三木成夫といのちの世界

 

吉増 克實

 

(二)すがたかたちの解剖学

 

(2)原形とメタモルフォーゼ

 

変化するかたち

 

いのちのかたちは、絶え間なく変わり続けるかたちです。そして変わり続けるいのちのかたちの変化のしかたを研究するのがすがたかたちの解剖学の仕事です。しかし実は変化の研究には難しい問題が潜んでいるのです。それはふつう科学の研究は変化しないものを見つけようとするものだからです。つまり移り変わる現象のおおもとに何か変わらないものがあると考え、それを真理として取り出すことを目指しているのです。そこでは変わらないものに価値があるとされ変わるものには価値がおかれません。でも、すがたかたちの解剖学が知りたいのはまさにこの変わるもののすがたなのです。

研究も人間の広い意味の心のはたらきの現われなのですが、心のはたらきには「あたま」のはたらきと「こころ」のはたらきとが区別されます。変わらないものを見いだそうとするのは「あたま」です。それに対して変化を見いだすのは「こころ」なのです。しかけしくみの解剖学ではあたまが主役になるのに対して、すがたかたちの解剖学ではこころが主役になります。こころが主役となる思考を指示的思考と言い、指示的思考による学問を現実学と言います。すがたかたちの解剖学は現実学の一分野なのです。(註1)

変化するいのちのかたちを研究しようとしたのがゲーテでした。ゲーテは「現象の背後を探ってはならない。現象そのものが教えなのだから」と言っています。そして変わり続ける現象それ自体を研究しようとして、「原形とメタモルフォーゼ(変形)」という見方を提起したのでした。わたしたちの慣れ親しんだ見方では、植物は茎や葉や花や根などの部品から組み立てられたもののようにみています。しかし、ゲーテには、イタリアを旅行し様々な南国の植物をみるうち、植物のすがたが、原形となる原植物が成長とともにリズム的に脈打ちながら、葉から萼へ、萼から花びらへ、そして花びらからおしべ、そしてめしべへと連続的に変身していくすがたに見えてきたのです。いや、見方と言うより現実にそのようなものであることを見いだしたと言った方が正確かもしれません。わたしたちでも、八重のサザンカなどで、花びらがおしべに変わっていく様子を見ることができます。

 

類型解剖学

 

このようなゲーテの見方を解剖学の世界で展開したひとが西成甫でした。西は、三木が比較発生学と血管注入の方法を教わった浦良治の先生です。西はドイツに留学しヒトの筋肉系、特に胴体の筋肉の発達を比較解剖学的に研究しました。それは魚類、両生類、は虫類、鳥類などの脊椎動物を比較しながら、原形となる筋肉系のあり方をシェーマ(図式)として示すものでした。西はそれを自分で類型解剖学と名づけました。その成果はドイツの古典となった比較解剖学全書の中の論文として残されています。三木は西の東龍太郎教授への献辞のあるその論文の別冊を古本屋で見つけ大切にしていました。(東教授は東大の薬理学の教授でしたが、その後、東京オリンピックの時の東京都知事になりました)。

また西が書いた解剖学の教科書は、欄外にたくさんの比較解剖学的な説明を註として載せているものでした。三木はわたしたちの解剖学の授業でこの教科書を取り上げ、この本では註に大切なことが書いてあると言って、ヒトのからだの成り立ちを理解するためには比較解剖学的な知識が不可欠であることを強調していました。比較解剖学の知識をもっと前面に押し出した解剖学書を書く、それが三木の解剖学者としての目標でもあったのです。「解剖学ノート」(生命形態学序説所収、うぶすな書院)「ヒトのからだ 生物史的考察」(うぶすな書院)、また未完の「生命の形態学」(生命形態の自然史所収、うぶすな書院)はもともとはこのような意図のもとに計画されたものでした。

