「チンタオ・ドイツ兵俘虜研究会」 メール会報 0805号
(seit dem 9. April 2003)
Forschungsgruppe "Deutsche Kriegsgefangene aus Tsingtau in japanischen Internierungslagern"
(The Tsingtao War German Soldiers' Internment Camps Research Society)
『目次』 (受信順、敬称略)
● 1. 研究誌論考をアップロード
einen Teil der Forschungsberichte Nr. 18, Nr. 19, Nr. 20 kann man jetzt on Line lesen
[2025/06/13 Ido K. 井戸慶治 (徳島)]
● 2. Otto Röhrekeの子孫が板東と丸亀を訪問
die Nachkommen von Otto Röhreke werden im Juli Naruto unf Marugame besuchen
[2025/06/13 Red. 編集者 (香川)]
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● 1.*** 研究誌論考をアップロード ***
編集者注:
井戸先生から、研究誌18号、19号、20号の目次および論考が送られてきま
したので、アップロードしておきました。
なお、論考のすべてがアップロードされている訳ではありません。
また、最新号(20号)の場合は、目次のみをアップロードしております。
● 2.*** Otto Röhrekeの子孫が板東と丸亀を訪問 ***
丸亀と板東で捕虜として過ごしたOtto Röhrekeの子孫の方々が7月に四国(
板東収容所と丸亀収容所)を訪問されます。
Ottoの長男 Hans-Georg氏は、1969年に所用で日本を訪問した際に板東収容所
も訪れており、当時のことが徳島新聞で報じられております(写真:ドイツ館
提供)。
なお、Hans-Georg氏が板東訪問後に書いた報告をシュミットさんのサイトで
読むことができます(ドイツ語)。
Bando 1969 をクリック。
瀬戸先生の俘虜名簿より
91) Röhreke(レーレケ),Otto(1878-1965):第3海兵大隊第7中隊・後備
上等歩兵。[ディーデリヒセン徐州支店]。【上記エルンスト・レーレケ(Ernst
Röhreke)とは出身地が同じであることから、身内と思われる】。丸亀俘虜収容
所時代の所内の様子をまとめて編集したアルバムに、更に板東俘虜収容所や青
島時代の写真を加えた写真帳が、鳴門市ドイツ館に寄贈された【中野正司「画
像資料から見た板東俘虜収容所の施設と生活」93頁、所載:『地域社会におけ
る外来文化の受容とその展開』】。1960年頃、「チンタオ戦友会」に出席した。1969
年4月9日、レーレケの息子H.G.レーレケ氏がかつての板東俘虜収容所跡を訪
問した。氏の「訪問記」が、シュミット氏のホームページに掲載されている。
オシャースレーベン(Oschersleben)出身。(2047:丸亀→板東)
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編集者メールアドレス: kiyuyoki.kasako(@)gmail.com
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