静岡収容所
大正3年12月、83名を収容して開設。将校と兵30名は日赤2階に、残りの者は女学校中庭に収容。大正6年6月には、全員も日赤に収容した。大正7年8月、習志野へ統合。大正6年3月には、俘虜アルツール・グナーを静岡県工業試験場に招き、指物・玩具の製作を指導させたとの、同年7月には静岡物産陳列館で俘虜製作品展覧会が企画されているとの新聞記事がある。ブロベッカーは札の辻町八木麺店へ、フェッシャーは紺屋町菓子製造業杉山力蔵方へ、それぞれ指導に出ているとも述べられている。また、大正7年1月24日には、久能山東照宮への遠足が行なわれている。
所長:少佐 蓮 実 鉄太郎 大正3.12. 3〜大正5. 8.18
大佐 嘉 悦 敏 大正5. 8.18〜大正7. 7.24
? 大正7. 7.24〜大正7. 8.25