西に長年私淑していた三木は、直弟子になる島崎三郎につれられて晩年の西を鎌倉に訪ねています。おみやげに西のドイツでの恩師フュールブリンガー教授の手紙をもらって、比較解剖学の伝統を受け継ぐ正式の免許をもらったと喜んでいたようです。イエナハイデルベルクの比較解剖学の伝統が、ここお茶の水に生き残っているとはお釈迦様でも気がつくめえと授業で言っていたのです。三木の決して多いとはいえない解剖学の専門的論文の大部分は比較解剖学からみたヒトのからだの成り立ちを研究したものです。それは西の比較解剖学の研究をふまえたうえで西の弟子である浦の成り立ちの観点を含むものでもありました。それは複雑な変化を遂げたヒトのからだの構造について、まずはその部分的な構造の原形を探す研究だったのです。

 

原形とおもかげ

 

昭和四十七年、三木は千谷七郎の還暦記念論文集「うぶすな」に「『原形』に関する試論、人体解剖学の根底をなすもの」と題した論文を書いています。そして、原形とは何か、原形体得のもとになる生命記憶とは何か、そして生命形態の変化としての宗族発生の研究とどう関係するのかという問題に正面から取り組みました。そこでは原形は「おもかげ」や「らしさ」という言葉で表現されています。たとえば「犬」の原形とは「犬らしさ」、「犬らしい性格」のことです。

それはこころのはたらきによって直接体験される「意味」なのです。それは類似のものすべてに認められるが、それそのものとしてはどこにもないものです。また具体的に描き出された原形とは、いわばその「らしさ」の象徴的表現なのです。象徴的表現はそれを通じて原形を体得させてくれるのです。三木は「らしさ」を感じるこころのはたらきには何十億年もの生命記憶の回想が重ね合わされていると言います。かつてのかしこがいまここに同時に居合わせてそのらしさを感じさせてくれるのだと言うのです。ヒトのからだの原形をもとめて宗族発生におけるメタモルフォーゼを研究することが課題になります。

 

ヒトのからだの原形

 

 すがたかたちの解剖学という観点からヒトのからだを見直そうとする三木の試みは、基本的にはすでに昭和四十一年の「解剖学ノート」(メジカルフレンド社)、昭和四十三年の「ヒトのからだ 生物史的考察」(学習研究社)などとして出版されました。昭和四十四年から準備された「解剖学総論」の草稿は、さらに発展したかたちで昭和五十二年から「生命の形態学」として「綜合看護」に連載され発表されていきました。

発生の初期、受精卵は分割を繰り返しながらイソギンチャクのような二重の袋になります。外側の袋が体壁を形成し、内側の袋が原始の腸管になります。そして袋の底が抜けて腸管が開通するのですが、新しくあいた穴が口になるのが脊椎動物(後口動物)、もとの穴が口になるのが無脊椎動物です(先口動物)。体壁がくびれて神経の管ができますが、無脊椎動物ではおなかの方に、脊椎動物では背中の方にできます。そして脊椎動物では神経と腸管の間に背骨が形成されます。

三木が見る動物のからだは、腸管という内臓の管を体壁という大きな管が包んでいる二重の土管でした。そして首から上の顔に当たる部分には体壁がなくて腸管(と神経管)が露出しているのです。つまりわたしたちが顔と見ているのは腸が脱腸したすがただというのでした。そして、動物の個体体制の原形を図(図:動物の個体体制)のように土管の輪切りとして示しました。すがたかたちの解剖学の基盤となる図で、三木家の家紋にしたいと言っていました。

 

内臓と体壁、植物性と動物性

 

(参考図表1)

http://www.geocities.jp/seto_no_shorai/yoshimasu_1_fig1.gif

 

さて土管の輪切りには脊椎動物のからだを構成する基本的な臓器がすべて配置されています。三木はからだを構成する様々な臓器を植物性器官と動物性器官とに分けました。前者は栄養と生殖という植物と動物とに共通のはたらきをする器官のグループ、後者は感覚と運動という動物にしかないはたらきをする器官のグループです。この場合、生命のはたらきの中心はあくまで植物性器官の方にあります。動物性過程はそれを補助するだけです。植物性器官が内臓を、動物性器官が体壁を形成しているのです。

