『小野市史』第6巻、2002)
(9) 海軍歩兵第3大隊(生熊:『ドイツ軍兵士と久留米』2003、瀬戸2001/2003)
(10) 海兵第3大隊(『ドイツ軍兵士と久留米』)
2)M.A.K.(Matrosen-Artillerie-Detachement Kiautschou)
(1) 海軍重砲兵大隊(『欧受大日記』1914)
(2) 膠州湾海軍重砲兵大隊(『山東及膠州湾』)
(3) 第五海軍砲兵大隊(山根『寶庫の島』、『日獨戰史』)
(4) 膠州派遣海軍砲兵隊(『島戰史』)
(5) 沿岸砲兵中隊(『鳴門市史』1982、冨田『板東俘虜収容所』)
(6) 沿岸砲兵隊(冨田『板東俘虜収容所』)
(7) 膠州沿岸砲兵隊(林『板東ドイツ人捕虜物語』1982、冨田『板東俘虜収容所』、中村『二つの山河』)
(8) 膠州沿岸砲兵中隊(『鳴門市史』)
(9) 海軍砲兵大隊(『島經營ニ關スル獨國ノ諸法令』、『バラッケ』、松尾2002-c)
(10) 膠州海軍砲兵大隊(『バラッケ』1998、横田『第九「始めて」物語』2002)
(11) 海軍砲兵隊(『島戰史』、『ドイツ兵士の見たニッポン』2001)
(12) 膠州海軍砲兵隊(『ドイツ兵士の見たNARASHINO』、『どこにいようと、そこがドイツだ』2000、『ドイツ兵士の見たニッポン』、生熊:『ドイツ軍兵士と久留米』)
(13) 膠州湾海軍砲兵隊(『ドイツ兵士の見たニッポン』、ファン・デア・ラーン:『習志野市史研究3』2003)
(14) 膠州砲兵大隊(松尾2003-a)
(15) 膠州湾岸砲兵隊(ファン・デア・ラーン:『習志野市史研究3』)
(16) 海軍膠州派遣砲兵大隊(瀬戸)
3)O.M.D.(Das Ostasiatische Marinedetachement)
(1) 東亜派遣海兵隊(『大阪朝日新聞』1914/11/22)
(2) 海兵分遣大隊(山根『寶庫の島』1914)
(3) 東亜海軍派遣隊(『欧受大日記』1914)
(4) 海軍東亜派遣隊(「陸軍省 戰役俘虜ニ関スル書類」中の「大正三年乃至九年 戰役俘虜取扱顛末」)
(5) 海軍東亜分遣隊(『日獨戰史』、『島戰史』1935、『どこにいようと、そこがドイツだ』、生熊:『ドイツ軍兵士と久留米』、瀬戸)
(6) 東亜派遣隊(『島戰史』;附表第一ノ其ノ一?)
(7) 東亜派遣大隊(『島戰史』;附表第一ノ其ノ一?)
