三木成夫 紹介
 
 

     目次

● 思想家・三木成夫とは?

● 三木成夫の経歴

● 三木成夫の略歴年表と主要著作

● 詳しい三木成夫伝

● 一味違う三木紹介(藤本憲一氏)

● 三木成夫写真集

 
 




思想家・三木成夫とは?
 
 

 三木成夫(シゲオ)は、1925年(大正14年)12月24日、香川県丸亀市西本町の産婦人科医・三木綱三と母・於令(オレイ)の間に、四男として生まれました。丸亀中学から六高に進み、戦争末期は九州帝国大学で航空工学を専攻していましたが、戦後は東大の医学部に移り、解剖学を専攻しました。東大時代、一時は音楽家を目指し、江藤俊哉について本格的にバイオリンに取り組んだこともありますが、結局助手として東大に残り、後に東京医科歯科大学、東京芸術大学などで教鞭をとりました。
 残念ながら三木は1987年に61歳で亡くなりましたが、死後その評価と影響力はますます高まっており、「三木学」という言葉さえ使われるにいたっています。1994年には、月刊誌「現代思想」が『三木成夫の世界』という特集を、「モルフォロギア」が『三木成夫の思想』という特集を組み、一番新しいところでは、2001年4月に月刊総合詩誌「詩と思想」(土曜美術社)が『〈生命記憶〉詩と芸術−三木成夫の世界−』を特集しました。また東京では三木成夫の名前を冠したシンポジウムがほぼ毎年開催されています(「三木成夫記念シンポジウム」世話人:養老孟司氏ほか)。
 生前に出版された本は二冊と僅かですが、死後続々と遺稿が出版され、解剖学者・発生学者としてよりも、むしろ特異な思想家として注目されています。ここ数年来、思想界の巨人と言われる吉本隆明をはじめ、養老孟司、中村雄二郎、市川浩など、現在日本のトップクラスの思想家たちが、その著書などの中で三木について言及しています。
 彼の思想・生命観を一言で表現するとすれば、「すべての生物は、太古の昔から宇宙のリズム、生命の根源的リズムを宿している小宇宙である。鮭が体内の不思議な記憶に従って産卵のため母川を遡上するように、人間にも本来大宇宙に共振する生命記憶(生の根本原理)が具わっている」ということになるでしょうか。
 三木はそのことを、自然科学者の言葉で語っていますが、しかし、単なる西欧近代の硬直化した機械論的、実証主義的科学の立場とは一線を画しています。彼の言葉は、西欧近代が排除した人間と自然との生きた自然感覚とでもいえるものに支えられています。またそれ故に、自然との生きた感覚を喪失した私たちにその感覚を呼び覚ましてくれる何かが、三木の言葉には感じられます。現代の抱える諸問題は、人間が自然界の中で持っていた固有のリズムを喪失した時代から必然的に生じたものだ、と三木は考えていたでしょう。そこに三木成夫の思想の現代における大きな意義があると思われます。
 
八木洋一 + 小阪清行
 


三木成夫の経歴
 
 1925年(T 14) 12月24日  香川県丸亀市西本町に生まれる。
 1932年(S 7) 4月       丸亀市城乾尋常高等小学校入学
 1938年(S 13) 4月      香川県立丸亀中学校入学
 1943年(S 18) 4月      第六高等学校理科甲類(岡山)入学
 1945年(S 20) 4月      九州帝国大学工学部航空科入学
 1946年(S 21) 4月      東京帝国大学医学部医学科入学
 1955年(S 30) 10月     東京大学医学部助手
 1957年(S 32) 10月     東京医科歯科大学助教授
 1973年(S 48) 6月      東京芸術大学助教授
 1979年(S 54) 4月      東京芸術大学教授
 1987年(S 62) 8月13日   脳出血により逝去 享年61歳