アリストテレスは「受け入れて出すのが生物である」と言いました。動物性と植物性のふたつの器官系は、それぞれは受容し伝達し排出するというみっつの段階が区別されます。植物性器官ではこれらが、消化呼吸系、循環系、泌尿生殖系の器官として内から外へと並び、動物性器官では感覚系、神経系、筋肉系が外から中へと並びます。そして植物性器官と動物性器官を代表するのがそれぞれの中心にある臓器、循環系の心臓と神経系の脳です。心臓と脳とはそれぞれ、「こころ」のはたらきと「あたま」のはたらきを象徴する臓器です。

三木はミケランジェロの「夜と昼」という作品は動物性器官と植物性器官の本質がよく表されていると見ていました。動物性器官が眠り植物性器官のはたらきが優勢になる夜を表す女性のすがたでは、動物性器官の目は閉じられ乳房とかすかに開かれた太腿の奥の生殖器など植物性過程を強調されています。そして動物性器官のはたらきが優勢になる昼を表す男性の姿では植物性器官の入り口である口は肩で覆われ太腿は組み合わされ、大きく開かれた目と筋肉の盛り上がった背中など動物性過程が強調されています。一般に男性性は動物性器官の優勢化として、女性性は植物性器官の優勢化として表現されます。意志的な目と筋肉という感覚と運動との動物性器官を強調したミケランジェロのダビデの像に兵士の姿としての男性性の典型を見ることができるでしょうし、豊かな乳房と子どもをはらんだおなかという食と性との植物性過程を強調した先史時代のオーリニャック文化の母性像に女性性の典型を見ることができるでしょう。

 

分節性と分極性

 

この個体体制を形成する二つの原理が分節性と分極性です。分節的な原形としての構造が分極しつつメタモルフォーゼしていくのです。動物のからだの土管は本来分節構造を持っています。つまり、同じ基本構造をした体節が竹の節のようにつながっているのです。それは多細胞生物の始まりが、簡単な構造をした生物がつながりあったできる珊瑚のような群体であったことを表していると三木は述べています。この分節性は原始的な構造を持った生物ほどはっきりしています。イモムシやミミズを思い出してみてください。ヒトのからだも基本的にはミミズと同じだというのです。受精卵の発生初期にはそのような体節がはっきり認められます。

ヒトのからだにもその体節構造がいまも様々な形で残されています。一番はっきりしているのは、胴体の胸の部分でしょう。背骨の節のひとつひとつに応じて神経や血管が平行して走っています。この基本的構造は、同じはたらきをする細胞が集まって臓器を形成したり、胴体から手足が生えたりすることで変形され見えにくくなっていきます。特に頭や顔や首の部分は変化が複雑です。あごのないヤツメウナギでは分節的にえらの穴が配列されていますが、魚類になってえらの骨からあごの骨ができたり、上陸してえらが失われえらの骨や筋肉がほかのはたらきに使われるようになると、分節構造は見えにくくなります。頭の骨の上半分は四つの背骨が融合してできていると言われていますが、それはすぐには見極められません。しかし脳の中でのえらの神経の並びかたは昔もいまも変わりがありません。原形のおもかげをとどめている場所を手がかりにして変化の跡をたどることで、本来の分節性を原形として見いだすことができるようになるのです。逆に原形として示された分節の基本構造が、頭部、頸部、胸部、腹部などの部位で、それぞれどのように変形しているかを見ることもすがたかたちの解剖学の仕事です。

 脊椎動物のからだにはさまざまな分極過程が認められます。植物性器官と動物性器官、内臓と体壁とは双極の関係にあります。栄養と生殖、つまり食と性との関係もそうです。感覚と運動との関係も双極関係で、どちらか一方だけでは成り立たないのです。臓器の配置にも分極性が認められます。植物性器官はおなかの側に、動物性器官は背中の側に、背腹に分極しています。植物性の内臓を動物性の体壁の鎧で包んで守っているように配置されているのです。