(8) 東亜海軍分遣隊(冨田『板東俘虜収容所』、高橋:『「青島戦ドイツ兵俘虜収容所」研究』2003)
(9) 東アジア海軍分遣隊(『バラッケ』1998、『ドイツ兵士の見たNARASHINO』、『ドイツ兵士の見たニッポン』)
(10) ドイツ・アジア海軍分遣隊(ファン・デア・ラーン:『習志野市史研究3』)
4)Marine Komp.(Marine Kompanie)
(1)海兵中隊(『ドイツ兵士の見たNARASHINO』、『ドイツ兵士の見たニッポン』、『バラッケ』2005)
(2)海軍砲兵中隊(『バラッケ』、瀬戸)
(3)海軍中隊(生熊:『ドイツ兵捕虜とスポーツ』)
5)M.F.B.(Marine Feld-Batterie)
(1)海軍野砲兵中隊(『山東及膠州湾』)
(2)海軍野戦砲兵中隊(『島戰史』、『バラッケ』2005)
(3)海軍野戦砲兵隊(『島戰史』、瀬戸、生熊:『ドイツ兵捕虜とスポーツ』)
6)Landsturm
(1)国民軍(「陸軍省 戰役俘虜ニ関スル書類」中の「大正三年乃至九年 戰役俘虜取扱顛末」、『島戰史』、『バラッケ』、松尾2004-a、瀬戸)
階級名:下士卒の部
1)Gemeiner
(1)卒(「獨國陸軍官階表」作成年不明、瀬戸)
(2)二等卒(「獨國海軍官階表」作成年不明)
(3)二等兵(松尾2004-a)
2)Seesoldat
(1)海軍歩兵卒(「海軍」歩兵卒?:『丸亀俘虜収容所日誌』、『ドイツ軍兵士と久留米』2003等多数)
(2)海兵(『欧受大日記』、『バラッケ』2005)
(3)歩兵卒(『欧受大日記』、『丸亀俘虜収容所日誌』、『ドイツ軍兵士と久留米』)
(4)海軍二等歩兵卒(『ドイツ軍兵士と久留米』、『ドイツ兵捕虜とスポーツ』)
(5)二等海兵(『バラッケ』、『どこにいようと、そこがドイツだ』、横田『第九「始めて」物語』)
(6)2等海兵(『バラッケ』1998/2005)
(7)二等兵(松尾、2002-d/2004)
(8)水兵(吉田訳/注『ドイツ俘虜の郵便』、林『「第九」の里 ドイツ村』1992、津村1999、松尾2002-d、高橋2003、(『AONOGAHARA捕虜兵の世界』)
(9)2等兵(瀬戸:[機関銃隊,騎兵中隊、重野戦榴弾砲兵隊]等に適用)
(10)2等歩兵(瀬戸)
(11)海軍二等歩兵(生熊:『ドイツ兵捕虜とスポーツ』)
2-1)Seesoldat d.R.(der Reserve)
(1)予備海兵(『欧受大日記』)
(2)予備二等兵(松尾2004-a)
(3)予備2等歩兵(瀬戸)
2-2)Seesoldat d.Lw.(der Landwehr)
(1)後備二等兵(松尾2004-a)
(2)後備2等歩兵(瀬戸)
3)Gefreiter
(1)上等兵(『欧受大日記』、「獨國陸軍官階表」、『丸亀俘虜収容所日誌』、『鳴門市史』、林『「第九」の里 ドイツ村』、『ドイツ軍兵士と久留米』、松尾2002-d、瀬戸:[機関銃隊、騎兵中隊、野戦砲兵隊、重野戦榴弾砲兵隊、国民軍]に適用)
(2)一等卒(「獨國海軍官階表」、『丸亀俘虜収容所日誌』)
(3)陸軍上等兵(『鳴門市史』)
(4)一等海兵(『バラッケ』、『どこにいようと、そこがドイツだ』)
(5)1等海兵(『バラッケ』1998/2005)
(6)上等海軍歩兵(『ドイツ兵士の見たNARASHINO』、『ドイツ兵士の見たニッポン』)
(7)海軍上等兵(『ドイツ軍兵士と久留米』)
(8)陸軍上等兵(『ドイツ軍兵士と久留米』)
(9)上等歩兵(瀬戸)
(10)予備役一等兵(『AONOGAHARA捕虜兵の世界』)
(11)一等兵(『バラッケ』2001/2005、松尾2002-d)
(12)上等(水)兵(生熊:『ドイツ兵捕虜とスポーツ』)
3-1)Gefreiter d.R.
(1)予備上等兵(『欧受大日記』、『獨逸人北海道移住ニ関スル趣意書』1919、林『板東ドイツ人捕虜物語』)
(2)予備役上等海軍歩兵(『ドイツ兵士の見たニッポン』)
(3)予備一等兵(松尾2004-a)
(4)予備役上等兵(生熊:『ドイツ兵捕虜とスポーツ』)
(5)予備上等歩兵(瀬戸)
3-2)Gefreiter d.Lw.
