六 広がる三木成夫の世界
 
 
 (1) 追悼の行事
 
 三木成夫の名は、その生前よりも、その死後において、広く知られるようになっている。それは、三木の突然の死を惜しんで、多くの人が三木について語り、さまざまな行事が企画され、遺稿集が出版されたからである。
 通夜は8月15日、告別式は16日に、東大赤門前の喜福寺でおこなわれ、三木を偲ぶ数百名の人びとが参列した。9月27日には、四十九日法要が喜福寺でおこなわれ、その後に三木成夫を偲ぶ会が学士会分館で行われた。
 翌年の7月6日には『三木成夫先生業績目録』(東京医科歯科大学医学部解剖学教室・東京藝術大学美術解剖学教室編)が発行されている。
 1989年7月28日には、平光試i・養老孟司・和氣健二郎の三氏が世話人となって、医学・生物学関係者を中心に百名以上の人が参加して「三木成夫追悼シンポジウム―発生と進化―」が東京大学総合資料館ホールで開催された。
 8月5日には、三回忌が喜福寺でおこなわれ、その後で偲ぶ会も行われた。8月13日には、『三木成夫追悼文集』(追悼文集編集委員会編)が発行され、医学・生物学・芸術関係者、友人、親族など、102名もの人びとが三木の思い出をよせている。
 この年、10月17〜28日には、東京藝術大学会館展示室で美術部の卒業生が作品をだしあって三木成夫追悼展を開催した。また、三木の誕生日である12月24日には、音楽学部の卒業生が出演して三木成夫追悼音楽会が、彼が若き日にあこがれた旧東京音楽学校奏楽堂で開催された。これらのことは、三木がいかに藝大の学生たちにしたわれていたかを物語っている。
 
 
 (2) 『生命形態学の自然誌 全三巻』
 
 1989年11月3日には、待ちに待った三木の遺稿集『生命形態の自然誌・第一巻・解剖学論集』(うぶすな書院)が出版された。
 本書は、三木のすべての著作と未発表の原稿・シェーマ、藝大での講義録を集大成しようというものである。『第一巻』は、解剖学関係の文を集めたもので、「生命の形態学」、15篇の論文、解剖学総論草稿がおさめられている。また、巻末に三木の残した標本・観察記録図などがカラー写真で付けられている。「綜合看護」誌に掲載された時の「生命の形態学」の写真は不鮮明なものが多かったが、ここでは見違えるように美しく印刷されており、もし三木が生きていてこれを見たらどんなに喜ぶことか……。
 この本の出版によって、三木の業績は解剖学界にも広く知れわたるようになる。なによりも、「綜合看護」というあまり知られてない雑誌に掲載された「生命の形態学」が、よそおいも新たに判を大きくしてまとめられて再版され、広く知られるようになったことが嬉しい。
 なお、今後引き続いて、『第二巻 保健論、母性・保育論集』、『第三巻 形態論、生命論集』も出版される予定である。
 
 
 (3) 三木成夫記念シンポジウム
 
 1990年7月から9月には、池袋の西武百貨店コミュニティ・カレッジにおいて、三木の思想と学問を語る目的で、講座『生命記憶の形態学』が開催され、養老孟司・高橋義人の両氏と私の三名が話をした。11月25日には、墓碑開眼供養と納骨式が浅草の円通寺で行われている。
 1991年7月26日には、第二回三木成夫記念シンポジウムが開催され、1993年7月16日には、第三回シンポが行われた。参加者は回を追って増加し、内容も医学・生物学を中心に哲学・芸術など、三木の学問・思想の広さを反映して、多岐にわたるようになってきている(内容については本誌第15号の103三頁参照)。今後も、隔年で記念シンポジウムが続けられる予定である。
 
 
 (4) 『海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想』
 
 1992年8月31日には『海・呼吸・古代形象』(うぶすな書院)が発行された。これは、三木の遺稿のうち、おもに生命論・保健論・保育論関係の文を集めたものである。
 一般向けに書かれたものが多く『生命形態の自然誌』にくらべて、文がやさしく読みやすい。母性の進化、呼吸の歴史、からだの不調、生命記憶と回想、胎児の世界、内臓の感受性、南と北の生物学、古代形象、西・小川・浦という三人の恩師の思い出、動物的および植物的、などがおさめられている。三木の保健・保育論を普及するうえで貴重な本である。
 
 
 (5) 『生命形態学序説―根原形象とメタモルフォーゼ』
 
 つづいて、同年11月3日には、『生命形態学序説』(うぶすな書院)が、刊行された。これは「生命の形態学」の最初の三つの章、「解剖生理」「解剖学総論草稿」の初めの三つの節がおさめられており、巻末に三木成夫シェーマ原図が付けられている。
 「解剖生理」がこのような形で再版されたことはじつにうれしい。解剖学の入門書としてこれ以上の名著はないからである。巻末のシェーマは藝大の生物学の講義や他の大学の特別講義、各地の講演で使われたもので、未発表のものが多い(じつは、私はこれらのシェーマの解説を書かせていただいた。これらの図にこめられた三木の声なき声を聴きとろうと必死に努力したが、間違いや見当違いを犯しているのではないかと危惧している。読者諸氏で、お気づきの点があれば、是非ともご教示いただきたい)。
 さらに、1994年3月、「現代思想」(青土社)が「三木成夫の世界」の特集をおこなった。ここでは、二六名もの哲学者・医学者・生物学者らが三木成夫の思想と学問について論じている。また、三木の「『原形』に関する試論」と年譜も収められている。
 この特集は、これまで三木を知らなかった多くの人々が、彼の本を読み、三木の学問と思想につよい関心をもつようになってきていることを物語っている。
 
 
 (6) 広がる三木成夫の世界
 
 三木は、その生きた時代までに人類が生み出したすぐれた芸術・科学・思想をわがものとし、みずからそれを実践した人であった。また、学問を机上のものでなく、日常の生活に生かし、健康・保育など、現代人が直面するさまざまな問題の解決に適用した人であった。恩師や先輩を尊敬し、多数の友人をたいせつにし、若い人々にかぎりない愛情をそそいだ人であった。名誉や地位、金銭といったものを低くみて、純粋に芸術・学問を愛した人であった。
 そのために、多くの人びとに愛され、慕われ、尊敬された人であった。三木の死後も、彼の著書が出版されるにつれて、三木の学問・思想に興味をもつ人がますます増え続けている。
 こうして、三木成夫の世界は、徐々にではあるが着実に広がっている。


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