動物性器官の中では感覚器官と運動器官の頭尾の分極が認められます。感覚器は頭部に向かって集まっていきます。先端をなす目と鼻では脳の神経組織が直接外界に接しています。それに対して最大の運動器官は、筋肉(と骨)だけからなるしっぽです。植物性器官では口と肛門の間で吸収と排出の分極が起こります。消化の場所がもともとの腸から胃へ、そして口へ、そして料理など頭と手による消化へと頭進します。それ対して生殖器官はしっぽの方向へと進み、ほ乳類の雄ではついに体外にぶらさがります。おなかの側の筋肉も舌とペニスの筋肉とが動物性の筋肉が植物性過程に関わるという共通性を保ちながら食と性の間で分極しています。動物性の筋肉である舌は本来捕食のための器官であり、のどから出た手であると三木は述べています。

こころのからだとあたまのからだ

動物性器官と植物性器官との区別は実はもう少し複雑です。というのも腸や血管、心臓生殖器などの植物性の器官にも元来動物性である筋肉や神経が関係しているからです。それは元来の動物性の筋肉や神経と区別され植物性の筋肉と神経と呼ばれます。三木はこれを植物性へ動物性過程が介入し支配していくすがたと見ました。そして生命史を人間の歴史でのこころをあたまが凌駕していく過程とつながるものと考えていたのです。

そもそも子どもの時には動物として過ごし親になると植物のように一カ所に定着し子供を産むホヤのような生物が、一生動物のままに過ごすようになったのが動物のはじまりだといわれています。その場に「植わった」まま大地や大気や交流し栄養生殖を営むことのできる植物の完全性を失って、えさと異性とを求めて「動き回る」よりなくなった動物の姿に、エデンの園から追放されたアダムとイブの、あるいは帰る場所を失ったピーターパンの悲しみが見えます。それはさらにゲーテに言わせれば理性(あたま)ばかりを使って、どの動物より動物くさくなった人間の苦しみのみなもとでもあったからです。

しかし、実際には植物性の筋肉と神経とは「あたま」の言う通りにはなりません。それは自律神経と呼ばれむしろ「こころ」のはたらきと密接なつながりをもっています。動物性の筋肉と神経とが「あたまのからだ」だとすれば、同じ筋肉と神経でもそれは「こころのからだ」に属するのです。植物性の神経と筋肉のおかげで「無意識に」周囲の様々な出来事に内臓が動き、こころがときめくのです。からだが目覚めて初めてこころが目覚めることができるのです。動物性器官までが植物性のはたらきをすることによってからだが目覚め、こころの目覚めが準備されたのではないでしょうか。

 

「解剖学総論」から「生命の形態学」へのタイトルの変更は重要です。それは三木の中での思想的発展を示しているように思われるからです。解剖学総論の総論は「解剖学とは何か」と題され、ゲーテの形態学に則った解剖学の方法が大きなテーマになっていました。生命の形態学の総論では「生の原形」、「植物と動物」など、むしろより一般的ないのちのすがたが大きく取り上げられているのです。それはやがて「胎児の世界」で「いのちの波」として取り上げられるはずの問題です。解剖学を完成しようとしたときには、すでに解剖学を乗り越えて新たな飛躍が始まっていたのです。

 

(前回、イギリスのニーダムの研究についてふれるのを忘れていました。脾臓の研究に取り組んでいたある日、三木はニーダムがニワトリの胎児の尿の成分である窒素化合物を測定し、それが四日目を境にアンモニアから尿素へ急激に変化する様子をすでに一九三0年に報告していたことを知らされます。アンモニアは魚の、尿素は両生類の尿に含まれる物質です。ニワトリの胎児は発生の四日目を境に魚から両生類に変化していたのです。ニーダムの名前は深く三木の胸に刻まれました。三木が亡くなる前の年、昭和六十一年の十二月、老荘思想に傾倒するようになった晩年のニーダムとの対談が実現されたのでした。)

    (東京女子医科大学第二病院)

 

註1。「三木形態学と現実学」。「ヒトのからだ」(うぶすな書院)解説参照。