(1)後備上等兵(『欧受大日記』、林『板東ドイツ人捕虜物語』、冨田『板東俘虜収容所』)
(2)後備上等歩兵(瀬戸)
(3)後備軍上等兵(生熊:『ドイツ兵捕虜とスポーツ』)
3-3)Gefreiter d.Ls.(Gefreiter des Landsturms)
(1)後備上等歩兵(瀬戸)
4)Matrose
(1)水兵(『鳴門市史』、『ドイツ兵士の見たNARASHINO』、『ドイツ兵士の見たニッポン』)
(2)二等水兵(「獨國海軍官階表」、『バラッケ』、『ドイツ兵士の見たNARASHINO』、『ドイツ兵士の見たニッポン』)
(3)海軍水兵(『ドイツ軍兵士と久留米』)
(4)海軍2等水兵(『ドイツ軍兵士と久留米』)
(5)2等水兵(瀬戸)
4-1)Matrose d.Sw.(Matrose der Seewehr)
(1)後備2等水兵(瀬戸)
5)Obermatrose
(1)一等水兵(「獨國海軍官階表」)
(2)上等水兵(『ドイツ兵士の見たニッポン』)
(3)上級水兵(津村)
(4)1等水兵(瀬戸)
5-1) Obermatrose d.R.
(1)予備上等水兵(『鳴門市史』、)
(2)予備1等水兵(瀬戸)
6)Matr.Artl.(Matrosenartillerist)
(1)二等砲兵(『欧受大日記』)
(2)砲兵卒(『欧受大日記』)
(3)砲兵(『鳴門市史』、)
(4)海軍砲兵卒(林『「第九」の里 ドイツ村』)
(5)二等海砲兵(『バラッケ』)
(6)2等海砲兵(『バラッケ』2005)
(7)二等海軍砲兵(『ドイツ兵士の見たNARASHINO』、『ドイツ兵士の見たニッポン』)
(8)海軍二等砲兵(『ドイツ兵士の見たニッポン』)
(9)2等砲兵(瀬戸)
7)Obermatr.Artl.(Obermatrosenartillerist)
(1)一等砲兵(『欧受大日記』)
(2)海軍一等砲兵卒(『獨逸人北海道移住ニ関スル趣意書』)
(3)砲兵上等兵(林『「第九」の里 ドイツ村』)
(4)一等海砲兵(『バラッケ』)
(5)1等海砲兵(『バラッケ』1998/2005)
(6)一等海軍砲兵(『ドイツ兵士の見たNARASHINO』、『ドイツ兵士の見たニッポン』)
(7)海軍砲兵上等兵(『AONOGAHARA捕虜兵の世界』2004)
(8)1等砲兵(瀬戸)
8)Obermatr.Artl. d.R
(1)予備役砲兵上等兵(林『「第九」の里 ドイツ村』)
(2)予備海砲一等兵(『バラッケ』1998)
(3)予備1等砲兵(瀬戸)
9)Pionier
(1)2等工兵(瀬戸)
10)Gefr.-Pionier(Gefreiter-Pionier)
(1)1等工兵(『バラッケ』1998/2005)
(2)一等工兵(『バラッケ』2001)
(3)上等工兵(瀬戸)
11)Heizer
(1)火夫(『欧受大日記』1914、『ドイツ軍兵士と久留米』)
(2))焚火兵(『欧受大日記』、生熊:『ドイツ兵捕虜とスポーツ』)
(3)二等焚火兵(『欧受大日記』、「獨國海軍官階表」、『ドイツ兵士の見たニッポン』)
(4)海軍二等焚夫(『ドイツ兵士の見たニッポン』)
(5)2等焚火兵(瀬戸)
12)Heizer d.Sw.
