「フォーラム ドイツ兵俘虜収容所長松江豊寿の実相を求めて」の概要
 
鳴門市ドイツ館 田村一郎
 
 
編集者注: 細かい点で、田村先生の原稿に了解を得て少し手を加えた個所がございます。
 
 8月26日に徳島城博物館で開かれた「徳島におけるドイツ2006 フォーラム」は、約70名ほどの熱心な方々の参加を得て無事終了した。以下、その概略をお伝えしておきたい。
 
 
. 話題提起
 
 1.「徳島俘虜収容所時代の松江所長」 川上三郎氏
   http://koki.o.oo7.jp/06.8.26_forum_kawakami.htm
 
 
 2.「板東俘虜収容所時代の松江所長」 田村一郎
   http://koki.o.oo7.jp/06.8.26_forum_tamura.htm
 
 
二.パネラーの発言
 
1.瀬戸武彦氏
   青島戦の際の俘虜収容所は当初は12ヵ所あり、後から6ヵ所に統合されたが、名古屋と久留米は同じ都市なので述べ16ヶ所ということになる。これらの収容所で所長を務めたのは24名である。そのうち12名が後に将官になり、久留米の真柄甚三郎など3名は大将まで昇進しており、林銑十郎は首相にまでなっている。あとの12名は佐官どまりだった。気にかかるのは、そのうち静岡の所長だった嘉悦敏、丸亀の所長だった石井弥四郎、   
福岡の所長だった江口鎮白の3人が、後に新興宗教に没入していることである。嘉悦は「きよめ会」という霊界団体に、石井は「大本教」に、江口は「てのひら療治の会」に熱中する。なにがそうさせたのかははっきりしないが、1918年暮れから19年初めにかけてのスペイン風邪で、6千万の人口中38万が死亡したこと、それに追い討ちをかけた1923年の「関東大震災」でも、20万からの人が死傷し40万が家を失っている。あるいはこうした相次ぐ異常事態が、一つの契機となったのかもしれない。ひょっとしてこれらの所長にとって、ドイツ兵収容所体験がそうした道を選ぶ伏線となったのだろうか。さらに調べてみたい。
   http://koki.o.oo7.jp/06.8.26_forum_seto.htm
 
2.高橋輝和氏
出身地の丸亀収容所に関心があり、ベルリーンの連邦文書館の資料などをふくめ、俘虜の日記などを中心に研究している。松江所長との関連では、ヴィルヘルム・メラーの息子アドルフ・メラーがまとめた『第一次世界大戦における青島防衛の運命 父の遺稿から』(ボン、2002)に、正装した松江所長の写真が載っている。俘虜の間での、松江の評価をうかがえる配慮といえよう。
似島収容所では、俘虜が生活費を稼ぐため荷車に土を積んで売り歩いたという。ヨーハン・クロイツァーの日記によると、これに引き換え板東では12日間も「美術工芸展覧会」が開かれたり、徳島での「お別れ演芸会」では、終演後連日松江を含めた慰労会が開かれたという。徳島時代にも、俘虜にカトリック教会の改修を担当させるなど細かく配慮している。板東収容所の「慰霊碑」の落成式への参加なども、ドイツ兵にとっては嬉しい気遣いだったのだろう。
 帰国の際にどこの収容所から返すかが問題となったが、ドイツ側は恵まれていた板東は最後にと要望した。しかし日本側はドイツ兵が協力的だったことを評価し、板東を先にするよう主張しそのように決まっている。松江の姿勢が、最後にも実った例といえよう。
http://koki.o.oo7.jp/06.8.26_forum_takahashi.htm
 
 3.ディルク・ギュンター氏
   これまでも話されてきたとおり、松江の管理は非の打ち所がない。しかし松江との比較から、他の所長が批判的に見られがちなのには抵抗を感ずる。ことに新聞の発行や音楽活動などはどこの収容所でも活発に行われており、徳島や板東が特別だったわけではない。
   確かに松山の前川所長などは、当然のことだが手落ちのない管理に徹しており、それがドイツ兵を反抗的にした面もあろう。その点では松江は、ことにヴェルサイユ条約終結後は一日遠足をも許可するなど、俘虜の精神面の安定に配慮した点がすばらしいと思う。
   そうした松江の積極面を評価するうえでも、精力的で語学も達者だった高木副所長のバックアップは欠かせなかった。次回のフォーラムでは、この人も候補にしてほしい。
 http://koki.o.oo7.jp/06.8.26_forum_guenther.htm
 
 
. 討議
 
 司会者の、松江所長を評価するうえでも複数の物差しが必要とのまとめをふまえて、会場からの質問をいただいた。 以下列挙してみる。
 
1) 所内での「信仰」面での対応はどうだったのか。信者の比率は、どうだったのか。
A.カトリック、プロテスタントに分けて、月1回は外国人聖職者が来所している。シベリアのドイツ兵俘虜の窮状を伝えたスエーデン赤十字社代表のネアンダー牧師の講演は反響を呼び、チャリティ・コンサートや支援募金活動が行われている。比率は今は判らないが、北の出身者が多いのでプロテスタントが多い。
・参考 板東での信者の比率は、ほぼプロテスタントが4分の3で、カトリックが4分の1である。わずかだが、ユダヤ教が1%弱、無宗教が0,6%いる。
 
 2)高木副所長についてもう少し聞きたい。
 
3)何人かの所長経験者が「新興宗教」に惹かれていった原因について、もう少しコメントがほしい。
 
 4)「戦争条約」が重視されたという証拠はあるのか。自分が赤十字の仕事をしており、赤十字とドイツ兵収容所との関連や、「戦争条約」とのかかわりなどについてもっと調べるように言われている。情報があったら教えてほしい。
   A.赤十字と収容所のかかわりについては、後で調べて連絡したい。「戦争条約」重視については、日露から第2次大戦前までの「軍隊手帳」の冒頭に、「国際条約」についてのコメントが付いている。収容所長会議の記録にも、「国際条約は尊重しなければならないが、いっそうの節約を」というような発言が載っている。
     文献については、後に知らせる。
  ・参考 吹浦忠正『捕虜の文明史』(新潮社(新潮選書)、1990年)、大川四郎編訳『欧米人捕虜と赤十字活動』(論創社、2006)などが参考になる。
 
 5)面会に来たという俘虜の夫人たちはどこに住んでいたのか。
    A.戦前から日本に住んでいた人がほとんどで、徳島に移ってきている。