(1)後備2等焚火兵(瀬戸)
13)Oberheizer
(1)1等焚火兵(瀬戸)
(2)上等焚火兵(生熊:『ドイツ兵捕虜とスポーツ』)
14)Bäckergast
(1)二等麺麭工(「獨國海軍官階表」)
(2)2等麺麭工(瀬戸)
15)Oberbäckergast
(1)一等麺麭焼工(『丸亀俘虜収容所日誌』)
(2)一等麺麭焼夫(「獨國海軍官階表」)
(3)1等麺麭工(瀬戸)
16)Bäckermeister
(1)麺麭手(「獨國海軍官階表」)
17)Kanonier
(1)2等砲手(瀬戸:[海軍砲兵中隊、重野戦榴弾砲兵隊]に適用)
18)Artillerist
(1)2等砲兵(瀬戸:[海軍野戦砲兵隊]に適用)
19)Unteroffzier d.R.
(1)予備伍長(『獨逸人北海道移住ニ関スル趣意書』、その他多数)
20)Landsturmmann(?)
(1)国民兵(『ドイツ兵士の見たニッポン』)
階級名:将校の部(但し、「尉官」の例のみを掲げ、佐官、将官は省略する)
少尉の部
1)Leutnant
(1)少尉(「獨國陸軍官階表」、『青島戰史』、『バラッケ』等多数)
(2)歩兵少尉、野戦砲兵少尉(「獨國海軍官階表」)
(3)築城少尉(『バラッケ』:ドイッチュマン(Deutschmann)少尉に関して適用)
(4)陸軍少尉(『欧受大日記』、瀬戸)
(5)陸軍歩兵少尉(瀬戸)
(6)陸軍工兵少尉(瀬戸)
1-1)Leutnant d.R.
(1)少尉(『ドイツ俘虜の郵便』)
(2)予備少尉(『島攻圍陣中記』、『島戰史』、『鳴門市史』、『バラッケ』、中村『二つの山河』、松尾2004-b等多数)
(3)予備役少尉(『鳴門市史』、『ドイツ兵士の見たNARASHINO』、生熊:『ドイツ兵捕虜とスポーツ』)
(4)予備陸軍少尉(『島戰史』、『ドイツ軍兵士と久留米』、瀬戸)
1-2)Leutnant d.Lw.
(1)後備少尉(『島戰史』)
(2)後備陸軍少尉(瀬戸)
1-3)Feuerw.-Leutnant(Feuerwerks-Leutnant)
(1)陸軍火工少尉(瀬戸)
1-4)Feuerw.-Leutnant d.R.
(1)予備火工少尉(『島戰史』)
(2)予備陸軍火工少尉(瀬戸)
1-5)Festungsbau-Leutnant
(1)陸軍築城少尉(瀬戸)
1-6)Leutnant a.D.(Leutnant außer Dienst)
(1)退役陸軍少尉(『ドイツ軍兵士と久留米』、瀬戸)
1-7)Leutnant z.S.(Leutnant zur See)
(1)少尉(『青島戰史』等多数)
(2)海軍少尉(「獨國海軍官階表」、『バラッケ』、『ドイツ兵士の見たNARASHINO』等多数)
1-8)Torp.-Leutnant(Torpeder-Leutnant)
(1)海軍掌水雷少尉(「獨國海軍官階表」、瀬戸)
中尉の部
2)Oberleutnant
(1)中尉(「獨國陸軍官階表」、『島戰史、『ドイツ兵士の見たニッポン』等多数)
(2)歩兵中尉、工兵中尉(「獨國海軍官階表」)
(3)陸軍中尉(『欧受大日記』、『島戰史』、吉田訳/注『ドイツ俘虜の郵便』、『ドイツ軍兵士と久留米』、瀬戸)
(4)陸軍歩兵中尉(瀬戸)
(5)「後備中尉」(『島戰史』)
2-1)Oberleutnant d.R.
(1)予備中尉(『島戰史』等多数)
(2)予備役中尉(ファン・デア・ラーン:『習志野市史研究3』)
(3)予備陸軍中尉(『ドイツ軍兵士と久留米』、瀬戸)
2-2)Oberleutnant d.Lw.
(1)後備中尉(『島戰史』)
(2)後備陸軍中尉(瀬戸)
2-3)Oberleutnant a.D.
(1)退役陸軍中尉(瀬戸)
2-4)Hilfsoberleutnant
(1)中尉補(『島戰史』、瀬戸)
2-5)Oberleutnant z.S.
(1)中尉(『島戰史』等多数)
(2)海軍中尉(「獨國海軍官階表」、『島戰史』、『バラッケ』、瀬戸)
大尉の部
3)Hauptmann([Hauptleute?:獨國海軍官階表])
(1)大尉(「獨國陸軍官階表」、『青島戰史』等多数)
(2)歩兵大尉、野戦砲兵大尉(「獨國海軍官階表」)
(3)陸軍大尉(『島戰史』、瀬戸)
(4)陸軍工兵大尉(瀬戸;ゾーダン(Sodan)大尉のケースに使用;「獨國海軍官階表」では空欄)
3-1)Festungsbau-Hauptmann
(1)陸軍築城大尉(瀬戸)
3-2)Hauptmann d.R.
(1)予備大尉(『島戰史』)
(2)予備陸軍大尉(瀬戸)
3-3)Hauptmann a.D
(1)退役大尉(『島戰史』)
(2)退役陸軍大尉(瀬戸)
(3)退役後備大尉(『島戰史』)
3-4)Kapitänleutnant
(1)大尉(『島戰史』等多数)
(2)海軍大尉(「獨國海軍官階表」、『島戰史』、『バラッケ』、『ドイツ軍兵士と久留米』等多数)
以上、ごく一部の部隊・階級の日本語訳を、40編ほどの書籍・論文から抽出する形で紹介した。抽出するに当たって参照した文献を以下に掲げる。
参照文献紹介(古い文献については所蔵先を示した)
1) 山根楽庵『寳庫の青島』、玉樹香文堂出版部、大正3年12月1日。(高知大学附属
図書館所蔵)
2) 『山東及膠州灣』、東亜同文會調査編纂部大正3年12月23日。(高知大学附属図書
館所蔵)
3) 『大正三年 日獨戰史』、上下二巻、付図及び写真帳、参謀本部編纂、偕行社、大正
5年12月20日。(高知大学附属図書館所蔵)
4) 『自大正三年十一月 至大正六年四月 丸亀俘虜収容所日誌』(防衛研究所図書館所蔵)
5) 『獨逸及墺洪国 俘虜名簿』、日本帝国俘虜情報局、大正6年6月改訂(防衛研究所図書館/外務省外交資料館所蔵)。
6) 『大正三年乃至九年戦役俘虜ニ関スル書類』(防衛研究所図書館所蔵)
7) 『陸軍省 歐受大日記』(防衛研究所図書館所蔵)
8) 『自大正三年至大正九年戦時書類』(防衛研究所図書館所蔵)
9) 「獨國陸軍官階表」、「獨國海軍官階表」(防衛研究所図書館所蔵)
10) 『日独戦争ノ際俘虜情報局設置並独國俘虜関係雑纂』21冊(外務省外交資料館所蔵)
11)
堀内文次郎『青島攻囲陣中記』、目白書院、大正7年4月23日。(大阪府立図書館所蔵)
12) 『島經營ニ關スル獨國ノ諸法令』、青島守備軍民政部編、第3版。大正7年10月30日。(国立国会図書館所蔵)
13) 「獨逸人北海道移住ニ関スル趣意書」、名古屋俘虜収容所、大正8年。(北海道大学附属図書館所蔵)
14) 『青島戰史』―獨逸海軍本部編纂1914年乃至1918年海戰史、海軍省教育局、東京・双文社印刷、昭和10年12月25日。(防衛研究所図書館所蔵)
15) 才神時雄『松山収容所』、中公新書、中央公論社、昭和44年。
16) 『鳴門市史』中巻、鳴門市史編纂委員会、昭和57年3月31日。
17) C.バーディック/U.メスナー/林啓介『板東ドイツ人捕虜物語』、海鳴社、1982年(昭和56年)4月30日。
18) 吉田景保訳注『ドイツ俘虜の郵便』―日本にあった収容所の生活、日本風景社、昭和57年5月20日。
19) 冨田弘『板東俘虜収容所』―日独戦争と在日ドイツ俘虜、法政大学出版局、1991年12月18日。
20) 林啓介『「第九」の里ドイツ村』―『板東俘虜収容所』改訂版、井上書房、平成5年12月。
21) 中村彰彦『二つの山河』:『別冊 文藝春秋』207号所載、平成6年4月1日。
22) 『ディ・バラッケ』第1巻、「板東俘虜収容所新聞」、鳴門ドイツ館資料研究会訳、平成10年3月31日。
23) 『特別史料展 ドイツ兵の見たNARASHINO 1915-1920習志野俘虜収容所』、習志野市教育委員会生涯学習部社会教育課、平成11年12月25日。
24) 『どこにいようと、そこがドイツだ』、鳴門市ドイツ館、平成12年3月。
25) 津村正樹「久留米俘虜収容所における演劇活動(1)」(=津村1996)、所載:『九州大学言語文化研究院 言語文化論究』No.12. 平成12年8月。
26) 『ディ・バラッケ』第2巻、「板東俘虜収容所新聞」、鳴門市ドイツ館資料研究会訳、平成13年3月31日。
27) 『ドイツ兵士の見たニッポン 習志野俘虜収容所1915-1920』、習志野市教育委員会編、丸善ブックス、平成13年12月20日。
28) 瀬戸武彦「青島(チンタオ)をめぐるドイツと日本(4)−独軍俘虜概要」(=瀬戸2001)、所載:『高知大学学術研究報告』第50巻、人文科学編、2001年12月25日。
29) 横田庄一郎『第九「初めて」物語』、朔北社、2002年。
30) 松尾展成「日独戦争、青島捕虜と板東俘虜収容所」(=2002-a)、所載:『岡山大学経済学会雑誌』第34巻第2号、2002年9月。
31) 松尾展成「ザクセン王国出身の青島捕虜」(=2002-b)、所載:『岡山大学経済学会雑誌』第34巻第2号、2002年9月。
32) 安藤秀國/森孝明「『陣営の火』―第一次世界大戦時における松山のドイツ人俘虜収容所新聞―」(=安藤/森)、所載:『愛媛大学法文学部論集 人文学科編』第13号、2002(平成14)年9月。
33) 松尾展成「日本語文献から見た「ドイツ牧舎」(徳島板東)指導者クラウスニッツァー」(=松尾2002-d)、所載:『岡山大学経済学会雑誌』第34巻第3号、2002年12月。
34) 『習志野市史研究』3、習志野市教育委員会編、2003年3月1日。
35) 『ドイツ軍兵士と久留米』―久留米俘虜収容所 U―;久留米市文化財調査報告書第195集、久留米市教育委員会、平成15年3月31日。
36) 高橋輝和「サムナー・ウェルズによるドイツ兵収容所調査報告書」(=高橋2003)、所載:『「青島戦ドイツ兵俘虜収容所」研究』創刊号、「青島戦ドイツ兵俘虜収容所」研究会、2003年10月25日。
37) 松尾展成「久留米「収容所楽団」指揮者オットー・レーマン」(=松尾2003-a)、所載:『岡山大学経済学会雑誌』第35巻第3号、2003年12月。
38) 瀬戸武彦「青島(チンタオ)をめぐるドイツと日本(5)−独軍俘虜概要(2)」(=瀬戸2003)、所載:『高知大学学術研究報告』第50巻、人文科学編、2003年12月25日。
39) 『AONOGAHARA捕虜の世界』:『小野市史 第三巻 本編V』別冊、小野市史編纂専門委員会、2004年3月1日。
40) 松尾展成「4人の板東収容青島捕虜」(=松尾2004)、所載:『岡山大学経済学会雑誌』第36巻第1号、2004年6月。
41) 『ディ・バラッケ』第3 巻、「板東俘虜収容所新聞」、鳴門市ドイツ館資料研究会訳、平成17年3月31日。